オタクの化粧品はほぼツイッターで構成されている
「化粧品を見せてほしい」というお題箱をいただいたので、今から恥を忍んで化粧品を見せます。正直ヲチられる気しかしてないけどこれヲチる要素すらなくない?恥しか晒してなくない?という内容になりました。概ね「わからん」「受け売り」「バズってた」で構成されています。
ベースメイク的なやつ
①ポール&ジョーのプロテクティング ファンデーション プライマー S 01
下地。明日花キララが使ってるから買った。明日花キララみたいな肌になりたかった。なんか一番日焼け止め効果があるやつ。いま「効果」って打ったら「強姦」に変換されて病んだ。
②ALBIONのホワイトニスタファンデーション030
ファンデ。ファンデーション使わない派なんだけど、これは使うと崩れなくなるから好き。ALBIONはBAさんが大人なお姉さんで毎回ドキドキする。最初試供品で一番明るい色を貰ったので使ったところ当たり前に浮いたので、「これより暗い色を……へへ……」って言って買った。安くないけど永遠になくなる気配が見えないからコスパがいい。なくならなくてちょっとこわい。
③CLARINSのインスタントマットプライマー
部分下地。BAさんの肌にテカりがなさすぎて「もしやこれを使えばアタシもこんなお鼻に……?」と思い衝動買いした。効果は特になし。心なしかか若干崩れにくくなった程度。今は鼻もポルジョの下地で済ませてるのでこれはお直し用になった。BAさんの肌が綺麗だと騙されて購入しちゃうアレ、消費者法にひっかからんか?
④エレガンスのブリスオーラPK101
チーク。中身がお肉みたいだったから「へー!お肉モチーフなんだ!変わっててかわいー!」って言ったら「ローズです」と言われた。やたら香水みたいないい匂いがするチーク。チークとハイライトは粉の下に仕込んだらいいってイガリメイクが言ってたからそうしてる。
⑤セザンヌのパールグロウハイライト01
ハイライト。みんなハイライト変えたいから教えて~~~つったらフォロワーに教えてもろた。調べたらツイッターランドでバズって気になってたやつだったから買った。CHANELの濡れ肌になるやつに似てる気がするけど、とにかく濡れ肌感あって発光強めだから粉の下に仕込まないとすごいことになる。使ってます。フォロワーの優しさ、無駄にしたくないから。
⑥キャンメイクのマシュマロフィニッシュパウダーPP
粉。粉のバズり王といえばこれ。プチプラだから割れてもどうなっても気にせず使えるしサイコ~~~でもChacottの粉に変えるか悩んでる。
⑦SUQQUのリタッチプレストパウダー02グロウ
お直し用の粉。ツイッターでバズってたから買った。薄くて持ち運びやすい。カバー力はわからん。
⑧CLARINSのフィックスメイクアップ
スプレー。ベースメイクも色物も全部終わったらやる。涼しいしいい匂いだしそりゃバカ売れするわ~~~崩れにくくなるかはよくわからん、正直みんなの集団トリップな気もするけどマジョリティーに呑まれたいから今日も顔にスプレーする。でもやっぱ多少は違うかも。
ベース以外のやつ
①chacottのメイクアップカラーバリエーション602
シェーディング。ブルべのシェーディングといえばコレ!♡ってバズってたから買った。わからんけどたぶんそうなんだと思う。ココアみたいな色してる。未だにシェーディングとノーズシャドウのやりかたわからんけどチェキ映りが劇的に変わったので大事なんだと思う。
②KATEのやつ
アイブロウペンシル。色は髪色によって変えるから決まってない。眉毛が両津勘吉並みにしっかりしているので整える程度にしか使わない。油断すると眉毛がつながる。
③ヘビーローテーションのやつ
眉マスカラ。黄浮きしないらしい。言われてみればそんな気もする。あとは同上。
④MACのプレッププライム24アワー エクステンド アイベース
アイシャドウ下地。塗った方が圧倒的にアイシャドウのノリが変わるらしいけどよく分からない。変わるらしいのでつけている。
⑤ヒロインメイクのやつ
アイライナーとマスカラ。パンダにならないので良いんだと思う。それ以外はわからん。まつパしているのでビューラーは使わない。まつパしてからストレスフリーなので、一番効果があるのはビューラーやマスカラよりまつパなんだとおもう。
⑥アイシャドウ
色々使うけどよく使うのはこれ、左からアディクションのミスユーモア、アルビオンのラベンダーのやつ、excelのやつ。excelのは「ブルべ夏大勝利!♡」ってバズってたから買ったけど大勝利かは分からない。色が薄いので、派手な目にできないまじめな場面のときに使ってます。アイシャドウはプチプラかデパコスかはっきりわかるらしいですね。こわいですね。安物だと思われたらこわいので基本的にデパコス使うようにしてますが私自身は見分けがほぼつきません。
⑦リップ
よく使うのがこれで、左からRMKの青みピンクのやつ、RMKの青いやつ、イヴサンローランの紫のやつ、クラランスの赤いやつです。特筆することはありません。
⑧リップライナー
ピンクのとラベンダーの。なんか唇の端にはこういうリップライナーを使った方がいいらしいと聞いたので購入しましたが、効果はマジで分からないので私の使い方が間違っているのかもしれません。誰か教えてください。
⑨クラランスのリップオイル
唇の皮がむけなくなったしこれは効果感じた、グロスとしても使えるし神。半分も使わないうちに間違えてゴミ箱に捨てて泣く泣く翌日百貨店に行った思い出がある。
以上です。
2019年1月から5月まで観た映画振り返り
何を観たかなあと思って、ちゃんと記録しておこ(^-^)という気持ちになったので振り返ります。当たり前にネタバレを含みます。
1月
『映画 刀剣乱舞』
2019年しょっぱなはオタクから幕を開けました。たぶん2~3回観ました。1回目はその日の出勤を蹴って「今から刀剣乱舞見に行こ(^-^)」ってサボって観に行った記憶があります。
絶賛されていたので逆にハードルを下げて観に行ったのですが(私はオタクの映画批評を信用していません)、下げていたからか自分が2.5舞台に慣れてるからか特に違和感なく観れました。原作オタクじゃない男性とかにも好評みたいで良かったです。鈴木拡樹が空を飛ぶシーン以外は良かったです。堀北真希の旦那が信長なのには「え、もうそんな年齢!?」と驚きました。
ただやっぱりウイッグと衣装が、ステほどではないけど気になったし、ラストを観る限りやっぱりステと分けるつもりねーじゃんという気持ちになった。
でもうまいこと刀剣乱舞を現実に落として仕上げていた佳作だったと思います。
『十二人の死にたい子どもたち』
まあ良くも悪くも邦画っつーか……みたいなラストでもやもやしました。邦画に期待した私がだめなんですけど、でもこの映画途中まで「シネリーブル梅田とかシネマート心斎橋とか(東京で言うならテアトル新宿やヒューマントラストシネマ渋谷とか)で2週間くらい上映してる、なんか途中から『CUBE』みたいになる低予算哲学系ドイツ映画」みたいな様相を呈していたので、ちょっと期待しちゃったんですよね。『WILD』観ましたか?私は観ました。
若手俳優若手女優たちの顔を楽しむ映画だと割り切れたら大丈夫なやつです。
正直、番号にいない先人が死んでた最初のシーンと、その人が実は生きてたシーンで、もう完全に脳内は『SAW 1』だったんですよ。絶対これこいつが犯人だと。死体に見せかけてこのゲームを最前席で楽しんでるんだな?とかニヤニヤしちゃったよ。
ラストギリギリまでだれか死ぬって期待したし、あの主催の子くらいは死ぬって思ったんだけどな。思ったんだけどな~~~~~!
これ私が鬱好きオタクだからか?と思ったんですけど、一緒に見に行ったパンピーの友達みんなもモヤモヤしたって言ってたので多分みんなモヤモヤしたんだと思います。な~~~に生きるのが美しいみたいなメッセージ出してるんだよ。ちなみに友達6人くらいでパンケーキ食べたあとにこれ見て、その後居酒屋で彼氏と別れた友達を慰めつつその元カレの悪口を言いまくる会をしたのでそっちの方が有意義でした。
2月
『コードギアス 復活のルルーシュ』
彼氏が生き返ってしまったので観ました。死ぬほど観ました。何回観たかわからんし、どれだけ泣いたかわからん。
一生が終わったあとも愛してる。
え~~~~ん本当に好き……
ルルーシュ以外の感想を言うなら、敵国の弟が好みだったのと、なんかこの子モブレ本出されてそうだな……と思いました。マジでコードギアス、「きょうだい」という関係を至高のものにしすぎでは?フェチズムがうかがえますね。
『アクアマン』
制作の大人たちがノリノリで作ったんだろうなということが伝わってくる良作だった。
私は唯一、日本版ポスターではアクアマンの前に色鮮やかな珊瑚礁が追加されてファインディングニモみたいな色合いになったことだけはゆるしてないのですが、映画自体はハチャメチャに良かったです。やっぱ作り手が楽しそうにしてるのが伝わってくるのはいい映画ですよ。
海中世界の勢力図とか、キャラデザとか、町の作りとか、いちから世界観を作り上げていたので、なんかもうこれ大人たちがワックワクしながら作った「ぼくのかんがえたさいきょうのせかい」って感じでなんかも~~~~それだけで十分なんですよね。おまけに謎解き要素もあり、地球の中心部のロストワールドもあり、もう垂涎モノの設定をこれでもかと詰め込んだ水中SF謎解き人間ドラマアクションって感じで。100回観れる。続編もありそうだったし期待ですね。私が続編作るならロストワールド活かして恐竜も加えてハチャメチャにしていきたいな。
(余談ですがこの映画、「太平洋のどこか」みたいなクソテキトーな位置情報を示してくるのが愛おしかったです。)
3月
『運び屋』
てっきり凄腕の伝説の運び屋によるサスペンス系かと思ってたら人間ドラマで泣いた。最後の刑務所でお花を育ててるシーン、誰でもうるっと来るでしょ。あと最初は絶対ヤバイやつだと思ってた荒くれ者たちが意外といいやつで、マフィアのほうがやばくてびびった。てかなんかもう「運び屋」という特殊なシチュエーションに包まれているだけで、中身はこの世界によくいる「家庭を顧みず仕事に打ち込みすぎて家族には疎まれ、家族や友人との居場所を取り戻すために道を間違えてしまうおじいちゃん」なので切ない。最近こういうのに弱い。年かな?
『THE GUILTY ギルティ』
こ~~~~~いうのが好きなんですよ。シネリーブルとかテアトルで上映されてる低予算の名作映画。
こういったワンシチュエーションを逆手にとった映画はやっぱり脚本と演出がかぎなのですが、すごく繊細に丁寧に伏線を張って描いていた印象。正直地味なんだけど、じっくり観れる良作。
警察のコールセンターが舞台で、そこから一切動かない。コールセンターで電話番をしている主人公同様、観客も電話の声を頼りにするしかなくて、それ以外一切の情報が与えられない不安とか、電話を待つしかなくて何もできない焦燥や緊張をうまく観客を巻き込む形で表現している。脚本自体は非常にシンプルで、オチもシンプルなのだけど、うまく観客を巻き込めていたのでそのオチが主人公同様こちらにずっしりと来る。必要以上に主人公の情報が私たちに示されないというのも、僅かな情報から推理するしかない主人公の立場を私たちが追体験することができて、そこもこのシチュエーションに私たちを巻き込む上手な手法だったかなと。
この観客を巻き込んでいく上手さというのは、『ドント・ブリーズ』や『ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談』を思い出した。
『移動都市 モータル・エンジン』
天才の映画。『アクアマン』同様に、もう大人たちがワックワクして作ったのがあふれ出ている愛すべき全力馬鹿映画って感じ(超褒めてる)
だって都市が移動してるだけでこっちもどきどきするのに、都市が都市を食うって……もう絵面だけで元が取れるしドキドキ通り越してギュンギュンですよ。しかもその都市がロンドンなのも「あ~~w」だし、途中でなんかメチャクチャやばいイカれた移動都市の名前がイスラムをもじってる感じだったので大丈夫なのかとハラハラしました。そういうところも含めて、世界観の構築をまっさらなところから行った大人たちは「ここでこうなったらおもしろいんじゃない!?」とか言いながら作ったのかなぁというくらいワクワクがにじみでていて、観ていてニッコリしました。
2時間では詰め込みすぎた印象が強かったけど、25話くらいのアニメ(?)で観たかった。それくらいアツい展開にアツいキャラクターが続く。実質少年ジャンプだよこれ。
4月
『マロ―ボーン家の掟』
まって死ぬほど泣いた。
とても丁寧に作られた作品で、そのシチュエーションや抱えるほの暗さといい、『イット・カムズ・アット・ナイト』を思い出した。「死体と暮らす兄弟の楽園」とはまさにいいえて妙で、これだけはネタバレせずにどうか興味を持った人たちは実際に見てほしいなと思う。
伏線の張り方が丁寧で繊細で、それでいて物語を貫いて壊すほどに重厚。少しヒロインが背負わされる役割が多すぎてそこだけ聖母化のようで気になったけど、それ以外は本当にひとつも文句なし。文句なしの名作。
ホラーとしてもきちんと構成されていて、「いるの?いないの?」の作り方が上手。特筆するほどの変わった演出は何もないのだけど、基本的でこわいものをおさえているからか、それが重なってちゃんと冷や汗が出るようなひんやりした怖さがある。そのうえで作品が無理なく現実的なラインで成り立っていて、サスペンス的な要素も大きい。
恐らくもう一度見返したらさらに面白いような作品なんだろうけど、観ると精神をゴリゴリに削られるので私はもう見れません。
ところであの父ちゃん、『ドント・ブリーズ』のおじいちゃんと戦わせてみたいなと思いました。すげぇよあいつ。時代が時代なら、戦争でめっちゃ活躍してそう。
『ハロウィン』
アツい!!!アツいよ~~~~~(^-^)(^-^)
正直前作を観ていない人からしたら「ふつうのスプラッタだな~有名タイトルのわりに期待外れかも」となると思う。前作よりかゴア描写は増していた気がするけど、でもスプラッターのくくりでみたらそこまでゴア描写が特筆すべきほどのものはない。
これは前作の被害者が、アイツをブチ殺すことだけを考えて家族を巻き込んで戦闘力を鍛えまくって、そしていざその2人が対峙してバトルするという、そこにエモさを感じるための映画です。ハチミツとクローバーくらいエモいよ。
もう正直タイトルのインがかっこよすぎて涎だらっだらになったし、ハロウィン当日にあの音楽が流れだしたときはおしっこちびるかと思うくらい興奮した。
B級スプラッターにありがちのあのピコピコテロテロしたBGM、結婚式で入場のときに使いたいくらい好き。
みんなハロウィンとパージが好きだろ?
5月
『ハンターキラー 潜航せよ』
め、めちゃくちゃ面白かったんだけど……
観てない人マジか?ってなる。スカイライン奪還くらいなる。(私はスカイライン奪還が大好きです)
でも公開終了ギリギリに見てしまったので、こんなに面白い!!といったところでもう意味を成さないのが悲しい。アマプラとかネトフリに来たら見てください。クワイエットプレイスを見るくらいならこれを見てください。(私はクワイエットプレイスのアンチをしています)
これは潜水艦モノということで、てっきり低予算映画かと思っていたらそうではない。私は予備知識なしで見てしまったので、低予算映画によくある、予算がないから室内メインのほぼワンシチュエーションだけどそれをうまく逆手にとって面白くしている映画かと思っていた。『THE GUILTY ギルティ』がそういう作品。そういう類の映画かと思いきやがっつり予算かかってる。派手なシーンは派手に、地味なシーンは地味にしてる。
でもやっぱり潜水艦内部がメインなので、そこをうまく扱って、恐怖や静寂を上手に描いていたように思う。
音しか頼りにならない戦場の恐怖というものをうまく「静」「動」の対比で描いていたし、それと同時に進行する地上でのクーデターによる第三次世界大戦の予感というものに、政治映画の色があって面白い。さらに同時にそのクーデターを阻止する特殊部隊員5人(4人だったかも)がいて、その「僅かな人数で自分の腕と仲間だけを頼りに国相手に戦う」みたいなハードボイルド友情映画色もあり(ちょっと『ザ・プレデター』思い出しました)。とにかく大きく分けて3種の話が存在する中でそれぞれ独自の色で、だけど浮かずに、映画を面白くしてる。いやさっきから面白いしか言ってなくて語彙ないんかいって感じなんですけど。いや。とにかく面白くて。なにが面白い?って言われたら「えっ全部……」ってなるくらい面白くて。なのでとにかく面白いということだけ伝わってください。
『オーヴァーロード』
死人に口なし、ナチスに口なし。
ということで案の定ま~~~~たナチスがとんでもねぇ人体実験をして人間兵器を作っていたという、もう冷戦終了後100回は観たという設定のアレです。私がヒトラーだったらマジで化けてでると思う。
内容は『武器人間』的なB級クリーチャー系に全振りかと思いきや、構成はしっかりしてる!(私は武器人間も好きです)
前半は「これって反戦映画だった?」と思うくらい生々しい戦争映画の様相を呈していて、落下傘作戦の悲痛さが描かれている。ちなみにああいう作戦はエアボーンと言うらしい。周りの仲間の飛行機が次々撃墜され、自分の飛行機もあわや撃墜という中、大量の爆発と火の粉の地獄絵図の空中で身一つで飛び降りていくのはあまりにも無茶な作戦に思えて「戦争ってえぐいな」と思った。これ反戦映画として成り立ってるよ。はだしのゲンとかたいしたことねーwとイキッてる馬鹿中学生にはこれを見せたらいいと思う。
戦争とその中での人間ドラマ、悲痛にもあっさりと無慈悲に一秒で奪われていく仲間の命、そういう惨たらしさを肉片・断面・内臓・マシマシでお届けしている。
そういう前半から一転、ナチスのやべぇ実験が進む中盤からはホラー映画の要素が強くなり、そこら辺のホラー映画よりよっぽど丁寧に「恐怖」を描いてる。そして怒濤の後半戦ではバイオハザードでクリーチャーで男気溢れたバトル。見たいもののオンパレード。後半戦はマジ「これバイオハザードでみたな」という既視感溢れる展開の連続なんだけど、前半の戦争映画っぷりと中盤のホラー映画っぷりでいい感じに中和されている。
とにかく結構期待してなかったわりには面白くて満足できる作品でした。
それぞれのキャラクターも立っていて、ラストにはちょっとホロッとしてしまう。この最近見た映画だと『ハンターキラー 潜航せよ』の大統領の護衛の人もそうなんだけど、手榴弾とか爆弾とか手に持ったまま敵を迎え撃って「fuck you」ってニヤって笑って敵もろとも自爆するやつ、ハタチも過ぎた女が恥ずかしいんですけど、やっぱりかっこよくてあこがれるので、人生で一度はやってみたいことです。そうエヴァのミサトさんが私に教えてくれました。手榴弾バージョンだと口にピンをくわえたまま笑うのがかっけぇと思う。
『ラ・ヨローナ~泣く女~』
おい、つまんねぇぞ。マジか?一生死霊館作っててくれ。
以下個人的ポイントです。
やばそうなのに子どもを一人にするな/ていうか子どもが1人のときに何か起こるような映画なんだから、必要ないのに「あれ?いま子どもどこにいる?」みたいな間をつくるな/ていうか登場人物全員学んでくれ、余計なことをするな、子どもとはいえいらいらしちゃった/呪術師とか要素的にはメチャクチャ面白いのにつまんなくするな/女のすすり泣きを聞いたら死ぬって設定なのに、登場シーン以外基本的に女が全然すすり泣かないし、「ウア~~~~~~~~~!!!!!」って大声でブオンッッッバンッッッドンッって迫ってくるのでそんなにこわくない/申し訳ないが、作りが全体的に雑/マジ一生死霊館作ってて/でも途中までホラー描写自体は悪くなかったと思う/結果的に雑/全然映画慣れしてなさそうなゴミマナーのヤンキーカップルが途中でいちゃつきだす程度には全然こわくない映画なので、私は携帯の着信音とヤンキーのいちゃいちゃ声と女子高生の話し声とジジイのばかでかいくしゃみとで死んだ民度を全力で体感できました。
ただ、傘を使った登場シーンなどは非常に良かったです。細部は悪くないのに全体の構造がシンプルに雑なんだよなぁ。全然こつこつ勉強してなかった高校生のテスト前夜みたいな出来だった。伝わるか?これ
『コンフィデンスマンJP』
ふつうに面白かった(^-^)三浦春馬エッッッッッッッロ……わたしもだまされてぇ……という以外の感情を失った。そんなことないけど。うそだとしてもボクちゃんとダー子の関係がオタクには響きすぎるので告白シーンは正直ドキドキしてしまった。そういうところも含めると、2人が幼馴染なのも以前の偽設定を継いだだけの設定なのか本当なのか、ボクちゃんがモナコに語ったのはどこまで真実でどこから嘘なのか、全てが分からないし、この作品の面白いところは「結局最後までだれの真実も嘘も分からない」というところですよね。人がフィクションを愛するのは、気持ちよく騙されたいからじゃないかなと時折思うことがあるのだけど、そういう意味でこの作品は「フィクションの快楽」というものをどこまでもメタ的に取り入れて実践しているなぁと思います。どこまでも疑うのが楽しいのって、ありませんか?
『貞子』
う~~~~~~~~~~~ん
詳しくはこっちでお願いします(死)
『アナと世界の終わり』
ゾンビ×ララランドと銘打たれているけど、ミュージカル版ショーン・オブ・ザ・デッドと言う方がわかりやすいなぁと思った。(もしかすると予告編で言ってたかも)
ゾンビコメディで、青春ミュージカルで、クリスマスが舞台のアポカリプスということもあり少々の邪悪さで、コメディだと思ってたから意外と泣ける。青春ミュージカルとしてもゾンビとしてもほろっと来てしまった。
ショーン・オブ・ザ・デッドがパブのラストシーン以外ゾンビも人間も全てがばがばでまさにコメディな世界線であるのに対して、これは結構よく考えたら笑えないシチュエーションだし、ラストも希望があるかはわからない。てかミュージカルとコメディを混ぜていなければ『28日後…』並みに暗い気持ちになってたかもしれん。けどそこをコメディと青春ミュージカルがうまく緩和しているし、あと思ったより人死んでびっくりした。「エ!?お前が死ぬんかい!!」ってよくなる。
個人的には校長の狂ったミュージカルの邪悪さがナチスで人間兵器をつくるB級マッドサイエンティストみたいでグッときますね。
以上です。
全然観てないですね。観たいのあったけど忙しかったりなんやかんやで機会を逃してしまい。悲しい。
これは映画館で観た映画なので、アマプラやネトフリを含めたらもう少し色々あるのかな。でも下半期は「自殺しない」と共に「もっと映画を観る」を掲げていきたいです(メンヘラジョーク)
ところで観たかったのに見逃した映画といえば。
未体験ゾーンの映画たち、をひとつも見れていないのが2019年の心残りです。仕事の都合上微妙に見づらい時間帯しかやってないんですよね……(17時、19時、21時だったかな?)
それ以外だと『ザ・プレイス 運命の交差点』や『ウトヤ島、7月22日』あたりを見逃したの後悔しています。
やっぱり大画面で観たかったなあ。
なのでやっぱり下半期(まだ6月あるけど)はもっと映画を観る、及びそのために死なないことを目標にしていきたいと思います。2020年まであと半年!みんな生きてるかな~~~!?!?がんばろ~~~ね!!!
映画『貞子』感想/人々はもはや貞子に恐怖することができないのか
公開されました。池田エライザの『貞子』。初日に観てきたので感想を書きたいのですが、率直に言うならば「おもしろくない」が本音でした。どうして面白くなかったのか、そのことを考えると、もう私たちは貞子に恐怖することができない、及び制作側ももはや貞子で恐怖させようとしていない、というのが正直なところではないかと思います。
正直に、正直に言うなら、大人の事情的な意味での「映像化する上での限界」が本作を面白くなくしていて、「貞子に恐怖する構文を私たちが失った」ことと「貞子の過度なキャラクター化」が本作を怖くなくしていると思った。
内容に関しては可能な限りネタバレなしで進めていきます。
(※あくまでいち個人の感想なので、貞子こわかった!おもしろかった!という人はその自分の感情を大事にしてほしいです。)
まず正直面白くなかった理由としては第一に「こわくない」があると思う。ここには大人の事情的な意味での「映像化の限界」があると思う。
まず殆ど貞子が出てこない。つまりホラー映画らしいシーンはかなり少ない。貞子の出自を巡る話に関わってくるので、貞子登場シーンは大幅に減っており、「いるの?いないの?」的なシーンに関してはぶっちゃけ皆無です。Jホラーといえばこの「いるの?いないの?」の恐怖だ、貞子は日本が誇るホラーだと、よくそう日本人は言うけれど、ぶっちゃけ今の貞子にそんなものあるのかなというのが率直なところ。この映画で貞子は基本的に「よっ!」って感じで出てきて「ほな!」って感じでいなくなります。
『リング』自体については初めて見たのが小学生のときで、ほぼ見返していないので、あまり語れないのが正直なところ。なので決定的に間違ってたら訂正してほしいのだけど、一番はじめの貞子はもっと出番があった気がする。ただひとつ、ホラーの構文として重要なものに「狭いエリアの中で限られた人数でエスケープする」というのがあって、バイオハザード1などがホラーと呼ばれた所以はここにあると思っています。映画の『エイリアン』シリーズなんかもそうで、モンスターパニック系であってもホラー的恐怖があるのは大概この構文を抑えていることが多い。その中で貞子はその構文をさして重要視していないかなと思う。呪怨とかは家ホラー的な要素も大きいので、少しこの構文に近いところはあるけど、貞子は基本的にエリアを限定していない。世界中どこにいても彼女の呪いはついてまわるし、テレビひとつあればどこでも殺しにやってくるし、貞子の恐怖というものは、極端な話、真っ昼間の渋谷のスクランブル交差点のど真ん中でも成立してしまうんじゃないかなと思う。(バイオハザードシリーズやエイリアンシリーズはそうではなくて、スクランブル交差点で起こったらホラーではなくただのアクションになってしまうし、「バイオハザードがシリーズを追うごとにホラーではなくなっていった」「バイオハザード7は帰ってきたバイオハザード」と言われるのはそういう点においてもあるんじゃないかな)
なのでこの、エリアを限定しないし、どこかへエスケープすることが目的でもないし、限られた人数で逃げ惑うわけでもないし、夜でもない、真っ昼間のこの映画においても、貞子の恐怖というものは本来成立するはず。
(またこの「こわくない」に関しては後述する「貞子を怖がる構文を失った」に関わってくるので後で触れます。)
なぜこわくないか。それは『リング』シリーズのネタバレを壮大に含む『タイド』を原作として敷いているため、『リング』及び貞子の謎をとく謎解きシーンが多く含まれてしまうから。
『リング』シリーズに関しては、世間で名の知れている最初の作品以降、どんどんロジカルな内容になっていくのが特徴的。その上でこの作品を映像化するなら、正直貞子としてのホラー映画の成立は諦めた方が良かったんじゃないかなと思う。これは『リング』に始まる当該シリーズの謎解きというか、貞子というパーソナリティを明らかにする続編なので、最初の『リング』のようなホラー映画らしい出来にするのはどうしても難しい。そして『リング』シリーズを観ていない(読んでいない)人には分からない話にどうしてもなってしまう。ここに「映像化の限界」があったんじゃないかと。
ただ『タイド』とは一番の骨組み以外変えられているところが殆どで、どうにか初見の人でも分かるような内容になっている。その代わり『タイド』のあらすじはほぼなくなっていて、貞子の出自のみがそこにぽんと投げ入れられたような状態。なのでホラー映画にも成りきれず、『タイド』映像化にも成りきれず、中途半端に宙ぶらりんになってしまっているのが、けっきょくの問題だったのかも。
それでも初見の人にもわかりやすく、さらに有り体に言うならば貞子というヒットタイトルで興行収入を得たいのならば、『タイド』のことはもう一旦隅の方に置いておいてホラー映画であることに全振りすれば良かったんじゃ?という気持ちになる。しょ~~~じき一見ばかばかしそうなタイトルの『貞子vs伽椰子』のほうが面白かったしこわかったんだよなぁ。(コワすぎシリーズも好きです)
なんでホラー映画になれなかったのか。なんで怖くなかったのか。
そこには上記に挙げた、「中途半端な映画化になってしまってホラー要素が薄くなったから」がまず大きな理由としてあると思うけれど、メタ的な話をするならば、
①「私たちが貞子に恐怖する構文を失った」
②「貞子の過度なキャラクター化」
に落ち着くなぁという感じ。おそらくこれは1000000000万回誰かがぼやいてた話だと思うけど、自分の鑑賞後の感想を忘れないようにこのブログに色々書いているので、今回も書く。です。
まず①私たちが貞子に恐怖する構文を失ったというのは簡単な話で、ブラウン管テレビとビデオテープを失ったことが大きいと思う。
貞子が登場したあの頃、私たちはみんな「何をダビングしたか分からないビデオテープ」を持ってた。ダビングにダビングを重ねすぎて画質は悪く、ラベルも貼っていないので何を録画したかも分からないやつ。ああいうのがみんな1つは手元にあったと思う。私はビデオテープはかろうじて小学生かそれより小さい時に記憶がある程度だけど、それでもそういうテープを持っていたのを覚えている。だからみんな貞子を身近な「ありうる」恐怖として捉えることができた。誰も「私は呪いのビデオなんて持ってないよ」なんて言い切れる人はいなかった(うそ、めっちゃ几帳面な人は違うかも)。
でもそれがDVDに代ってしまうと、あの恐怖はどこかへ行ってしまった。得体の知れない不気味さというものがなくなった。今はDVDですらなくデータとかストリーミングの時代だから、その差はさらに顕著だと思う。それが私たちの失った「貞子に恐怖する(できる)構文」だと思う。
さらに言うならブラウン管テレビもそうで、あの画質の悪さが引き起こす不気味さはもちろんだけど、あの「厚さ」も重要だったと思う。あの厚さって、絶妙に「本当に人が出てくるかも」という厚さだと思う。よくタイムスリップもので江戸時代から来た侍がテレビを観て「中に人が入ってるに違いない!」というシーン、ああいう作品ではお決まりのよくあるやつだけど、それもブラウン管の時代の漫画に比べると今の漫画ではあまり見かけない気がする。その代わり「この薄さで中に人が!?」みたいな台詞は増えたと思う。タイムスリップものが好きな私のあくまで体感だけれども。
いまの薄型テレビじゃ「本当に貞子出てくるかも」という恐怖は感じられない。
貞子の映画における怖さというのは、「あの井戸の映像を見ている人を私たちが見ている」そしてそのあと「井戸の映像だけが全画面で流れる」ことによって、あの映像を見ていた作中の人のように私たちも貞子が出てきて襲われるんじゃないか?という、一種の映像における枠物語の恐怖というものがあった。
見終わってすぐにメモったので手書きで超恥ずかしいんですけど、上の図のようなこと。映像が二重の入れ子構造になっていて、ひとつめの映像(小さな箱)から貞子が出てきたのなら、ふたつめの映像(大きな箱)からも貞子が出てくるんじゃないか?と心のどこかで一瞬思ってしまうと、それが恐怖になる。そういうことじゃないかなぁと。ぼんやり。
でも薄型テレビだと物理的に出てこない気がして、この恐怖にセーブがかかるんですよね。本作でも薄型テレビから貞子が出てくるシーンあったけど、やっぱりなんか無理な気がしてしまった。CGが発達しすぎて、出てくるシーンがCG感あって、リアルすぎて逆にぜんぜんリアルじゃない。なんかぬるんって出てきた。アナコンダに食われた人間こうやってはき出されてた気がするなぁとか観ながら思った。
とにかくこの貞子に恐怖する構文を私たちは失ってしまったので、時代にあわせた「動画配信サイトでの呪い」というものに本作はシフトしていた。これが新しい恐怖の構文になればいいのだけど、ユーチューブ自体観ない人いるし、ユーチューブでも美容動画とかばっか観てる人にはいまいちこの恐怖は伝わりにくいしで、「万人の共通構文」には決してなり得ないんですよね。だから結局怖くない。しかも動画配信サイトで呪いが伝播するわけではなくて、「撮ったら死ぬ」が本作のコンセプトなんだけど、そこも結局生かせてない。撮ろうが撮らまいが貞子に狙われたら死ぬし、カメラ向けなくても貞子は現れちゃうし。結局これも最初の話同様中途半端で消化不良のままになってる。
それから②貞子の過度なキャラクター化。
これはわざわざ記さなくても貞子が始球式したりしてる現在をみればわかるんですけど、もう貞子って愛されキャラクターなんですよね。得てしてホラー映画のモンスターというものは、ジェイソン然りチャッキー然りブギーマン然りフレディ然り、キャラクター化されてしまうものだと思う。これについては何でか考えがまだ及ばないのだけど、恐怖の反動で克服するためにこうなるのかな?なんでなんだろ。
とにかくキャラクター化されてしまっているので、しかも貞子はおそらく日本のホラーモンスターの中で最もキャラクター化されなじみ深いものになってしまっているので、もう「テンプレ」になりすぎて、そして可愛いものになりすぎて、ホラーとして恐怖することが難しくなってる。
これは公式サイトのリンクのスクショなのだけど(公式サイトについては記事の最初にURL張ってあるのでそちらを参照)、公式がこれするってもう正直貞子でびびらせる気皆無じゃないですか?
っていうかなんか言いづらい雰囲気あるので言いにくかったんですけど、貞子で始球式とか、公式サイトのこのノリとか、ぶっちゃけ寒くないですか??さむ……い……ですよね?いやそこはひとによりけりなので何とも言えないんですけど、ですけど、でも少なくとも公式がこれやっちゃうのは「バズったらそれでよくて、ホラーとして貞子でびびらせる気ないんだな」と思われても仕方ないというか。
以前日清食品の人が「バズることを前提にCMを打つ」と言ってて、だからあんなにヘンテコで過激なCM多いのかぁと納得したのですが、ホラー映画がそれしちゃいけないんじゃないかなぁと思う。ブランディングは重要だし、貞子のブランディングがどんどんバラエティーの方に確立されていって肝心のホラーアイコンとして確立されないのはまずいんでないかと。おもう。
おもしろけりゃいいバズればいいってもんじゃないと私は思う。それは過激なことをして注目されたいYouTuberと何も根本が変わらないし、テレビ業界や映画業界や配給会社はYouTuberに説教できる立場ではなくない?と思う。そんなんだから、いつまでも「Jホラーは世界に誇る素晴らしいもの」という幻想にとらわれて、面白いホラー映画生み出せずに韓国映画のホラーに後れをとってるんじゃないかと思う。(これもまあ個人によって見解は違うだろうけど)
とにかくせめて公式がこれやっちゃだめでしょと。だめという言い方はニュアンスが違うけど、なんというか、悪手でしかないんじゃないかと。
結局そこの甘さが、先述した「新しい構文」を作り出す際の消化不良に繋がるし、最初の映像化したときの中途半端な感じという話に繋がる。
失ってしまった構文は戻らないし、ここは難しい問題なのでどうこうするのはなかなか至難の業だけど、「バズることを目的にして貞子をホラー的ブランディングでなくバラエティ的ブランディングに走る」ということは止めることもできるし、貞子で恐怖させることももう一度できなくはないと思う。
でももうもしかすると制作側は「貞子で恐怖させること」なんてはなから考えてなくて、完全にキャラクターとして扱っていて、ただ興行収入のためにヒットタイトルに間借りしているだけなのかもしれない。そう考えるとちょっと暗い気持ちになる。日本のホラー映画界は、少なくともメジャーシーンにおいてはもう難しいのかな。ちょっと暗い気持ちにまたなる。
なので今日は貞カヤを見ようと思います。バケモンにはバケモンをぶつけるんだよ。
たぶんもうあの頃の初音ミクは戻らない
んじゃないかなと思う。
オワコンの向こう側と言われて久しいVOCALOIDの現状を悲観する記事は1億回書かれているとおもうのであまり言及はしません。が、先日、wowakaさんの訃報をきいてから、色々と当時のVOCALOIDを懐古してしまい。
VOCALOID全盛期に中高生だったオタクのただの懐古ブログです。
「砂の惑星」いい曲だよね。米津のボカロがやっぱぼかぁ好きだなあ、とか思ってたんですけど、wowakaさん亡くなってからヒトカラしてたら「砂の惑星」歌いながら泣いちゃって。自分がメンヘラガバガバ涙腺なのもあるとは思うのですが、やっぱり私にとってVOCALOIDって大きかったし憧れだったし、きっといつかこの鮮明な感情は薄れてしまうから、その前に涙腺ガバガバな恥を全世界に晒してでも自分のために記録して記憶しておきたいなと思いました。
ボーカロイドが流行るとともに流行ったのが歌い手で、もう良くも悪くも一大ブームになりました。今思えば歌い手なんだから一番に求められるのは歌唱力や表現力であるのが自然なのに、このときは違った。
歌い手に求められていたのは「人間らしくないこと」だったと思う。
例えばボーカロイドの声真似が一番に挙げられる。特にショタ声に分類される鏡音レンの声真似をする歌い手は男女問わず多く、そうした「ボカロに声質が似ている」というのはヒットする要因だった。
それから「多声類や両声類であること」も歌い手が(今っぽくいうなら)バズるためにとても重要なことだった。歌い手になりたい子たちは、例えば多くのプロ歌手がそうであるように「1つの歌声で歌唱力や表現力を上げること」ではなくて、「あらゆる声を出せること」を追求していた。そしてボイチェンなどは使わず、地でそれが出せることが求められた。
両声類とは (リョウセイルイとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
(上記リンクでは2007年が発祥であるとされ、その発端が「りゃく」や「vip店長」であるとしている)
このとき有名な歌い手には、例えば多声類である両声類である赤飯さんや、地の声質が非常に女性的である男性のピコさんやvip店長さんなどがいた。(もう当時は多くの歌い手がいて書ききれないので、今パッと名前を思い出した数名のみ名前を上げています)
もちろん1つの声色で歌う歌い手も多くいたけど、より人気を博すのならば、この多声類や両声類であることは非常に求められたし、女性がまるで男性であるような、男性がまるで女性であるような声を出すことは重要視された。これは今思えば性別を超越する必要があったのかなと思う。
そしてまた重要視されたのが「ボカロのように機械っぽく歌うこと」。ボカロが歌う曲を人間が歌い直すんだから、むしろ人間らしくなめらかに歌った方が人気がでるんじゃないの?と思うのだが、当時はそうではなかった。機械っぽく歌う人がもてはやされていたのも事実としてある。加工を使わずにあの独特の歌声に近づける人は、コメントで「すごい」と言われた。
呼応するように、ボカロ曲で出されたのが「歌ってみろ」というタグがつくような高音で高速な曲だった。これは今でも「ボカロっぽい」と言われる代表的な作風で、米津が言っていたようにこの「ボカロっぽい」をつくったの一人は確実にwowakaさんだった。(ここでいうボカロっぽいは、高音高速以外にもあるが、とりあえずおいておく)
wowakaさんがボーカロイド界隈に与えた影響は相当なものがあって、彼が「ボカロっぽい」という概念を作り上げたのだと思う。僕も例に洩れずwowakaさんに影響を受けた人間の一人として、最大級の敬意を感じてる。とにかく最高。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) August 22, 2017
そしてその「歌ってみろ」といわれる曲を歌い手が歌い、「人間を辞めてる」「野生のボーカロイド」と言われ、さらに歌うのが難しい曲をボカロPが出していく。その繰り返しで、なんかどんどんレベルが上がる夏祭りの型抜きみたいだなぁと思ったのを覚えている。(重ねがさねになるが、歌い手全員が該当するわけではない)
ただやっぱりボーカロイド文化を歌い手が支えた面は非常に大きかったと思う。今では歌い手頼みになっている状況が否めないが、当時はうまく共生していたと思う。人気の歌い手が歌えばマイナー曲でも人気になる。私がそれを実感したのは2011年投稿の「盲目少女暗闇生存中」で、中毒性のあるメロディと歌詞だが、シンプルで素朴な造りになっているため、「びす」などの有名歌い手がこぞって歌い始めなければここまで評価はされなかったんじゃないかな?と思う。どうしても聞き手は素人なので、シンプルな曲って良いのか悪いのか評価しづらい面がある。
当時はそれでお互い良い影響を与えていたのが、今は歌い手が歌わなければ人気になれないのかなと感じる。なんかこう、比重が歌い手に傾きすぎたというか。
ボカロPの「ボカロっぽい」、「歌えるもんなら歌ってみろ」みたいな、そういう人外的な曲を歌う歌い手っていう構図、今はそんなに見なくなった気がする。当時は溢れかえっていたのに。
(追記2019.5.20
思ったより色んな人に読まれているので追記します。上記「歌い手がボカロを支えた面がある」というのは、歌い手文化に馴染みがなかった人からしたら甚だ疑問だと思う。だけどまず歌い手、それから踊り手や、絵師によるファンPV作成など、ボカロがある種の多様なメディアミックスのような形で支えられていたのは事実としてあると思う。ボカロの流行には、そういう、「ボカロP」と「ボカロ」以外の、受動的存在から主体的な存在となりメディアミックスのように多様に展開していったファンたちの存在が大きい。その一つとして、まずブームになった歌い手というミックスがあったと思う。ということを言いたかったのだけど、初音ミクの懐古的な趣旨からは外れていってしまうので、言葉を省いて手短に書いた。ら、誤解を招いてしまったようなので追記します。)
結局根底にあるのは、果てしない「ボカロへのあこがれ」だったと思う。
ボカロのような声質で、人間的ではない性別を超越した声色をしていて、幾人もの声が出せて、機械っぽく歌う。当時の歌い手の人気の傾向を見る限り、限りなく私たちはボカロになりたがっていた。それは恐らく機械へのあこがれだったんじゃないかと思う。
人間が限りなく「機械っぽい」ことが愛された、面白い時代だったと思う。
今私たちにとって、アンドロイドや人工知能は「当たり前」になりすぎた。もはやファンタジーではない。そこに確かにある現実になってしまった。私たちは自宅で気軽にVR体験ができる。ヘッドセットだって手が届かない値段ではないし、都会ではVRのアミューズメントがいたるところにあるし、なんなら百均でヘッドセットを組み立ててスマホをはめれば、私たちは気軽にファンタジー世界へトリップできてしまう。
ボカロが流行ったゼロ年代から2010年ちょっとまで、初音ミクは未来の存在だった。彼女は現実の人ではなかった。ファンタジーの人だった。
当時の私たちにとってVRなんて星新一の世界で……とまではいわないが、宇宙旅行くらい「まだ手の届かない未来」だった。アンドロイドに夢を抱くことができた。ターミネーターなんてこわいお話があるが、あれをまだまだ先の遠い未来の話だととらえることができた。
今はもはや一切が現実である。当時の私たちが初音ミクに、ボカロに、ひいては機械(アンドロイド)(人工知能)に対して抱いていた憧れはもう抱くことがきっとできない。あのときは「なりたい」と思えたけど、もう思えない。それらは現実であり、現実における私たちの脅威になりうるし、その脅威はもはや身近に感じていて、私たちにもたらされる恩恵もとても「リアル」で「生々しい」恩恵だ。あのときのように、機械にユートピアを見ることはもうないんだと思う。あのときは機械にロマンを感じていた。たぶん。
今は「機械にはできない人間らしさはなんだ?」が追求される時代で、よく「50年後も生き残る職業」予想なんかが盛んに行われている。師の職業は消えないけど士の職業は消えるとか。
ボカロはちょうど、機械に生々しいリアルさも脅威も感じることがないほど「未来」で、でも適度に憧れを抱けるほど「現実的」な、その狭間の時代にちょうど成り立った歌姫だったんだと思う。現実味と非現実味のちょうどいい時代に彼女は成り立った。
もう彼女が「未来」ではなくなった私たちにとって、それは「現実」だ。もうあのときのように、ドラえもんのように、きらきらと憧れることはきっと難しい。
だからきっともう、あの頃の初音ミクはもう戻らないのだ。
変わってしまったのは初音ミクとその音楽じゃなくて多分私たちと時代なのだ。
だけど一方で、「ボカロっぽい」はまだ生きている。
元号が変わり令和になったが、平成の邦楽はインターネット……ニコニコ動画とYouTubeに支えられて栄えることとなった。ハチさんの米津としての飛躍もそうだが、ボカロ全盛期に人気だったボカロPたちは、人間の声を使って今も邦楽を支えてる。(ヒトリエの音楽はもっと聴きたかった)
ボカロから視点を変えても、例えば配信という面で、神聖かまってちゃんのようなロックバンドがネットから誕生し、今も邦ロックを支えている。近年のYouTuberブームの中での彼らの音楽デビューもそうだが、そもそもニコニコ動画とYouTubeという媒体そのものが平成の音楽を支えた。
今はもう音楽番組で「今週のベスト10」のようなものを、昭和に比べると全然しなくなった。それは大衆に共通する「ヒット曲」が存在しなくなったからだという。今でも「恋」や「lemon」や「USA」のようにブームになる曲は生まれるが、昔と比べるとそういう曲は格段に減った。それは私たちがネットを使って、自分達の好きな曲を聴くからだ。ラジオやテレビしか音楽の情報を得られなかった昔と違って、今はYouTubeでなんでも聴けてしまう。
そのネットが育んだ平成の音楽の中で、ボカロは大きな位置を占めていた。
上記リンクの記事は面白いので読んでみてほしいなと思った。まず今のSSWたちの分岐としてボカロによる影響があるかないかが大きくて、ボカロに出自を持つ須田景凪/バルーンやEveに、さらに影響を受けている下の世代がいるという。
柴:そうなんですよね。長谷川白紙さんや崎山蒼志さんは、今まさに新しく出てきたシンガーソングライターだけど、これまでの音楽シーンで積み重なってできた日本語表現の系譜がちゃんとある。米津玄師さんを筆頭にボカロ文化に携わった沢山の人たちが作り出したものを受け継いでいる感じがありますよね。
柴: wowakaさんが亡くなった時に長谷川白紙さんがTwitterで言っていたのですが、初音ミクが音楽シーンに出てきたあと、wowakaさんが誰よりも先に機械のボーカリゼーションを自分の体で表現した、と(参照)。あと同時代で成し遂げているのが米津玄師さん。wowakaさんと米津さんっていうのはある種のライバルだったし親友だった。ボカロは初期はキャラクターソングとして認識されていましたが、自己表現のツールとして捉え直したことで音楽的な発明が生まれた。そういうボカロ以降の音楽性の発展があった。
鳴田:私は去年から今年にかけて集まったとは思わなくて。自作自演のシンガーソングライターは、いつの時代にも必ずこれからもいるものだと思っていて。こういう表現をしている人たちは今までもいたし、絶対にこれからも続いていく。ただ、最近はメインストリームで活躍するアーティストたちが、グローバルトレンドの要素を取り入れたりして、日本と世界の境界線を飛び越えるような音楽を作って評価を得ている。一方で、日本人固有の表現ができるアーティストも同時に必要なものだから注目を浴びているのではないでしょうか。彼らの音楽は日本人でしかつくれない表現法だと思うんです。
引用すべて『Real sound』より「崎山蒼志、中村佳穂、長谷川白紙……新星SSWの新たな歌詞表現とは? 有識者3名の座談会【前編】」(上記URL)2019・5・3
2018年から今年にかけては多様な若いSSWたちが続々と世間に名を知られ始めている。彼らの登場の背景には少なからずボカロによって培われたネットの土壌があって、彼らの音楽には少なからずボカロ音楽の系譜の影響があると。私は音楽的なことには一切詳しくないので、ああそうかぁと思う他なかったのだけど、でもいち聞き手からしてもその傾向はなんとなく感じ取れている気がする。
元の話に戻ると、もう私たちはあの頃の初音ミクを取り戻すことはきっと難しいと思う。でも彼女のツール化とともに誕生した「ボカロっぽさ」は今も平成邦楽として根付き、後の世代にも強い影響を及ぼしていると思う。
もし再び初音ミクを復活させたいのなら、私たちが再び彼女を「未来の偶像」としてあがめることになるだろうけど、そのために必要な音楽はきっと今までの「ボカロっぽい」とは全く違うものになるのだと思う。混沌としたあの音楽を、新しく創生するのならば、きっとまた初音ミクは新しい形で蘇る。んじゃないかなぁと思う。たぶん。
耳かきサロンに行って数年ぶりに耳垢をとったけど、耳かきサロンのオーナーがサイコパスのB級スプラッタ映画アリじゃない?
先日耳かきサロンに行ってきました。
元を辿れば私はASMRが好きで、よくYouTubeで石けんとかをナイフで切る動画を見てはゾクゾクするのが趣味だった。
ちなみにASMR、そういう「気持ちいいすっきりする音」を求めていくと咀嚼音にたどり着くようで、YouTubeを見てる人なら咀嚼音の動画はおすすめとかによく上がってくると思います。私も数万人に登録されているようなチャンネルで、蜂の巣の咀嚼とか、なんかしゃれたラムネの咀嚼とか、「シャリシャリして気持ちいい音」を聞いていました。何かを食べる音って不快なはずなのに、それが「気持ちいいもの」として消費されて何万もチャンネル登録者数がいるとか、新しいカルチャーという感じで非常に興味深くもあります。クチャラーは嫌われるのに咀嚼音の動画が好んで再生されるってすごいですよね。
ですが一歩間違えるとそういった動画には「クチャァ……んふ……ン……すみませ……(すげぇウィスパー)息がもれちゃう……クチャ……」みたいな、ひとむかしまえのニコニコ動画の自称エロボ吐息動画みたいなインターネット地雷が混ざっているので怖い。
そういうわけでASMRを避けて気持ちいい動画を求めていくと、必然的に角栓抜きにたどり着くわけです(そうかな?)
でも残念なことに私は角栓抜きにエクスタシーを感じない人間なので、さらにおすすめ動画を辿っていき「他人のクソ汚い耳の中の掃除」動画にたどり着きました。でっっかい耳垢がとれたときの快感、あれは全人類共通の快楽だと思うのですが、その疑似体験にこのゴールデンウィーク後半はハマっていました。まあGWっていうか毎日が夏休みなんですけど。
このサロンの耳かき動画を死ぬほど見てました。
この動画は504万回再生です。
やばくない?米津のMVかよ。
他人の耳の中なんて覗きたくないに決まっているのにこれって、でけぇ耳垢をとることがどれだけ人類共通、人類普遍の快楽かがわかります。
このサロンの動画を見ているとどれも10万回は再生されていたりして、凄い。もう耳垢動画にはまっちゃって「耳垢 ピンセット」とか「耳垢 パイシート状」とかAVのカテゴリ指定並みの検索をして好みの耳垢動画をマジでず~~~~~~~っと見ていました。もうず~~~~~っと。ずっと。この人の耳の中きったねぇなあ、どうやったらそんなに耳垢たまるんだよ、とか言いながら。わざわざ半年耳垢溜めてサロンに?は~奇特な人もいるもんだなぁ、さすがに半年耳掃除してなかったら汚すぎるわ~~取りごたえあるな~~~~とか。言ってて。
私もう何年も耳掃除してないんですよね。
その事実にふと気づいて。自分の耳の中、こわくなっちゃって。
確か高校生の前半くらいまではお母さんに耳かきして定期的にとってもらってました。
さすがにもうお母さんに耳かきしてもらうのもなあと思って、自分でするようになったんですけど、自分じゃ加減がわからなくて、痒い限りしていたら耳から流血しちゃって、耳鼻科の先生に「耳かきは基本しなくていい。勝手に出てくる」と言われて。
それを信じて耳かきを一切やめてみたら、昔ほどかゆみが起こること自体なくなって、「耳かきすればするほど痒くなるって噂は本当だったのか~」と思って、ちょうどその頃ツイッターで「耳が痒いときが綿棒にベビーローションを塗ってくるくるしたらかゆみがおさまる」的なツイートがバズっていたのもあって、マジで数年自分の耳にノータッチで生きてきました。痒いこともほぼなくなったし、自分に耳垢という概念があることすら忘れてた。そんな忘れてたものを数年ぶりに呼び起こしてしまった。
動画を見てからめちゃくちゃ耳が痒い気がする。
ていうか勝手に耳垢出てくるんじゃなかったの?勝手に出てきてないじゃん、この動画の人たち。積み重ねて地層みたいになってる人いるじゃん。エ、もしかして耳垢が自然に出てくるのってデマなの?
ていうか私って耳の聞こえが悪いんですよね。聴覚テストに引っかかったことはないのですが、なんかこう、人に何か言われたときにそれを咄嗟に受け取ることができないというか。昔「窓ガラス」を「志村けん」ってマジで聞き間違えました。
聴覚テストは「ちゃんと聞くぞ!」と身構えているのではっきり聞き取れるのですが、日常の中でそれが苦手。すごく極端に言うと「おはよう」が「お」「は」「よ」「う」の字が聞き取れても言葉として受け取れずにバラバラになっちゃう感じ。まあ頭の問題だとは思うのですが、このときはもう耳垢がこびりついてるせいだとしか思えなかった。
もう慌てて「耳かき 大阪」でググって出て来たところに行きました。45分6000円。うーんいいお値段。でもあんな動画を観た後だとこわすぎてそれくらい全然払う。あと正直数年たまった耳垢を採掘する快感にお金を払いたい。
どうせなら一日自分メンテの日にしようと思ってヘッドスパと整体も予約してもう準備万端。
が、ちょうどその前日メンタルがヘルスになっていて、「あしたヘッドスパと耳かきと整体?わざわざ着替えて化粧して電車乗って?そんな高度なことできるわけない死にたいそんな体力も気力もない死にたい」になっていて無理かと思われたところ、翌日けろっと回復し無事出かけることに成功(髪を巻く元気までは回復しませんでした)。
乗り換えが面倒だったから別の駅から1駅歩くことにしたのですが、当日朝「あ!いける!今日いける!」という気持ちのあまり去年の夏の現場で履きまくって「縦にも横にもデカい」「その歳で夢展望の靴を履くな」と悪口を言われる原因になった10cmヒール(厚底)をノリで履いてしまい、脚が死にました。しかも大阪29度。半袖着たけどリスカ痕隠すためにカーディガン羽織ってるから普通に暑い。ふらふらになりながらお店に着いたら予約時間の30分前。早く着きすぎた。(私は軽めの強迫性障害持ちなので結構心配性です)
結局見知らぬ住宅街をぷらぷらして時間をつぶしていたのですが、知らない住宅街とか知らない町のセンチメンタリズムすごくないですか?知らないのに懐かしいし、知らないのに誰かがそこで生活していて不思議な感じがする。センチメンタルになってちょっと泣いちゃったのですが、ようやく10分前になったのでお店に再度訪問したところ、ドアが開かない。鍵がかかってる。ここでミュージカル刀剣乱舞~結びの響始まりの音~大阪公演でヘアメしようとしたら「店の人間が寝坊した」とかいうゴミみたいな理由で予約時間2分前くらいに一方的にキャンセル通知、すでに店についてた私は真っ暗で鍵のかかった店舗を見ながら茫然、そして謝罪一切なし、というマジでゴミみたいなおたくエピソードを思い出してしまい背中を冷たいものが流れましたが、電話をしてみたら「すぐ開けます」とのこと。(件のゴミみたいな店は後にツイッターでうっかり手が滑ってしまい晒してしまいました)
スタッフの女性に案内され背もたれの倒れたソファに横たわり、耳の中にカメラを差し込みながら耳かきしてもらいました。
ところでどうしてドアに鍵がかかっていたのかと尋ねると「最近奇声を上げる変な人が出没するから、店に押し入られたらこわいので鍵をかけてる」とのこと。大阪らしいなあと和みました。大阪にはマジでそういう人がいっぱいいるので。マジで東京の比じゃないくらい、日常の中に変なやべぇ人がよくいる。大阪。
スタッフさん「こういうの初めてですか?」
私「初めてです!」
スタッフさん「じゃあカメラ入れていくけど緊張しなくて大丈夫ですよ。自分の耳の中最初はびっくりするかもしれないけど……」
私「YouTubeで動画見てたから覚悟してるので大丈夫です~~…………耳毛多ッッッッ!?!?!?!?」
耳垢は覚悟してたのですが、耳毛の量に驚きました。そりゃジジイも耳からあんだけ毛出すわ。20歳そこそこでこの量なんだもの。伸び続けたらそりゃああなるよ。マジでジャングルのような耳毛に驚いたのですが、「耳毛の量は個人差ありますから」とスタッフさんからのフォローが入る。
耳垢をとる前に耳毛を切っていくのですが、よく考えたら他人に耳の中に鋭利な刃物を入れられてる状況ってものすごくこわい。冷静になると。もし私がこのスタッフさんの機嫌を損ねてしまったら、今すぐこの鋏で鼓膜を突き破られたっておかしくない。
まつげパーマをしてるときもいつも思うのですが、目も委ねてるときはものすごく無防備で、事故で目をつぶされないとは限らないし、意図的にやらないとも限らない。昔のいじめっことかが客として来たとき、目をつぶしたり鼓膜を破ったり、そういうことをしないと言い切れる理性は私にはない。どこで恨みを買ってるかは分からないし、もしかしたらこのスタッフさんも……とか考えだして正直モニターどころじゃない。
耳垢ごっそりの快楽に6000円払いに来たはずなのに、今まで見て来たB級スプラッター映画のシチュエーションだけが走馬灯のように頭を巡る。まつエクサロンのはまだ観たことないけど、美容室とかで首ちょんぱになる映画はある。わりとある。グリーンインフェルノの監督の笑顔が脳裏にこびりついて離れない。
(一応きちんと書いておくと、こういった耳かきサロンは医師法に抵触しないよう、鼓膜前1/3は触らないことになっています。実際鼓膜付近に耳垢のある人は耳鼻科を勧められるようです)
もし私がB級映画の監督だったとしたら、耳かきサロンのオーナーが実はサイコパスで、鼓膜を破って……って地味だから使わないかな。やるとしたら鼓膜を破ったあとメチャクチャ細長い棒を突っ込んで脳みそを生きたまま引きずりだすとか、そういう方法なら映像としてはアリかもしれない。ミイラをつくるとき鼻から脳みそ引きずり出したらしいし、そういう客をミイラにしてコレクションするオーナーが……とかくだらない現実逃避してみたけど、実際に殺人ホテルをつくってたヤバい殺人鬼もその被害者も実在するわけなので、無いとは言い切れないんだよなぁ。ましてや個人的に私に恨みがあって鼓膜を破壊する可能性はもっとあるし、さらに事故で鼓膜を破っちゃう可能性はもっと……とかかんがえてたらまじでこわくなって半泣きになった。
肝心の耳垢はというと、濃いアメ色の、カサカサ系じゃないやつが一つあるくらいで、正直拍子抜けした。地層じゃなかった。パイシート状も少しあったけど、一般的な耳って感じで、私がYouTubeでしこしこ見ていた猛者たちの耳とは全然違う。あれがよかった。私の耳、つまらない。持ち主に似て凡庸でつまらない耳垢。私の耳らしいなぁと思うと切ない。
関係ないけど耳垢がカサカサしてる人は弥生系、湿り気のある人は縄文系らしい。私は顔からして縄文系間違いないので、この説は意外とありうるんじゃないかと思っている。
私「なんかYouTubeで見て期待してたより耳垢ないですね」
スタッフさん「あれはすごい人だけが動画になりますからね~」
そりゃそうだ。
私「何もしなくても耳垢は勝手に出てくるって聞いたのでずっと耳掃除してなかったんですけど、実際そうなんですか?」
スタッフさん「人によりますね。出てくる人は出てくるし、出てこない人は出てこない。〇〇(私)さんは耳掃除してなくてこれなら、勝手に出てくるタイプなんだと思います」
私「そっかぁ」
スタッフさん「残念ですか?」
私「ちょっと……」
ていうかこんな微量の耳垢しか出ない耳ってスタッフさん的にもつまらないんじゃないか?と思ってびくびくする。つまらない耳ですみません、という気持ちになってくる。だって絶対ごっそり出てくる耳って大変だけどスッキリするに違いない。「やってやった!」みたいな気持ちになるはずだ。でも逆に「どうせ給料変わらないんだから、耳垢やべぇやつは割増料金にしろよ」とか思うのかな。どっちなんだろう。察することのできない店員さんの気持ちを考えてびくびくし続けてしまう。ていうか喋ると耳が揺れて困るかなと思って黙ってしまう。でも無口だと嫌味な客だと思われないか不安になる。
スタッフさん「耳の奥、鼓膜付近きれいですね~鼓膜もきれいです。色が濁ってないし。手前のところもつるつるしてて綺麗」
人生で鼓膜を褒められたのは初めてだけど、人に普段見せないところだから褒められると恥部を褒められたようで恥ずかしい。営業トークのお世辞かもしれないけど。だって人の鼓膜の良しあしは私には分からない。
婦人科で内診されたとき医者に膣のなか「意外と汚くないね」と言われた時の気持ちに似てる。なんか、そういうところの感想を言うの、やめてほしい。鼓膜も恥ずかしい。
耳かきのあとは耳及び首から首の付け根にかけてのオイルマッサージもあり、これで6000円なら妥当な額じゃないかなと思う。むしろお値打ちかも?
ちなみにマッサージに関しては全てがゴリゴリすぎて引かれた。
まあでもマジな話をすると、耳垢がそんなにおおくなくてもモニターで見ながら取ってもらうと本当にスッキリするし、マッサージも含めて耳のリフレッシュになると思います。自分で耳掃除は耳垢を押し込んじゃったり耳の中を傷つけちゃうリスクがあるので、他人にやってもらうのが一番だけど、耳鼻科に行くのはハードルが高いという人は耳かきサロン本当におすすめだと思います。
なんかサロンの人は女性ばかりだったし、安心できて落ち着きます。
ところで何か月くらいを目途に来ればいいんだろう?と尋ねてみたところ、「おおむね2か月くらい」とのこと。じゃあ次は7月に来ようかな、と出してもらったお茶をすすりながら考えていると「次はガッツリ耳垢溜めてきてくださいね!」。
やっぱり微量の耳垢しかない凡庸な耳はつまらないのかな。びくびく。
スタッフさんのガッツポーズと笑顔に耳垢をためねばならないプレッシャー。耳垢がなかったら鼓膜を破ってミイラにされるんじゃないかという裏をその笑顔に感じてしまう。生きたままミイラは嫌だな。そんなわけないけど。
その後予定通り整体に行ったのですが、問診票の飲んでる薬の欄に一応書いた精神薬をみた担当のオッサンに、一切の悪気がなさそうな営業トークの声色で「精神科通ってるんですか?(*^_^*)」「いつから通ってるんですか?(*^_^*)」「躁鬱かな?(*^_^*)」「どこの病院なの?(*^_^*)」「(長袖で隠してたリスカ痕見て)やっちゃったね~(*^_^*)」とか言われたし、例えば私が住所を「大阪府大阪市港区海岸通1-1-10」と書いていたとして(海遊館の住所です)港区どころか海岸通とかいうめちゃくちゃローカルな自宅周辺のことについてやたら聞いてきたり、プライベートのことずけずけ聞いてくるし、なんか最悪だったのでそこはマジで二度と行かねぇ。
1泊するオタクの持ち物なんじゃろな
https://t.co/8usK6mU2JD #odaibako_bunbun9922S
— BUN太 (@bunbun9922S) May 6, 2019
わたしも下手だけどええか?
上記のようなお題箱が来たため、引き続き特におもしろみのない中身を見せていきます。面白くはないのに身バレのリスクだけが高まっていきますね。
キャリーケース
1泊用にわざわざゴールデンウィークに梅田まで出向いて買いました。
しかし旅行用品店のキャリーケースの高価さと意外とそういう場所に1泊用がないという理由から、結局地元で買いました。梅田まで行ったのなんだったんだろ?
躁鬱の鬱期に頑張って行ったのですが、お母さんの新しいお財布を買えたので良かったです。唯一のゴールデンウィークの思い出です。百貨店で急に泣き出すヤバイ人になったのはしんどかったです。なんで勝手に泣いちゃうんですかね?わたしの涙腺がばがばすぎないかな。
ちなみにスパイラルガールのやつです。税込1万くらいです。買ったときから黒い汚れがあるのですが見なかったことにしています。
◆着替え◆
夕方に撮ったので若干禍々しい色合いですね。写真下手なので。
インナーや下着やストッキング類をいれてる小さめの袋です。一応ビニール袋とかも数枚持ってます(これロフトのですね)。
鞄を買ったときについてきた袋を流用しています。たぶん埃よけのための袋だと思うのですが、鞄は埃をかぶっています。
1泊だとインナー着てるし服は替えなくていいやって思うんですけど変ですかね?不潔だと思われたらどうしよう。でも荷物多くなるのイヤじゃん。煙草とかの匂いがついたらリセッシュするし。いまどきのビジホはリセッシュついてるから大丈夫。いざとなったら自力で洗おう。
◆物干し竿的なやつ◆
名前わからん。キツキツにいれられてなんか可哀想ですね。わたしインナーや下着などを汚れたまま持ち帰るのが嫌で、なるべく自力である程度洗ってから持ち帰りたいんですよね。なのでそれを干すためのやつです。浴室で乾燥かけたら翌朝にはカラッカラです。もうカラッカラ。干物くらい。
たぶん100均や無印に折り畳み式のがあると思うのですが、めんどくて探してないです。
◆充電器類◆
またでた。スナイデルのポーチです。
スマホの充電器およびウォークマンの充電器が入ってます。キンブレを使うときはなんかあの色を作って操作してキンブレに送れる白いやつも入ってます。
◆日用品系◆
またでた。スナイデルのポーチです。そのなかに入っているのが以下のものです。
①化粧水や乳液、クレンジング類(デパコスの試供品)(1泊ならこれでよくない?)
②洗剤(洗いたい)
③巾着袋。どこかへ旅行したときの旅館で、女性向けアメニティがそれぞれ柄の異なる巾着に入っていて、かわいかったので使ってます。中には、わたしは皮膚科通いなので病院関連のスキンケアや持病のお薬、洗顔料など。
④スプレータイプの日焼け止め。髪に使います。
⑤液体タイプの日焼け止め。体に使います。持ち運び用の日焼け止めは鞄にいれてます。
⑥ヘアバンド。黒い塊ではありません。
◆推しのカレンダー◆
配る気満々です。
去年のカレンダーは去年の暮れの真剣乱舞祭で配りきりました。カレンダーの意味は成してない。
セカンド鞄
オタクの鞄の中身はなんじゃろな - 現金満タン、ハイオクで。
基本的には鞄の中身は上記紹介した通りですが、遠征になると必要なものが増えるのでセカンド鞄を使ってます。トート系なら次の日からはキャリーに畳んでなおして、ふつうの鞄だけで過ごせるし、なんかまあ色々便利です。鮫が好きです。 鮫映画の浅い奥深さが好きです。
このトート、想像よりでかいよ。
◆化粧品一式◆
夜行を使う場合、翌日バスタのトイレなりVIPラウンジなりでお化粧するのですが、キャリーからいちいち取り出すのは面倒なので鞄のなかに。パンっパンです。
夜行の場合はこれとともに小さい洗顔料とオールインワンジェルも入れています。
◆本◆
真面目アピみたいで大変恐縮なのですが、基本的に現場に友達なんかいないので、現場なりそれまで時間潰してるカフェなりでの暇潰しとして本を持ってます。
スマホもまあいじるのですが、充電がこわいのと、根本的に周囲のオタクを信用していないため、あまり現場でスマホ(とくにツイッター画面)は開きたくないです。
このときはたまたま古井由吉でした。内向の世代とかいうらしいですね。よくわからないです。『円陣を組む女』を読んで「よくわかんねーけどわかったら面白いんだろうな」と思い、この本を買いました。ちょっとかっこつけの意味合いもあります。
ちなみにわたしは自意識過剰なので恥ずかしくて外で村上春樹を読むことができません。
◆キンブレ◆
オタク、ないと死んじゃう。
このときは推しがいなかったので2本ですが、普段はキンブレシート入りの6本くらいです。
場合によってはここにうちわが追加されます。
◆お茶◆
生存に大事
上のもの以外にも、ふつうの鞄にいれたいけど入らないものとかをガシガシ突っ込んでます。上の記事で持ってないときもあるって書いてるやつとかは大抵トートにいれてます。
という全く何の役にも立たなさそうな内容でした。
次は連泊するときにエントリを書くので、そのときにはあのなんか洗濯物干すやつの名前が分かっていてそれの折り畳み式を買ってるくらいの成長ができていたらいいなと思います。
【ガチ恋の妄言】ルルーシュはわたしの神様(仮)なのか
令和になってもルルーシュが好きだ。どうしよう。
そもそも私にとってルルーシュってなんだろう。ということを考えていた。
ごはんを食べているときも、お風呂に入っているときも、友達としゃべっているときも、ミュージカル刀剣乱舞を観ているときも、ずっとルルーシュのことを考えている。
幸いにも刀ミュ新作期間と復活のルルーシュ上映期間が被らなかったため、事なきを得たが、うっかり被っていたら日本青年館でルルーシュのことしか考えられなくなって内容が全く頭に入ってこなかったと思う。
話はそれるが私は現在メンタルのヘルスがちょっと悪化していて、元々出勤に都合がいいからと月の1/3くらい梅田のワンルームマンションで過ごしていたのだが、いまはオール実家だ。どこへ行くにも母の送迎つきで、ODがばれて薬の管理も母がしてる(情けない)。そもそも処方箋の抗不安薬抗精神薬なんかバケツ一杯飲んだって死ねないなんて常識じゃん、と「ODイコール死」だと思っている母に言うのも面倒でそのまま管理を委ねた。どうせメンクリに行くような人間は酒で薬ODするに決まってるんだから医者は多めに薬出せばいいのに、とか思う。食事は部屋の前まで持ってきてもらう。完全なニートだ。(毎月給与は入ってきてるのでその点は大丈夫)
日がな1日ぼーっとしてると、「こんなんじゃルルーシュに嫌われちゃうかな」と思う。
元々私のメンヘラが悪化したのをどうにかしようとしてくれたさきちゃん(私のツイッターを見ていると頻繁に登場しますが実在人物です)は、私がお金のために身を粉にしてぎりぎりスケジュールで生きてるのを心配してくれた。
自分でも「マジで長生きなんか微塵も考えてない生き急ぎ方してるな」とは思った。
職種内容に差はあるが、私の具体的なスケジュールを想像したかったら「ホス狂 鬼出勤」とかで調べてほしい。ホス狂じゃないけど。
(ふつうに面白いから観てください)
そんなわけで新しいメンクリにかかる前のギリギリのときの私は何を考えていたっけ、とLINEをさかのぼってみた。
ルルーシュに助けられたがっていた。私にとってルルーシュって何だろうと思った。
ただ「好きなキャラ」とか「推し」とか「ガチ恋」とかではおさまらない気がする。
私とルルーシュの詳しいなれそめ(?)及び私のガチ恋加減はこっちを観てくれたらと思うが、メンヘラのときも彼に助けを求めている。(上記記事参照)
私にとってルルーシュはたぶん神様だったのだ。
それはひな鳥の刷り込みに近くて、小学生のあの日に彼を観て好きになって、学校でちょっと嫌なことがあってもルルーシュのことを考えたら耐えられて、それがどんどん大きくなってしまってメンヘラのときも最初にすがるものになってしまった。
今も考えながら、ルルーシュが助けにきてくれたらいいのになと思う。とんだ他力本願だ。でも彼が来てくれて頭を撫でてくれたら私の全ての悩みも解決するし、なんなら世界の紛争とか飢餓問題とかなんかそういうのも解決するような気がしてる。彼ならできないことはないし、あの手のひらさえあればなんでも解決するに違いないと、どこか思っている。もうハタチもすぎたのにね。彼の年齢も超えてしまった。
なんで頭を撫でてほしいんだろう。そう思えば、はじめてルルーシュを観た頃、母からの愛を無性に渇望してたなと思い出す。私は今時フロイトを信じるのはカルト並にやべぇと思っているし、「母性」は女性に押しつけられた都市伝説だと思っている。だから母から与えられるものをうまく自分のなかですなおに消化できずに大人になってしまい、結果的に、ひな鳥のように、あのとき惚れたルルーシュに私を救ってくれる無限の愛をくれる役割を期待しているのだ。
ルルーシュに感じているこの万能感、それは幼い子どもが親(現状特に女親)に対して抱く万能感と同じではないかと思った。子どもは親に万能感を覚える。お母さんに知らないことはない、お母さんにできないことはない、お母さんが大丈夫って言ったらなんか大丈夫な気がする。その感覚をルルーシュに抱いている。
きめぇなと思う。
男性オタクをみていると、冗談半分で幼い女の子キャラに「ママ」と言う一種のカルチャーが存在するが(輸入的な形で現在女性オタクにも見られる。その場合の対象はBLにおける受けキャラであったり、ガチムチだけど胸筋が豊富で優しいキャラだったりと、「女性的」役割を仮に担わされているケースが多い)、ときおりなんてグロテスクな文化だと思う。
物言わぬキャラに「母性」を与えてしまうのは果たして現実に影響はないのか、そもそも「母性」を、ノストラダムスも20年前に死んでしまったこの「未来」で盲信していいのかなと思う。幸いなのは現実のひとにその役割を担わせないことだけど。
そして私もそのオタクのひとりである。単純な話だった。
私は彼に「ママ」を求めていると感じたことはないが、突き詰めたらそういうことなのだと思う。苦境の淵で、どん底で、彼に頭を撫でてほしいと願う。抱きしめて「大丈夫だよ」って言ってくれたらなんだってできる。24時間戦えるし、メンヘラになることもたぶんない。
多感な時期をメンヘラとして過ごし、同時にルルーシュのことを考えて生きてきたから、私にとって思春期の象徴もルルーシュだ。つまり恋の対象だ。曲がりなりにも中高生のときに彼氏はいたがまああまりいい思い出はない(彼氏が蒸発した話はまた追々)。
なので私にとって恋はルルーシュだし、ルルーシュは恋だ。
なんかもう書いてて自分がきつくなってきた。
つまりルルーシュに「母」の象徴と「恋人」の象徴を求めてることになる。あ~~~~~きつい。女に聖母と娼婦を見るのと何がちがう?なんかもう死にたい。
こんなエントリを書いておきながら、という感じがする。
私はルルーシュに「ママ~!」的なツイートをしたことがなかったし、ガチ恋とはいえ生々しい性欲を絡ませたようなツイートをしたこともなかったので気づかなかった。
生々しいといえばルルーシュとセックスしたいのかと言われたら「わかんない!」としか答えられない。例えば男性向けエロみたいながちゅがちゅしたようなセックスはしたいとは思わないし、想像できないし、なんか違う気がする。リアルに想像したら、ルルーシュ体力ないからたぶんあんなパフォーマンスセックスできないし。(便宜的に男性向けって言葉使ってます)
少女漫画みたいなやつなら、想像できるし、したいかもしれない。でもそれって性欲の絡んだセックスというよりは、壁ドンされたいとかバックハグされたいとかと同一線上にあって、少女漫画のセックスはセックスじゃない、ような気がする。
言い換えるなら精神感応?
出典をはっきりとはさせられないのだが、以前男性から女性に性転換した方が男女の性欲の違いを「男の性欲は〈相手を食べたい!食らいつくしたい!〉って感じで、女の性欲は〈相手の風景になりたい(イメージ画像『ハチミツとクローバー』)〉って感じ」と語っていたのを思い出す。個人差はあるだろうから少なくともその方のいち経験則としか語れないが、でもなんかわかる気がする。
少女漫画のセックスってこれだと思う。そして私はルルーシュにこういったことを求めているのなら、やっぱり私にとってルルーシュは「性」でなく「恋」の象徴なんだと思う。(だからちょっと聖母と娼婦とは微妙に違うかな?)
わかる、ルルーシュに見られたいもん。なんかめっちゃきれいな景色のとこでルルーシュに見られたい。それでルルーシュの方から私の手に触れてほしい。やっぱり少女漫画のセックスってセックスではなく精神感応な気がする。
こんなメンヘラのよりどころにされたあげくに人格も無視されて可哀想なルルーシュ、ごめん、でも好き。
世間はゴールデンウィークではしゃいでる中、私は一日ぼーっとしたり泣いたり暴れたり酒を飲んだりしていたのだが、死んでもいまコードギアスのDVDは観られないなと思った。
私とルルーシュ、彼我を比べて、自分のいまの現状を考えて、余計に落ちてしまう気がする。
私がメンヘラのとき助けてほしがっているのは「私の中のルルーシュ」であって、「本物のルルーシュ」ではない。「本物のルルーシュ」の方を見たら落ちてしまう。
結局私が彼に求めているのは真実性ではなく虚構性だ。母の影であり恋の思い出だ。
でもきっとこれは私だけではなく、2次元3次元限らず誰かに傾倒しているおたくはきっとみんなそうだ。本物じゃなくて自分のなかのそれを崇めている。
まあキャラクターだし被害者がいないからいいじゃん、と言ってしまえばそうなのだが。
復活のルルーシュを見た際にこう書いた。
彼が大人の都合で生き返らされた感は否めなかったが、むしろそのことで彼が二次元の偶像なのだと実感した。初恋の人が死んでしまったということがずっと辛かった。ようやくルルーシュのことを一つの偶像としてしまっておくことができる気がする。
ようやく初恋を終わらせることができるのかなと思った。
これには訂正を加えないといけないなと思う。
私は『復活のルルーシュ』を見て、ルルーシュが意思を持たない二次元の産物であると自覚したと書いたが、そうではなく、上記の流れになぞらうならば、私は心の奥底では彼が偶像であり意思と人格を持たないキャラクターであると認識していた。
そしてその空洞性をもってして自分の人生の救い主に彼を設定したのだ。
となれば私はずるくて卑怯だなと思うし、まあでもオタクってみんなやってるだろうしなとも思う。
ゴールデンウィークはそんなことに気づいて、ちょっと自己嫌悪に陥って過ごしている。
でも自分の人生を楽しめているときは、私はコードギアスのDVDを観て本物のルルーシュを楽しめるし、本物のルルーシュのことを大好きだって言える。
ルルーシュに恥じないためにも、彼の人格を尊重するためにも、自分の人生を上向きにしないといけないし、「明るく楽しく生きたい」と思えるのはやっぱりそうした「私の思い通りにはならない本物のルルーシュ」がいるからだ。
そう考えると、虚構のルルーシュを自分の人生の神様に設定したのはあながち間違いでもなかったかもしれない、と思ったり思わなかったり。
まあ要するにずっとルルーシュに気が狂ってるオタクだという話です。