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たぶんもうあの頃の初音ミクは戻らない

んじゃないかなと思う。

オワコンの向こう側と言われて久しいVOCALOIDの現状を悲観する記事は1億回書かれているとおもうのであまり言及はしません。が、先日、wowakaさんの訃報をきいてから、色々と当時のVOCALOIDを懐古してしまい。

VOCALOID全盛期に中高生だったオタクのただの懐古ブログです。

 

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砂の惑星」いい曲だよね。米津のボカロがやっぱぼかぁ好きだなあ、とか思ってたんですけど、wowakaさん亡くなってからヒトカラしてたら「砂の惑星」歌いながら泣いちゃって。自分がメンヘラガバガバ涙腺なのもあるとは思うのですが、やっぱり私にとってVOCALOIDって大きかったし憧れだったし、きっといつかこの鮮明な感情は薄れてしまうから、その前に涙腺ガバガバな恥を全世界に晒してでも自分のために記録して記憶しておきたいなと思いました。

 

 

ボーカロイドが流行るとともに流行ったのが歌い手で、もう良くも悪くも一大ブームになりました。今思えば歌い手なんだから一番に求められるのは歌唱力や表現力であるのが自然なのに、このときは違った。

歌い手に求められていたのは「人間らしくないこと」だったと思う。

例えばボーカロイドの声真似が一番に挙げられる。特にショタ声に分類される鏡音レンの声真似をする歌い手は男女問わず多く、そうした「ボカロに声質が似ている」というのはヒットする要因だった。

 

それから「多声類や両声類であること」も歌い手が(今っぽくいうなら)バズるためにとても重要なことだった。歌い手になりたい子たちは、例えば多くのプロ歌手がそうであるように「1つの歌声で歌唱力や表現力を上げること」ではなくて、「あらゆる声を出せること」を追求していた。そしてボイチェンなどは使わず、地でそれが出せることが求められた。

両声類とは (リョウセイルイとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

(上記リンクでは2007年が発祥であるとされ、その発端が「りゃく」や「vip店長」であるとしている)

このとき有名な歌い手には、例えば多声類である両声類である赤飯さんや、地の声質が非常に女性的である男性のピコさんやvip店長さんなどがいた。(もう当時は多くの歌い手がいて書ききれないので、今パッと名前を思い出した数名のみ名前を上げています)

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もちろん1つの声色で歌う歌い手も多くいたけど、より人気を博すのならば、この多声類や両声類であることは非常に求められたし、女性がまるで男性であるような、男性がまるで女性であるような声を出すことは重要視された。これは今思えば性別を超越する必要があったのかなと思う。

 

そしてまた重要視されたのが「ボカロのように機械っぽく歌うこと」。ボカロが歌う曲を人間が歌い直すんだから、むしろ人間らしくなめらかに歌った方が人気がでるんじゃないの?と思うのだが、当時はそうではなかった。機械っぽく歌う人がもてはやされていたのも事実としてある。加工を使わずにあの独特の歌声に近づける人は、コメントで「すごい」と言われた。

 

呼応するように、ボカロ曲で出されたのが「歌ってみろ」というタグがつくような高音で高速な曲だった。これは今でも「ボカロっぽい」と言われる代表的な作風で、米津が言っていたようにこの「ボカロっぽい」をつくったの一人は確実にwowakaさんだった。(ここでいうボカロっぽいは、高音高速以外にもあるが、とりあえずおいておく)

そしてその「歌ってみろ」といわれる曲を歌い手が歌い、「人間を辞めてる」「野生のボーカロイド」と言われ、さらに歌うのが難しい曲をボカロPが出していく。その繰り返しで、なんかどんどんレベルが上がる夏祭りの型抜きみたいだなぁと思ったのを覚えている。(重ねがさねになるが、歌い手全員が該当するわけではない)

 

ただやっぱりボーカロイド文化を歌い手が支えた面は非常に大きかったと思う。今では歌い手頼みになっている状況が否めないが、当時はうまく共生していたと思う。人気の歌い手が歌えばマイナー曲でも人気になる。私がそれを実感したのは2011年投稿の「盲目少女暗闇生存中」で、中毒性のあるメロディと歌詞だが、シンプルで素朴な造りになっているため、「びす」などの有名歌い手がこぞって歌い始めなければここまで評価はされなかったんじゃないかな?と思う。どうしても聞き手は素人なので、シンプルな曲って良いのか悪いのか評価しづらい面がある。

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当時はそれでお互い良い影響を与えていたのが、今は歌い手が歌わなければ人気になれないのかなと感じる。なんかこう、比重が歌い手に傾きすぎたというか。

ボカロPの「ボカロっぽい」、「歌えるもんなら歌ってみろ」みたいな、そういう人外的な曲を歌う歌い手っていう構図、今はそんなに見なくなった気がする。当時は溢れかえっていたのに。  

 

(追記2019.5.20

思ったより色んな人に読まれているので追記します。上記「歌い手がボカロを支えた面がある」というのは、歌い手文化に馴染みがなかった人からしたら甚だ疑問だと思う。だけどまず歌い手、それから踊り手や、絵師によるファンPV作成など、ボカロがある種の多様なメディアミックスのような形で支えられていたのは事実としてあると思う。ボカロの流行には、そういう、「ボカロP」と「ボカロ」以外の、受動的存在から主体的な存在となりメディアミックスのように多様に展開していったファンたちの存在が大きい。その一つとして、まずブームになった歌い手というミックスがあったと思う。ということを言いたかったのだけど、初音ミクの懐古的な趣旨からは外れていってしまうので、言葉を省いて手短に書いた。ら、誤解を招いてしまったようなので追記します。)

 

 

結局根底にあるのは、果てしない「ボカロへのあこがれ」だったと思う。

ボカロのような声質で、人間的ではない性別を超越した声色をしていて、幾人もの声が出せて、機械っぽく歌う。当時の歌い手の人気の傾向を見る限り、限りなく私たちはボカロになりたがっていた。それは恐らく機械へのあこがれだったんじゃないかと思う。

人間が限りなく「機械っぽい」ことが愛された、面白い時代だったと思う

 

今私たちにとって、アンドロイドや人工知能は「当たり前」になりすぎた。もはやファンタジーではない。そこに確かにある現実になってしまった。私たちは自宅で気軽にVR体験ができる。ヘッドセットだって手が届かない値段ではないし、都会ではVRアミューズメントがいたるところにあるし、なんなら百均でヘッドセットを組み立ててスマホをはめれば、私たちは気軽にファンタジー世界へトリップできてしまう。

ボカロが流行ったゼロ年代から2010年ちょっとまで、初音ミクは未来の存在だった彼女は現実の人ではなかった。ファンタジーの人だった。

当時の私たちにとってVRなんて星新一の世界で……とまではいわないが、宇宙旅行くらい「まだ手の届かない未来」だった。アンドロイドに夢を抱くことができた。ターミネーターなんてこわいお話があるが、あれをまだまだ先の遠い未来の話だととらえることができた。

今はもはや一切が現実である。当時の私たちが初音ミクに、ボカロに、ひいては機械(アンドロイド)(人工知能)に対して抱いていた憧れはもう抱くことがきっとできない。あのときは「なりたい」と思えたけど、もう思えない。それらは現実であり、現実における私たちの脅威になりうるし、その脅威はもはや身近に感じていて、私たちにもたらされる恩恵もとても「リアル」で「生々しい」恩恵だ。あのときのように、機械にユートピアを見ることはもうないんだと思う。あのときは機械にロマンを感じていた。たぶん。

今は「機械にはできない人間らしさはなんだ?」が追求される時代で、よく「50年後も生き残る職業」予想なんかが盛んに行われている。師の職業は消えないけど士の職業は消えるとか。

ボカロはちょうど、機械に生々しいリアルさも脅威も感じることがないほど「未来」で、でも適度に憧れを抱けるほど「現実的」な、その狭間の時代にちょうど成り立った歌姫だったんだと思う。現実味と非現実味のちょうどいい時代に彼女は成り立った。

 

初音ミクは未来から来たから初音ミクという名前らしい。

もう彼女が「未来」ではなくなった私たちにとって、それは「現実」だ。もうあのときのように、ドラえもんのように、きらきらと憧れることはきっと難しい。

 

だからきっともう、あの頃の初音ミクはもう戻らないのだ。

変わってしまったのは初音ミクとその音楽じゃなくて多分私たちと時代なのだ。

 

 

だけど一方で、「ボカロっぽい」はまだ生きている

元号が変わり令和になったが、平成の邦楽はインターネット……ニコニコ動画YouTubeに支えられて栄えることとなった。ハチさんの米津としての飛躍もそうだが、ボカロ全盛期に人気だったボカロPたちは、人間の声を使って今も邦楽を支えてる。(ヒトリエの音楽はもっと聴きたかった)

ボカロから視点を変えても、例えば配信という面で、神聖かまってちゃんのようなロックバンドがネットから誕生し、今も邦ロックを支えている。近年のYouTuberブームの中での彼らの音楽デビューもそうだが、そもそもニコニコ動画YouTubeという媒体そのものが平成の音楽を支えた。

今はもう音楽番組で「今週のベスト10」のようなものを、昭和に比べると全然しなくなった。それは大衆に共通する「ヒット曲」が存在しなくなったからだという。今でも「恋」や「lemon」や「USA」のようにブームになる曲は生まれるが、昔と比べるとそういう曲は格段に減った。それは私たちがネットを使って、自分達の好きな曲を聴くからだ。ラジオやテレビしか音楽の情報を得られなかった昔と違って、今はYouTubeでなんでも聴けてしまう。

そのネットが育んだ平成の音楽の中で、ボカロは大きな位置を占めていた。

 

realsound.jp

上記リンクの記事は面白いので読んでみてほしいなと思った。まず今のSSWたちの分岐としてボカロによる影響があるかないかが大きくて、ボカロに出自を持つ須田景凪/バルーンやEveに、さらに影響を受けている下の世代がいるという。

柴:そうなんですよね。長谷川白紙さんや崎山蒼志さんは、今まさに新しく出てきたシンガーソングライターだけど、これまでの音楽シーンで積み重なってできた日本語表現の系譜がちゃんとある。米津玄師さんを筆頭にボカロ文化に携わった沢山の人たちが作り出したものを受け継いでいる感じがありますよね。

 

柴: wowakaさんが亡くなった時に長谷川白紙さんがTwitterで言っていたのですが、初音ミクが音楽シーンに出てきたあと、wowakaさんが誰よりも先に機械のボーカリゼーションを自分の体で表現した、と(参照)。あと同時代で成し遂げているのが米津玄師さん。wowakaさんと米津さんっていうのはある種のライバルだったし親友だった。ボカロは初期はキャラクターソングとして認識されていましたが、自己表現のツールとして捉え直したことで音楽的な発明が生まれた。そういうボカロ以降の音楽性の発展があった。

 

鳴田:私は去年から今年にかけて集まったとは思わなくて。自作自演のシンガーソングライターは、いつの時代にも必ずこれからもいるものだと思っていて。こういう表現をしている人たちは今までもいたし、絶対にこれからも続いていく。ただ、最近はメインストリームで活躍するアーティストたちが、グローバルトレンドの要素を取り入れたりして、日本と世界の境界線を飛び越えるような音楽を作って評価を得ている。一方で、日本人固有の表現ができるアーティストも同時に必要なものだから注目を浴びているのではないでしょうか。彼らの音楽は日本人でしかつくれない表現法だと思うんです。

引用すべて『Real sound』より「崎山蒼志、中村佳穂、長谷川白紙……新星SSWの新たな歌詞表現とは? 有識者3名の座談会【前編】」(上記URL)2019・5・3

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2018年から今年にかけては多様な若いSSWたちが続々と世間に名を知られ始めている。彼らの登場の背景には少なからずボカロによって培われたネットの土壌があって、彼らの音楽には少なからずボカロ音楽の系譜の影響があると。私は音楽的なことには一切詳しくないので、ああそうかぁと思う他なかったのだけど、でもいち聞き手からしてもその傾向はなんとなく感じ取れている気がする。

 

元の話に戻ると、もう私たちはあの頃の初音ミクを取り戻すことはきっと難しいと思う。でも彼女のツール化とともに誕生した「ボカロっぽさ」は今も平成邦楽として根付き、後の世代にも強い影響を及ぼしていると思う。

もし再び初音ミクを復活させたいのなら、私たちが再び彼女を「未来の偶像」としてあがめることになるだろうけど、そのために必要な音楽はきっと今までの「ボカロっぽい」とは全く違うものになるのだと思う。混沌としたあの音楽を、新しく創生するのならば、きっとまた初音ミクは新しい形で蘇る。んじゃないかなぁと思う。たぶん。