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『ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談』感想/幽霊の存在に踏み込んだ意欲的ホラー映画

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https://eiga.com/movie/88473/

 

イギリス各地でニセ超能力者やニセ霊能者たちの数々のウソを暴いてきたオカルト否定派の心理学者フィリップ・グッドマン教授は、憧れのベテラン学者・キャメロン博士から3つの超常現象の調査依頼を受ける。キャメロン博士が「自分ではどうしても見破れない」というトリックを暴くため、初老の警備員、家族関係に問題を抱える青年、妻が出産を控えた地方の名士と、3人の超常現象体験者に話を聞く旅に出たグッドマンを待っていたのは、オカルト否定派でも受け入れざるを得ない怪奇現象と想像を絶する数々の恐怖だった。監督のナイマンがグッドマン教授役、フリーマンが地方の名士役をそれぞれ演じる。(映画.comより引用抜粋)

 

イギリス大ヒット舞台を映画化したという本作、前評判がとても良かったため期待しながら行ったところ、なかなか期待以上のホラー映画でした。
3人の話を聞くという構成上、三本立てのショートムービーを見ているような感覚。それぞれ系統の違うホラーであったため、飽きることなく恐怖に戦くことができる。
また、「ホラー映画」の枠を逸脱した、「そもそもホラーとは何であるか」という超メタ的な問いに足を踏みいれ、観客に問題提起をした意欲的な作品でありました。この後半戦が苦手な人はかなりいると思うので、あまり評価にはつながっていないのかも。後半の怒濤の哲学的精神世界のシーンが、リチャード・デイビッド・バック『かもめのジョナサン』なんかの展開が苦手な人には受け付けにくいかもしれない。(私はかもめのジョナサンを想起しました)

あと映画だと、後半の怒濤の追い上げが『CUBE』っぽいなとも思った。そういうのが好きな人は好きかも。


(以下ネタバレを含みます)

 

 

ネタバレを含むあらすじ

1人目は、かつて精神病棟であった建物で夜間警備をつとめる警備員の体験した話。2人目は夜に車を運転していると「悪魔」を轢いてしまい恐怖の一夜を過ごす青年の話。3人目が出産を控え入院した妻のいない家で過ごしているとポルターガイスト現象にさいなまれ、そして妻が恐ろしい子どもを産んでしまった名士の話。
それら3つの恐怖体験を取材したグッドマンは自らもその世界にのまれ恐怖的体験をするが、それを振り払うようにキャメロンに「全部科学で説明がつく」と結論づけてしまう。すると死にかけた年寄りのキャメロンは自らの顔を剥ぎ、そこに現れたのは3人目の名士であった。名士はおびえるグッドマンに、それまで家であった背景をはぎ取り、その奥があることを示す。少年期に級友を見殺しにしてしまった過去を持つグッドマンのトラウマを暴き、次々と変化する精神世界で名士は醜悪な赤ん坊を抱きグッドマンに語りかけ続ける。死んだ級友がグッドマンに襲いかかり彼を病院着に着せ替え、気づけばグッドマンは病院のベッドの上で深く眠っていた。
実は彼は自殺未遂をして昏睡状態になり入院していたのだ。現実世界では、1人目の警備員は病院の清掃員。2人目の青年は看護師。3人目の名士は医者であった。彼は目を覚ますことなく、病室のガラスに勢いよく鳥が当たって死んでいった。


①短編ホラー映画として秀逸な前半

ホラー映画としてのパートはなかなか秀逸であったと思う。
それぞれ一本ずつの時間は10分程度なのでショートムービーとしてちょうどいい。
1本目は夜間警備の話。廃墟。静寂。そこになにかがいる「かもしれない」という感覚。ずっと口を押えながら見ていました。
2本目は悪魔の話。心を少し病んだ青年が悪魔を轢いてしまい、その悪魔をみた瞬間の絵は一瞬でしたがまさに「醜悪」。日本人には悪魔の恐ろしさが伝わりにくいものですが、その一瞬うつったまがまがしさ、他の幽霊とは一線を画す知能のある感じ、真夜中の森、非常に薄気味悪かった。
3本目はいわゆるポルターガイスト現象の話。『パラノーマルアクティビティ』のような感じかな。

全てに共通するのが「いるの?いないの?」という感覚。いるかもしれない。いないかもしれない。その感覚が1時間以上ずっと続くだけで、ホラー映画としても元が取れた!

最初は超常現象を信じていなかったグッドマンが話を聞くごとに徐々に雰囲気にのまれおかしなものを見ていく過程は、始めは3人の語りの中にしか存在しなかった「いるの?いないの?」が物語の枠を超えて、こちらの健全で正常な日常に侵食してくる不気味さを感じる演出が秀逸!
グッドマンの世界が侵食されるごとに、観客の私たちの世界まで侵食されていくような。
「物語を超えてこちらにやってくる」という感覚を観客にも共有させるため、枠物語という構成をなかなかうまく使っていたように思います。
貞子がテレビの中から出てきたみたいに、このこわいものもこちらにやってくるんじゃないかという本能的恐怖をあおることに特化した構成です。
枠物語、うまいなあ。

映画でこそできる恐怖表現。映画化してきっと正解なのだと思う。

やはりホラー映画として評されるべきではないかなと思う。

英国特有の陰鬱さを最も恐ろしい方法で描いている(アイリッシュ・タイムズ)


②幽霊の存在に踏み込んだ後半

そして後半では、冒頭から続いていた「そもそも幽霊がいるのか」という問いを、グッドマンではなく観客に投げかけます。
それまでの背景を全て壊して世界をひっくり返してしまう演出は、舞台で見たかった!舞台で背景を破いて「君たちの見てるものが真実なのか?」と問いかけられたとき、グッドマン同様観客はゾゾッとします。
「見ているものが真実とは限らない」「人は見たいように見たいものを見る」
結局は「幽霊の正体みたり枯れ尾花」ということなのかもしれないし、その枯れ尾花がそこに本当に存在しているかも分からないし、枯れ尾花も幽霊も全部あるようでないかもしれない。

前半もイギリスらしい陰鬱さの漂うホラーでしたが、後半はまさにイギリス。
ファンタジー・オカルト文化の根付いたイギリスで、そしてオカルトが非科学的といえてしまう現代で、さてイギリスの現代人たちにとって幽霊は「いるの?いないの?」という。
科学至上主義の現代で、真っ向から非科学的オカルトの存在する可能性について、世間に広く問いかけたかったのかもしれない。
これはイギリスだから作れた、そして広くウケた作品なんじゃないかなと思う。

ホラー映画はそもそもホラーをメタ的に肯定しているからこそ成り立つ産業で、そのなかで「いやいないかもしれない!」「いないかもしれないけど、いるかもしれない!」「真実だって信じているものが真実なのか!」って訴え出るのは、皮肉っぽいというかなんというか。
ホラーを信じている人間にも、信じていない人間にも、同等に世界の根底を揺さぶろうとする構成で、やっぱり舞台として見たかった!なんか妙に構成は科学的というか、計算されている感じが、また皮肉っぽい。

ホラー映画としても本当に結構こわくって秀逸だし、後半の怒濤の展開は考えさせられる。私はこういう妙に哲学的になったり精神的話になる映画が好きなので、ものすご~~く良作だと思うのですが、そこはきっと賛否両論わかれるのかな。

個人的には、ホラーが存在する可能性のある隙間くらいは、この現代に残しておいてくれたっていいんじゃないかなと思う。

「怪談」のこわさに満ちた映画。幽霊がいるかはともかく、こうした怪談は本当に「ある」!(吉田悠軌)

 

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