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初恋の男が生き返ってしまった (「コードギアス復活のルルーシュ」におけるガチ恋の感想)

初恋の男が復活してしまった
コードギアス 復活のルルーシュ」という映画の話だ。


私にとってルルーシュは初恋だった
小学生のときだったと思う。
当時やっていたブラックジャックのアニメ版にはまっていた私は、ブラックジャック21が終わることが悲しくて「終わらないでほしい(;;)(;;)」とのたうちまわっていた記憶がある(自覚はなかったがすでに痛いオタクの片鱗はみせていた)。
そのとき合間のCMで見た。白くて紫の目をした黒髪の男の子。「かっこいい!」と思ったことを覚えている。アニメタイトルもキャラクターの名前も知らなかったが、とにかく「なんて綺麗なんだろう」「すごくかっこいい」と思って、雷に打たれるような衝撃はなかったが、胸の中に墨汁のしみのようにその男の子の姿が執拗に残っていた。
その後機会があり再放送で見たコードギアス1期。まぶたの裏にこびりついた彼の姿はもちろん、その性格にも全て惹かれ、そしてまたコードギアスというコンテンツ自体を一生抱えることになるくらい大好きになった


劇場版の「復活のルルーシュ」の感想。
(以下ネタバレを多少含むかも。あくまでいち個人の感想です)
率直に言えば「どうして復活してしまったのか」だった。
私は彼の死が好きだった。死も含めてルルーシュだった。彼が彼の「撃って」きた罪に対して「撃たれる」覚悟のあった、その生き方が心底好きだった。
最初に「復活のルルーシュ」の話を聞いたとき「なぜ彼を起こしてしまうのか」と思った。さながら、ルルーシュ(の抜け殻)が生きていることを知ったとき、CCに激昂したカレンと同じような気持ちだった。

彼は脚本の中では確実に死ぬべきだった。それがゼロレクイエムの本質だ。もちろんここで死を要求されるのは「ルルーシュ」ではなく「悪逆皇帝ルルーシュ」という記号にすぎないし、大衆の前で「死ぬ」ことが叶ったのならば、ルルーシュといういち個人がひっそりと生き延びていてもゼロレクイエムに支障はない。
ただ彼は死なねばならなかった。「撃っていいのは撃たれる覚悟のあるやつだけだ」という口癖にあるように、彼は今までの罪の対価を、覚悟を必要とした。
「死ぬよりも生き続ける方が苦しい」という人もいるだろう。鬱病を経験した私にもそのことはわかる。だがたとえ死ねない体になろうと、化け物になりはてようと、殺してきた罪の対価や殺すことへの覚悟にはなりえない。
死はそこで完全なる遮断である。永遠の無である。生きることは死ぬことの対価には決してならない。
だから殺してきたルルーシュは死なねばならなかった。コードの継承やらなんやらの理由をつけられても、「やっぱり生きたい。死ねない体で生きることが償いだ。」なんて言い出させたら、それはルルーシュという人格へのレイプだと思った(重ね重ねですがいち個人の感想です)。

ロボットアニメは先細りする業界だという。もはやヒット作は望めない、全て出尽くした、と語られている。その中で、まだロボットアニメが栄えた時代の残したもの、ヒットタイトルであるコードギアスを使って商業を展開したいという大人の気持ちを「亡国のアキト」の話を聞いたときに強く感じた。
もちろん実際にどうであったかは分からない。
ただやはり死んだルルーシュを起こして「復活」を作るというのは、総集編を含め、どうしても『大人』の気配を背後に感じてしまった。

ただ一つ強調したいのは、私はいずれの作品もとても楽しみにしていたということだ。コードギアスという世界が大好きだからだ

ただ潔く死んでいったルルーシュを、寝た子を起こしてまで、復活させるほどの大義はあるのだろうかと思った。
私は死んだルルーシュが好きなのだ。心の底から生きていてほしかったと思いながらも、死んでしまった彼のことが大好きなのだ。


話の内容自体は悪くなかったと思う。懐かしい顔ぶれが「あのあとの世界」を生きているというだけで胸が高鳴った。
「復活のルルーシュ」はアニメ本編のその後ではなく、総集編のその後だった。
私は幸いなことに妙に碇ゲンドウが優しくてみんなの名前が変わってたりする新劇場版エヴァを「そういうもの」としてほとんど違和感なく楽しめるし、あんなに酷評された実写版進撃の巨人も「世界観が同じだけの別物として見たら結構面白いじゃん」とリピートして観に行った性格の人間なので、今回の本作に関しても「まあアニメとは別か」と観ることができた。

ルルーシュの意思ではなく復活してしまった、という設定なのでまあ許容できた。私はルルーシュを生き返らせたりしないCCが好きだったのでそこはうーんとなったが。
正直なところご都合主義感は否めなかったし、ラストに至っては「このルルーシュなんか年1くらいで黒の騎士団にもナナリーやスザクの元にも顔出しそうだな」って思ったのでもやもやしたけど。なんかルルーシュにやたら優しい世界だなって思ったけど。ルルーシュとスザクの2人で背負って分け合った罪と罰がなくなった感じがして色々思ったけど。

でもなんかもうどうでもいい
私の好きなルルーシュはあのとき確かにスザクが演じたゼロという記号に殺されたし、絶対に生き返ることはない。私の中ではそれでいい。スザクも罰としてゼロという仮面とともに生きていくし、ルルーシュは永遠にその名を最悪の皇帝として人々に記憶される。

「復活のルルーシュ」は完全なアナザーストーリーだ。
むしろシャーリーの生きている別の世界の続編としてこれを作ってくれたので、アニメ本編と分けることができて安心している。
本音を言えば、観に行くまでとても恐ろしかった。「これはルルーシュじゃない」と思ってしまわないかが怖かったのだ。大好きなコンテンツを嫌いになりたくなかった。
でもあれも間違いなくルルーシュだった

映画が始まった瞬間に涙があふれてきた。ルルーシュだけでない、このコードギアスという作品全てが好きだったから、感極まってしまった。
そしてまた「長かったな」と思った。長かった。
私はずっときみのいない世界を生きてきたんだよな、と思った。ルルーシュが死んだあとの世界をずっと生きてきた。


小学生当時の私は、ルルーシュが死んでから一年近く頻繁にルルーシュの夢を見た。ルルーシュが死んでしまって、助けられなくて苦しむ夢だ。夢の中で私はルルーシュを助けたい、生かしたい、と思っていた。たかがアニメキャラに、と思う人も多くいるだろうし、私も彼がアニメキャラであることは十分理解していた。ただその垣根関係なく、小学生の私はルルーシュに恋をしていた。
(書いてて気づいたけど最終回観たときは中学に上がってたかもしれない、よく覚えてない)

一度インフルエンザにかかって40度の高熱にうなされたとき、医者からタミフルを処方された(らしい)。子どもがそれの影響でベランダから落ちたりして死んでしまった事件が多くあったため、子どもに処方するときは親の監視が必要だった(らしい)。ともかくそれを飲んでうなされていた私を監視していた母曰く、私は高熱のさなかずっと「そこにはいないはずのルルーシュ」に話しかけていたというのだ。こわい。泣き出したりもしていたらしい。こわい。
精神を病んでいたとき幻覚幻聴の症状にさいなまれたりもしていたが、そのときいろんな虫や化け物やなんかよくわからないものが見えたり聞えたりするなか、落ち着いているときはルルーシュの声が聞えた。それは幻聴であると自覚していたが、錯乱したなかで数少ない落ち着く幻聴だったことを覚えている。
鬱病が悪化していたときは自殺願望が著しく、何度か未遂をしていたのだが、生きることの恐怖から逃れて死んでしまおうという意識のなかで「でもルルーシュは生きられなかったんだよな」と考えたりしていた。痛いことや苦しいことがあってもルルーシュの苦しさを考えては頑張っていた。もう彼はいないしコードギアスは終わったけれど、彼の残した明日を生きたいと本気で思っていたりもした。
こんなメンヘラリアコのよりどころにされてもルルーシュも困るだろうとは思うが、ルルーシュのことが本当に大好きだった。

私は現在2.5次元や俳優に熱を上げているが、歌い手やバンドや芸人、ジャニーズや地下ドルなど様々な三次元の男を通って(?)きた。時折友人に「じゃあ今の推しとルルーシュ、どっちかが生きてどっちかが死ぬって言われたらどうするの?」といじわるな質問をされることがあるが、私は現実を生きているのでそこは天秤にかけようもない。生身の人間である推しだ。
でももしそういった垣根なく全てフラットな世界なら間違いなく迷わずルルーシュを選ぶ。


延々CCといちゃいちゃしている姿を見てガチ恋の人格も腐女子の人格も死んだが、CCのことも大好きなので何も言えない。というかCCになんだかんだ甘くて共犯なルルーシュのことが好きなのだ。CCなくして私の好きなルルーシュは完成しない。
もちろんそれはナナリ-、スザク、ロロ、シャーリー、ユフィ……すべてのキャラに通じて言えることだ。

ルルーシュのことが好きだ。
私の物になってくれなくても、CCとイチャイチャしていても。

 

ずっとアニメ本編のあとの「もしかしたら生きてるかも」という可能性の示唆が苦しかった。
私は死んだルルーシュが好きだが、生きていてほしかった。でも死んでいてほしい。
アナザー世界線という感覚ではあったが、こうしてルルーシュの生きている姿を見たことで、胸のつっかえがとれた気がした。解放された気持ちだ。ルルーシュの生死にずっと囚われているのは苦しかったのだとようやく気付いた。
彼が大人の都合で生き返らされた感は否めなかったが、むしろそのことで彼が二次元の偶像なのだと実感した。初恋の人が死んでしまったということがずっと辛かった。ようやくルルーシュのことを一つの偶像としてしまっておくことができる気がする。
ようやく初恋を終わらせることができるのかなと思った。

「復活のルルーシュ」で思ったことは、みんなうっすら不幸だということだ。みんなうっすら不幸だけどうっすら幸福になりたいから生きている。報われなかった者たちも多くいるが、その人たちも死のその先で救いがあるかもしれない。だから「明日」という時間軸があるのだと思った。そしてその「明日」の存在を世界に教えたのは紛れもないルルーシュだ。


一生私はルルーシュのことがすきだ。
そして「復活のルルーシュ」がヒットしますように。
そして私とコードギアスを出会わせてくれたロボットアニメというコンテンツが再び不死鳥のように復活してワクワクを経験させてくれますように。