現金満タン、ハイオクで。

サブカルチャーがだいすき。ツイッターの延長なので詳しくはツイッターを見てくれ。

女の子がコンテンツの正当な消費者として認められること

 

「ガールズバンド」って言い方が好きじゃない。
2ちゃん(今って5ちゃん?)を見ていたら、「tricotはガールズバンドとして売り出すにはパンチが強すぎる」って書いてあった。彼女たちのセンスや技量を褒めたんだろうけど、全然気持ちよくない褒め方だなと思った。

youtu.be

(私はこの曲を寝る前に聴くのが好きです。)

 

「ガールズバンド」という言葉には、「女の子のバンドって音楽としてはそんなにいいわけじゃないけど若くて可愛いよね」みたいなニュアンスがある気がする。ガールズバンド、イコール、「ミュージシャンとして大成しないけど、可愛ければ可愛いほどいいよね」という風潮が、世間にないと言い切れるんだろうか。

あと「ミスiDはメンヘラ」も嫌い
私もメンヘラなので自虐として使うときはあるけど、他者が若い女の子を指すときの「メンヘラ」にはその子の価値を薄っぺらくする呪いがあると思う。(本当は自虐で使うのもよくないんだろうなぁと思いつつ)

小林 積み上がった知見やデータを一瞬で破壊しくれるような女の子が、毎年ちゃんと現れるんですよ。「ミスiDはメンヘラばっかり」って言う人もまだいるんですけど、ミスiDどころかあなたは人間を理解してるのかなって。
大森 それ解像度ですよ。ミスiD見てると解像度が上がる。解像度が低い人は全部同じメンヘラに見えるからそんなことが言えちゃう。こんなに色とりどりなのにね。
この前、あるトップ・ユーチューバーの男の会話を聞いていたら、「男で”こういう自分を認めて”ってのはいいけど、女が見せる自己顕示欲は引く」みたいなことを言ってて、結構げんなりしたんだけど、男は「こういう自分を愛して」って言えるのに女の子の評価ってまだそうなってないのかって、その人を見て思ったんですよね。そいつは「オレも大森靖子にフォローされたからメンヘラの仲間入りかなぁ」とかも言ってて。まだまだ世界は地獄だなって思った。こんな時代まだ続いてるのかって。フェミっぽいこと言うわけじゃないけど、女の子はもっと解像度高いし、もっと「自分だから」でいいじゃん。男女じゃなくて自分だからで戦えるように、かわいいも底上げしていきたい。


「FRIDAY digital」より「吉田豪×大森靖子×小林司 激動のミスiDを振り返る(後編) ミスiDを続ける理由。そしてミスiDはどこへ向かうのか?」2019・1・3
https://friday.kodansha.co.jp/article/26827

女の子はもっと解像度高い、は本当だと思う。そもそも人間はもっと解像度が高い。
なのに女の子の解像度はいつまで経っても戦後の白黒写真かよってくらい低くて、ステレオタイプの上塗りとレッテル貼りがまだまだ続いているなと思う。江戸川乱歩の世界観かよ。さっさとファムファタル幻想なんか捨てて現実の女見ろよって思う。女に聖母と娼婦の同居とかもう聞き飽きた。松本清張かよ。平成ももう終わるぞ。

ところで上記の対談は大森靖子さんの発言なのだけど、彼女の詞にこういうものがある。

どうして女の子がロックをしてはいけないの?(「マジックミラー」)

この歌詞を聴いて、男の子と女の子では見え方が違うんじゃないかとふと思ったときがある。大森さんが何を思って書いたかは私には分からないので、あくまでいち聞き手としての話になるのだけど。
私は少なくとも、女の子(特に若いコ)がロックをすることは外的な圧力によって許されない、もっと言い方を変えるならば、女の子のロックはロックとして認識されないと感じてきた
これは「ガールズバンド」に関する違和感と同じで、「若くて可愛い女の子」を脱さなければ音楽を音楽として認められないんじゃないか。

 

ナンバガいいよね」「エレカシかっこよくて好きかも」そう男性に言ったことがある。
そうすると必ずと言っていいほど「彼氏の影響?」「ボーカルが好きなの?」と言われる。
言い方に差異はあれど、私みたいな若いふつ~~~の女がロックとかヘビメタとか好きって言おうものなら、「①彼氏か父親の影響」「②ボーカル及びメンバーの顔ファンって反応を返される。

男の子が「エレカシ好き!」って言ったときと女の子が「エレカシ好き!」って言ったときの反応は、絶対に違う。

私が神聖かまってちゃんのファンだって言ったら「メンヘラだね(笑)」「の子そんなかっこいいかな~」と言われたことを覚えてる。ナンバガ好きだって言ったら「(まさか向井秀徳じゃないよなーって顔して)だれのファンなの?」、米津のライブ行ってみたいなって言ったら「女の子ってああいう雰囲気イケメン好きだよね」、そう言われたことを忘れていない。
単純に音楽が好き、と思ってもらえない。音楽性が好きだと理解されても、ボーカルなりなんなりに、俳優やアイドルに対して抱くような「キャーキャー」を持っていると、なぜか思い込まれている。
親の影響でTUBE好きだと話したとき「めっちゃ年上じゃない?」って言った人も覚えてる。別にそういう「好き」は1mmもないのになーと思ったけど、もう訂正するのもめんどくさい。言われすぎたから。(ちなみに人生初ライブはたぶんTUBEで、屋外ライブのとき屋台?からメンバーが焼きそば投げてたの覚えてる)

そしてそういう反応をする「普通の男性」に悪気は一切ない。女の子だからどうたら、とか、良くも悪くも何も考えていないのだと思う。
こういった発言をしたり考えをしたりする人も、例えば「女に政治はわからない!」という発言には「いや女性差別でしょ」「偏見でしょ」という反応をするのではないか。
だけど政治や学業、仕事などのお堅い場面では意識されつつあるこのことが、サブカルチャーになるととたんに見えなくなることが確かにあるのだと感じる。

サイコパスの監督が会場の女性たちを見て「こんなはずじゃなかった、男にウケる骨太な物語を作ったはずだった」という旨の発言をしたという話を聞いたとき、「監督に悪気はマジでなかったんだろうな」とぼんやり思った。(私は当該作品について詳しくなく、その発言も又聞きにすぎないので、これ以上の言及は避ける。)

10年前くらいから2ちゃんねるを見ていた自分としては、「男オタクが女オタクを迫害した事実などなかった」とは口が裂けても言えない。掲示板では女だとばれたら袋だたきにされたり、おっぱいをアップしろと言われたり、女性器の名称で呼ばれたり。
女子中学生がなぜか女キャラに対して「おっぱい」「エロい」「hshs」とか言い出す現象って、私も経験したんだけど、あれは女でなく男オタクに近づこうとする心理があったんじゃないかと当時を振り返れば思う。
男キャラをかっこいいとか可愛いって言っただけで腐女子って言われたし、ジャンプ等の少年漫画に腐女子がついたらジャンルは終わりって言われた。ゾーニングしてるBLとゾーニングしてない同人エロだったら後者の方がずっとまずいと思うし、でも隠れる腐女子よりも堂々と載せる女キャラのポルノ化は「ジャンルを終わらせる」とは言われない。(今でもツイッターで検索をかけると、同人作家の、女キャラのかなりきわどい絵や、中には修正をかろうじて入れただけのR18絵が引っかかる。)(正直腐女子という言い方も好きではない。婦女子をもじって始まった自虐かもしれないが、今は蔑称と化していないだろうか)

松坂桃李が出演していた映画『孤狼の血』を観たくてYouTubeの予告を調べたら、コメント欄で「女にはわからんだろうけど、男のための濃いハードボイルド!」みたいなことが書かれていて、うるせ~~~~~!!って思った。お前より絶対私の方がいいレポ書けるからな、絶対楽しめるからな、ってスマホに向かって言いたかった。ちなみに『孤狼の血』はめちゃくちゃ面白かった。続編楽しみです。

 

若い女性がなぜK-POPにはまるのか、なぜジャニーズに、なぜメン地下に、なぜ若手俳優に、なぜ2.5次元に。
そこにはもちろん個々人の価値観や感性もあるだろうけど、少なくとも広義的アイドル市場を色々好きになってきた私にとっては「コンテンツの正当な消費者になれるから」があるんじゃないかと思う。

今までの話は結局「コンテンツの正当な消費者であると認められない」ことなのだと思う。

表題になるが、2.5次元舞台というものは女性をメインターゲットにしている。
私はその商売の仕方や俳優の消費に色々思うところもあるが、少なくともこのコンテンツにおいては「女の子が正当な消費者」になれる。何も言われず、ごく普通にお金を使える楽しさというものが、確かにある。

女は顔ファンでしょ、女は男キャラがいちゃついてたらいいんでしょ、女はロックなんて男のもの分からないでしょ、女は骨太な話よりイケメンでしょ、女は……
聞き飽きた。シンプルに聞き飽きた。
男も女も人間なんだから、骨太な物語を好むときもあれば、日常アニメのように頭を空っぽにして観たいときもある。異性のキャラに惚れることもあれば、そうじゃなく物語を楽しむこともある。ロックが好きなのは性別の問題ではなく感性の問題。

西野カナを散々馬鹿にしてきたくせにゴア系が好きだと言う話を聞いたら「わかってんじゃん」みたいな顔をするヤツ、お前だぞ。(ゴア系だったかはちゃんと覚えてないごめん)
話はそれるが、西野カナは「売れる音楽」をつくり続けているし、自分のファン層の年齢の変化とともに曲の内容を変えているので、とてもうまい人だなと思う。

 

(追記:思っていたよりいろんな人に読まれたので誤解を避けるために追記しておくが、男性であれ女性であれ少なからず「顔ファン」が生まれるのは避けようがないし、ある程度仕方ない現象だとおもう。「キャーキャー」に罪はない。ただここでは話がずれてきてしまうので深くは追及しない。)

 

2.5次元舞台の話に戻るならば、この広義的アイドル市場ともいえるコンテンツにおいては、女は正当な消費者として肯定される。余計なことを言われる必要はない。私たちがお金を払って、対価があって、「これは男が楽しむもので、女はおまけだよ」みたいな扱いを受けることはない。少年漫画の世界では受けて来たこの扱いだが、その少年漫画が舞台化された途端に女性がコンテンツの消費者として肯定されるというのは捻じれを感じる。
ただ現状の2.5次元舞台に感じるのは、過度の若手俳優頼りだ。舞台演出のレベルを上げようとはせず、人気の俳優を使ってしまえという意図は透けて見える。そしてその若手俳優は、絶対とは言わないが、「本当に何十年も役者としてやっていかせようと事務所は考えているのだろうか?」という売り方をされているのもひとつの側面としてある。
2.5はバブルにすぎない。だからレベルをあげなくてもいいんだろうか?
2.5の現状に感じるのは、「女の子が消費者として肯定されている」というプラスの面と、「消費者が舐められている」というマイナスの面だ。(※このとき、桃源郷ラビリンスを観た後に書いているので、私情が入っています)
こんな出来でいいと本当に思ってるの?若手俳優が出てたらそれでいいと本当に思ってるの?どこまで俳優をドル売りするの?原作もファンも俳優も大事にしていないのでは?そう何度も感じた。もちろん力作の2.5もあるが、全体的に見てレベルは低いと言わざるを得ない。
イケメンが出てたらそれでいいわけじゃないんだけどな。推しがいるから観るけど、レベルはそりゃ高い方がいいよ。2.5界隈に蔓延する「人質」というワードには、消費者としてのジレンマを感じる。でも好きな俳優のためになるからクソみたいな舞台でも行く。その結果レベルは上がらないまま続いていく。2.5をつくる大人は恐らく消費者を舐めているのだと思う。
でもそもそも「消費者として認めてくれる」コンテンツはそう多くない。果たして若い女の子が消費者として肯定される市場が、アイドルのみでいいのかと心の底から疑念に思う。
(2.5を好きになった大きな理由はもっと様々にあると思いますが、以上の内容もひとつの要素として存在しうるのではないかと思う)(なんにも言われず好きにお金を使える楽しさ、というのは確かにあると思う)

 

「男の物」「女には分からない」という考えは、結果的に「可愛いものが好きな男の子」「ピンクが好きな男の子」「日傘をさすサラリーマン」「ジャニーズが好きな男性」「少女漫画を楽しむ男性」みたいな、「女性のもの(と思い込んでる)を好きな男」を苦しめる結果になるわけだし、男性の生きる幅も狭まるから不自由なだけなのになと思う。

コンテンツの正当な消費者になりたいと願うのはそんなにおかしいことなんだろうか。
当たり前に「普通」を享受している男性には見えない世界かもしれないけど、たしかに存在する世界であるとおもう。生き方も生きざまもロックしたいね。