現金満タン、ハイオクで。

サブカルチャーがだいすき。ツイッターの延長なので詳しくはツイッターを見てくれ。

オタクの鞄の中身はなんじゃろな

上記のようなお題箱が来たので、利用させていただきました。書くこともやることもなかったし、最近時間が無為に過ぎていくことに何かしらで対抗したくて仕方がなかったので。

きょうは日がな1日飲酒、リスカ、ODというド堕落した1日を過ごしていました。
ちなみにみなさんはリスカしちゃだめですよ。
道徳的にではありません。10代のときの再生能力のきもちのままで、リスカをすると、なんといくら経っても治りません。皮膚の劣化です。再生能力の死。いま後悔してます。
そもそもぶっちゃけハタチすぎてリスカする自分があまりに「痛い」「恥」すぎるのでみなさんにもオススメしません。
リスカは10代のためのもので、ハタチを過ぎたみなさんは酒飲んでゲロ吐いて九十九里にでも叫んでてください。
大人は大人らしい自傷をしてください。
元カレ元カレのFacebook見て彼(彼女)の面影のある幼稚園児を見ていてください。

ところで話は戻り。

鞄はまちまちで、現場に行くとき用の鞄というのは持っていないです。下記のものを全部いれるならA4の鞄になるので、ガシガシ使えるような、サマンサやCOACH、ケイトスペードあたりを使うことが多いです。特に今はサマンサのなんかやたらでかい奴を使ってます。あとスリーコインズの布袋とか使います。

必需品のみを入れるときは小さい鞄なので、FENDI、ルイヴィトン、GUCCIとかが多い気がします。なんか小さい方がオシャレかなあと思って、小さい鞄はいいやつ買います。オタクは鞄が小さい女にあこがれるので。あとスリーコインズの布袋とか使います。

↓絶対入ってる↓

◆財布◆
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ポールスミスの財布です。かわいくないですか?一目惚れして買いました。(自慢です)
余談なんですけど、私はぼーっとしてるとピンクのものばかり選ぶので、あえて意識してオレンジを選びました。ポールスミスの店員さん(初対面)に「わたしってピンクばっか選ぶからオレンジのほうがいいですよね!?ね!?」と言って後を押してもらいました。
ちなみに映画が好きなのでいろんな映画館の会員証が入ってます。

◆ポーチ◆
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生理用品入ってます。痔なのでおしりセレブ(持ち運び用)も入ってます。

オタク、痔になった。
痔を経るとね、誰かに叩かれたり怒られたりしても「尻に自分で異物をいれる情けなさを知らんやつになんもいわれたくない」というなぜか強気な態度になります。

ポーチですが、ずっとジルのポーチ使ってたのについ昨日北新地のジャンカラの7階トイレの棚に忘れたので、スナイデルに変えました。ぜひジャンカラ北新地店に行ったら探してください。

◆ポーチ◆
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化粧品入ってます。スリーコインズのやつです。いつ買ったかはわかりません。

中身はスックの化粧直し専用パウダーとエレガンスのチークとハイライトです。

あと薬用リップと口紅です。


ICカード

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パスケースはサマンサベガのやつです。(豆知識ですが庶民はセンターロゴが好き)
ところでICOCAに慣れた耳なので、スイカがなんのダジャレかしばらく考えました。あと東京の駅はカードのチャージ残高がないと改札入れてもらえないのでこわいです。大阪の駅は入るときは通してくれるので。大阪人、東京の駅の改札に衝突しがち。

◆ハンドクリーム◆

アルビオンの日焼け止めハンドクリーム。いちいち手を洗ったあとハンドクリームと日焼け止めのふたつを塗り直す必要が無くマジで重宝してる。

◆モバイルバッテリー◆

オタクはなかったら死ぬ。
現場に友達いないからめちゃくちゃ充電死ぬんですよね。

◆チケットいれるやつ◆
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メゾンドフルールの入れるやつです。壊れてきたので新しいのにしたいです。なにかいいやつありますかね?知ってたら本当におしえてください。
ちなみにわたしは手帳がでかいのでチケット入れをわざわざ使わなくてもいいのですが、なんかそれっぽいかなと思って使ってます。わたしはミニチュアシュナウザー派です。

ウォークマン
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なんかめっちゃ壊れるんだけど。何?新しいウォークマンは画面がゲームボーイみたいな解像度なのでこわくて泣いちゃいました。ほんとになんで?

◆鏡◆

たぶんスリーコインズで買った。使えりゃいい。


◆薬◆

シンプルにメンヘラなのでシンプルに安定剤


◆ペン◆
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未だに紙アンケートのとこなんやねん!とは思いつつ、あまりに虚無舞台のときはお絵かきに使えます。桃源郷ラビリンスとかね。わたしは2回目の開始30分でやっぱり帰りました。


◆日焼け止め◆
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30くらいのつかう


◆ハンカチ、ティッシュ
よく飲み物をこぼす

↓入ってないときもあるんだなぁ↓

◆日傘◆

晴雨兼用。ロフトで買った。入れる袋をなくしたので、雨の日はびしょびしょのまま鞄に入れるはめになる。
母の日にあげた折り畳みがさと同じタイミングで買いました。ちなみに母がその傘を使ってるとこを見たことありません。

◆まとめーじゅ◆

生え際のぴょこっと出てくる毛、マジで何?

◆時計◆
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早く帰りたい舞台のときの必需品。そのへんの雑貨屋でかった1000円くらいのやつ。なんとなく銀色だから暗くても見えるかなと思って買いました。舞台中以外一切使いません。そして見やすくもありません。

渚カヲル
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好きってことさ。
(なぜか鞄にいた)

◆手帳◆

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アナログ派なので、これを失ったら死ぬ。外側は何年も使ってて、中身だけ変えてます。
偶然ですがマイラブフレンドと被ってて恥ずか死しました。

家計簿的なものやメモ帳なども入ってるので本当になくなったら死にます。

(たとえわたしのことがいくら嫌いでも人道的にこれを盗むのはまずいです。それなら財布スッてくれ)

手帳の中にあるものは、


・パーソナルカラーのカラーチャート

ブルベ夏だった(THE日本人)
買い物するときに使うビビり


・骨格診断の診断表

ソフトクラシックだった(THE美人百花)
買い物するときに使うビビり


・弁護士の名刺

誤認逮捕されても大丈夫!


・推しの名刺

行く前日に高熱を出してマジで号泣して断念した舞台の名刺(ウソトリドリ)。
親切なフォロワーの人が、舞台で配ったというこの名刺をくれたので、バスツアーのときついでにサイン入れてもらいました。
ちなみに直接いただいたわけではなく、ミュージカル刀剣乱舞~結びの響始まりの音~の東京公演で東京に滞在していたとき、休演日にフォロワーの人と原宿で遊んでいたら「自分の友達もあなたをフォローしていて、預かった」という流れでいただきました。いつか直接お礼を言いたいです。
ちなみに原宿は自分の半分くらいしか生きてない子でいっぱいでこわかったので表参道に逃げました。


・エクソのポストカード的なもの

上記の原宿で遊んだフォロワーの人にもらった


・絆創膏と鎮痛剤と胃腸薬

ミュージカル刀剣乱舞~結びの響始まりの音~の大阪公演で生理痛のあまり1部の最中に梅芸を抜け出して薬局に行って薬を買って戻る、ということをして以来、万一のときのために薬が手放せなくなりました。
そのことを鈴木拡樹っぽくツイートしてみたら愚痴垢に叩かれたので当時は「内容が内容だからおもしろくツイートしてごまかしたかったのに……」と思いましたが、いま見返したら誤解を招いても仕方ない&シンプルにキモかったです。


・おばあちゃんから預かった妹へのお小遣い

妹に渡しそびれている(ごめん)

リステリン

死ぬほど痛い。


以上がオタクの鞄でした。
こんなにも非生産内容はないとおもいますが、痔とリスカはだめという知見をえていただければとおもいます。

女の子がコンテンツの正当な消費者として認められること

 

「ガールズバンド」って言い方が好きじゃない。
2ちゃん(今って5ちゃん?)を見ていたら、「tricotはガールズバンドとして売り出すにはパンチが強すぎる」って書いてあった。彼女たちのセンスや技量を褒めたんだろうけど、全然気持ちよくない褒め方だなと思った。

youtu.be

(私はこの曲を寝る前に聴くのが好きです。)

 

「ガールズバンド」という言葉には、「女の子のバンドって音楽としてはそんなにいいわけじゃないけど若くて可愛いよね」みたいなニュアンスがある気がする。ガールズバンド、イコール、「ミュージシャンとして大成しないけど、可愛ければ可愛いほどいいよね」という風潮が、世間にないと言い切れるんだろうか。

あと「ミスiDはメンヘラ」も嫌い
私もメンヘラなので自虐として使うときはあるけど、他者が若い女の子を指すときの「メンヘラ」にはその子の価値を薄っぺらくする呪いがあると思う。(本当は自虐で使うのもよくないんだろうなぁと思いつつ)

小林 積み上がった知見やデータを一瞬で破壊しくれるような女の子が、毎年ちゃんと現れるんですよ。「ミスiDはメンヘラばっかり」って言う人もまだいるんですけど、ミスiDどころかあなたは人間を理解してるのかなって。
大森 それ解像度ですよ。ミスiD見てると解像度が上がる。解像度が低い人は全部同じメンヘラに見えるからそんなことが言えちゃう。こんなに色とりどりなのにね。
この前、あるトップ・ユーチューバーの男の会話を聞いていたら、「男で”こういう自分を認めて”ってのはいいけど、女が見せる自己顕示欲は引く」みたいなことを言ってて、結構げんなりしたんだけど、男は「こういう自分を愛して」って言えるのに女の子の評価ってまだそうなってないのかって、その人を見て思ったんですよね。そいつは「オレも大森靖子にフォローされたからメンヘラの仲間入りかなぁ」とかも言ってて。まだまだ世界は地獄だなって思った。こんな時代まだ続いてるのかって。フェミっぽいこと言うわけじゃないけど、女の子はもっと解像度高いし、もっと「自分だから」でいいじゃん。男女じゃなくて自分だからで戦えるように、かわいいも底上げしていきたい。


「FRIDAY digital」より「吉田豪×大森靖子×小林司 激動のミスiDを振り返る(後編) ミスiDを続ける理由。そしてミスiDはどこへ向かうのか?」2019・1・3
https://friday.kodansha.co.jp/article/26827

女の子はもっと解像度高い、は本当だと思う。そもそも人間はもっと解像度が高い。
なのに女の子の解像度はいつまで経っても戦後の白黒写真かよってくらい低くて、ステレオタイプの上塗りとレッテル貼りがまだまだ続いているなと思う。江戸川乱歩の世界観かよ。さっさとファムファタル幻想なんか捨てて現実の女見ろよって思う。女に聖母と娼婦の同居とかもう聞き飽きた。松本清張かよ。平成ももう終わるぞ。

ところで上記の対談は大森靖子さんの発言なのだけど、彼女の詞にこういうものがある。

どうして女の子がロックをしてはいけないの?(「マジックミラー」)

この歌詞を聴いて、男の子と女の子では見え方が違うんじゃないかとふと思ったときがある。大森さんが何を思って書いたかは私には分からないので、あくまでいち聞き手としての話になるのだけど。
私は少なくとも、女の子(特に若いコ)がロックをすることは外的な圧力によって許されない、もっと言い方を変えるならば、女の子のロックはロックとして認識されないと感じてきた
これは「ガールズバンド」に関する違和感と同じで、「若くて可愛い女の子」を脱さなければ音楽を音楽として認められないんじゃないか。

 

ナンバガいいよね」「エレカシかっこよくて好きかも」そう男性に言ったことがある。
そうすると必ずと言っていいほど「彼氏の影響?」「ボーカルが好きなの?」と言われる。
言い方に差異はあれど、私みたいな若いふつ~~~の女がロックとかヘビメタとか好きって言おうものなら、「①彼氏か父親の影響」「②ボーカル及びメンバーの顔ファンって反応を返される。

男の子が「エレカシ好き!」って言ったときと女の子が「エレカシ好き!」って言ったときの反応は、絶対に違う。

私が神聖かまってちゃんのファンだって言ったら「メンヘラだね(笑)」「の子そんなかっこいいかな~」と言われたことを覚えてる。ナンバガ好きだって言ったら「(まさか向井秀徳じゃないよなーって顔して)だれのファンなの?」、米津のライブ行ってみたいなって言ったら「女の子ってああいう雰囲気イケメン好きだよね」、そう言われたことを忘れていない。
単純に音楽が好き、と思ってもらえない。音楽性が好きだと理解されても、ボーカルなりなんなりに、俳優やアイドルに対して抱くような「キャーキャー」を持っていると、なぜか思い込まれている。
親の影響でTUBE好きだと話したとき「めっちゃ年上じゃない?」って言った人も覚えてる。別にそういう「好き」は1mmもないのになーと思ったけど、もう訂正するのもめんどくさい。言われすぎたから。(ちなみに人生初ライブはたぶんTUBEで、屋外ライブのとき屋台?からメンバーが焼きそば投げてたの覚えてる)

そしてそういう反応をする「普通の男性」に悪気は一切ない。女の子だからどうたら、とか、良くも悪くも何も考えていないのだと思う。
こういった発言をしたり考えをしたりする人も、例えば「女に政治はわからない!」という発言には「いや女性差別でしょ」「偏見でしょ」という反応をするのではないか。
だけど政治や学業、仕事などのお堅い場面では意識されつつあるこのことが、サブカルチャーになるととたんに見えなくなることが確かにあるのだと感じる。

サイコパスの監督が会場の女性たちを見て「こんなはずじゃなかった、男にウケる骨太な物語を作ったはずだった」という旨の発言をしたという話を聞いたとき、「監督に悪気はマジでなかったんだろうな」とぼんやり思った。(私は当該作品について詳しくなく、その発言も又聞きにすぎないので、これ以上の言及は避ける。)

10年前くらいから2ちゃんねるを見ていた自分としては、「男オタクが女オタクを迫害した事実などなかった」とは口が裂けても言えない。掲示板では女だとばれたら袋だたきにされたり、おっぱいをアップしろと言われたり、女性器の名称で呼ばれたり。
女子中学生がなぜか女キャラに対して「おっぱい」「エロい」「hshs」とか言い出す現象って、私も経験したんだけど、あれは女でなく男オタクに近づこうとする心理があったんじゃないかと当時を振り返れば思う。
男キャラをかっこいいとか可愛いって言っただけで腐女子って言われたし、ジャンプ等の少年漫画に腐女子がついたらジャンルは終わりって言われた。ゾーニングしてるBLとゾーニングしてない同人エロだったら後者の方がずっとまずいと思うし、でも隠れる腐女子よりも堂々と載せる女キャラのポルノ化は「ジャンルを終わらせる」とは言われない。(今でもツイッターで検索をかけると、同人作家の、女キャラのかなりきわどい絵や、中には修正をかろうじて入れただけのR18絵が引っかかる。)(正直腐女子という言い方も好きではない。婦女子をもじって始まった自虐かもしれないが、今は蔑称と化していないだろうか)

松坂桃李が出演していた映画『孤狼の血』を観たくてYouTubeの予告を調べたら、コメント欄で「女にはわからんだろうけど、男のための濃いハードボイルド!」みたいなことが書かれていて、うるせ~~~~~!!って思った。お前より絶対私の方がいいレポ書けるからな、絶対楽しめるからな、ってスマホに向かって言いたかった。ちなみに『孤狼の血』はめちゃくちゃ面白かった。続編楽しみです。

 

若い女性がなぜK-POPにはまるのか、なぜジャニーズに、なぜメン地下に、なぜ若手俳優に、なぜ2.5次元に。
そこにはもちろん個々人の価値観や感性もあるだろうけど、少なくとも広義的アイドル市場を色々好きになってきた私にとっては「コンテンツの正当な消費者になれるから」があるんじゃないかと思う。

今までの話は結局「コンテンツの正当な消費者であると認められない」ことなのだと思う。

表題になるが、2.5次元舞台というものは女性をメインターゲットにしている。
私はその商売の仕方や俳優の消費に色々思うところもあるが、少なくともこのコンテンツにおいては「女の子が正当な消費者」になれる。何も言われず、ごく普通にお金を使える楽しさというものが、確かにある。

女は顔ファンでしょ、女は男キャラがいちゃついてたらいいんでしょ、女はロックなんて男のもの分からないでしょ、女は骨太な話よりイケメンでしょ、女は……
聞き飽きた。シンプルに聞き飽きた。
男も女も人間なんだから、骨太な物語を好むときもあれば、日常アニメのように頭を空っぽにして観たいときもある。異性のキャラに惚れることもあれば、そうじゃなく物語を楽しむこともある。ロックが好きなのは性別の問題ではなく感性の問題。

西野カナを散々馬鹿にしてきたくせにゴア系が好きだと言う話を聞いたら「わかってんじゃん」みたいな顔をするヤツ、お前だぞ。(ゴア系だったかはちゃんと覚えてないごめん)
話はそれるが、西野カナは「売れる音楽」をつくり続けているし、自分のファン層の年齢の変化とともに曲の内容を変えているので、とてもうまい人だなと思う。

 

(追記:思っていたよりいろんな人に読まれたので誤解を避けるために追記しておくが、男性であれ女性であれ少なからず「顔ファン」が生まれるのは避けようがないし、ある程度仕方ない現象だとおもう。「キャーキャー」に罪はない。ただここでは話がずれてきてしまうので深くは追及しない。)

 

2.5次元舞台の話に戻るならば、この広義的アイドル市場ともいえるコンテンツにおいては、女は正当な消費者として肯定される。余計なことを言われる必要はない。私たちがお金を払って、対価があって、「これは男が楽しむもので、女はおまけだよ」みたいな扱いを受けることはない。少年漫画の世界では受けて来たこの扱いだが、その少年漫画が舞台化された途端に女性がコンテンツの消費者として肯定されるというのは捻じれを感じる。
ただ現状の2.5次元舞台に感じるのは、過度の若手俳優頼りだ。舞台演出のレベルを上げようとはせず、人気の俳優を使ってしまえという意図は透けて見える。そしてその若手俳優は、絶対とは言わないが、「本当に何十年も役者としてやっていかせようと事務所は考えているのだろうか?」という売り方をされているのもひとつの側面としてある。
2.5はバブルにすぎない。だからレベルをあげなくてもいいんだろうか?
2.5の現状に感じるのは、「女の子が消費者として肯定されている」というプラスの面と、「消費者が舐められている」というマイナスの面だ。(※このとき、桃源郷ラビリンスを観た後に書いているので、私情が入っています)
こんな出来でいいと本当に思ってるの?若手俳優が出てたらそれでいいと本当に思ってるの?どこまで俳優をドル売りするの?原作もファンも俳優も大事にしていないのでは?そう何度も感じた。もちろん力作の2.5もあるが、全体的に見てレベルは低いと言わざるを得ない。
イケメンが出てたらそれでいいわけじゃないんだけどな。推しがいるから観るけど、レベルはそりゃ高い方がいいよ。2.5界隈に蔓延する「人質」というワードには、消費者としてのジレンマを感じる。でも好きな俳優のためになるからクソみたいな舞台でも行く。その結果レベルは上がらないまま続いていく。2.5をつくる大人は恐らく消費者を舐めているのだと思う。
でもそもそも「消費者として認めてくれる」コンテンツはそう多くない。果たして若い女の子が消費者として肯定される市場が、アイドルのみでいいのかと心の底から疑念に思う。
(2.5を好きになった大きな理由はもっと様々にあると思いますが、以上の内容もひとつの要素として存在しうるのではないかと思う)(なんにも言われず好きにお金を使える楽しさ、というのは確かにあると思う)

 

「男の物」「女には分からない」という考えは、結果的に「可愛いものが好きな男の子」「ピンクが好きな男の子」「日傘をさすサラリーマン」「ジャニーズが好きな男性」「少女漫画を楽しむ男性」みたいな、「女性のもの(と思い込んでる)を好きな男」を苦しめる結果になるわけだし、男性の生きる幅も狭まるから不自由なだけなのになと思う。

コンテンツの正当な消費者になりたいと願うのはそんなにおかしいことなんだろうか。
当たり前に「普通」を享受している男性には見えない世界かもしれないけど、たしかに存在する世界であるとおもう。生き方も生きざまもロックしたいね。

 

初恋の男が生き返ってしまった (「コードギアス復活のルルーシュ」におけるガチ恋の感想)

初恋の男が復活してしまった
コードギアス 復活のルルーシュ」という映画の話だ。


私にとってルルーシュは初恋だった
小学生のときだったと思う。
当時やっていたブラックジャックのアニメ版にはまっていた私は、ブラックジャック21が終わることが悲しくて「終わらないでほしい(;;)(;;)」とのたうちまわっていた記憶がある(自覚はなかったがすでに痛いオタクの片鱗はみせていた)。
そのとき合間のCMで見た。白くて紫の目をした黒髪の男の子。「かっこいい!」と思ったことを覚えている。アニメタイトルもキャラクターの名前も知らなかったが、とにかく「なんて綺麗なんだろう」「すごくかっこいい」と思って、雷に打たれるような衝撃はなかったが、胸の中に墨汁のしみのようにその男の子の姿が執拗に残っていた。
その後機会があり再放送で見たコードギアス1期。まぶたの裏にこびりついた彼の姿はもちろん、その性格にも全て惹かれ、そしてまたコードギアスというコンテンツ自体を一生抱えることになるくらい大好きになった


劇場版の「復活のルルーシュ」の感想。
(以下ネタバレを多少含むかも。あくまでいち個人の感想です)
率直に言えば「どうして復活してしまったのか」だった。
私は彼の死が好きだった。死も含めてルルーシュだった。彼が彼の「撃って」きた罪に対して「撃たれる」覚悟のあった、その生き方が心底好きだった。
最初に「復活のルルーシュ」の話を聞いたとき「なぜ彼を起こしてしまうのか」と思った。さながら、ルルーシュ(の抜け殻)が生きていることを知ったとき、CCに激昂したカレンと同じような気持ちだった。

彼は脚本の中では確実に死ぬべきだった。それがゼロレクイエムの本質だ。もちろんここで死を要求されるのは「ルルーシュ」ではなく「悪逆皇帝ルルーシュ」という記号にすぎないし、大衆の前で「死ぬ」ことが叶ったのならば、ルルーシュといういち個人がひっそりと生き延びていてもゼロレクイエムに支障はない。
ただ彼は死なねばならなかった。「撃っていいのは撃たれる覚悟のあるやつだけだ」という口癖にあるように、彼は今までの罪の対価を、覚悟を必要とした。
「死ぬよりも生き続ける方が苦しい」という人もいるだろう。鬱病を経験した私にもそのことはわかる。だがたとえ死ねない体になろうと、化け物になりはてようと、殺してきた罪の対価や殺すことへの覚悟にはなりえない。
死はそこで完全なる遮断である。永遠の無である。生きることは死ぬことの対価には決してならない。
だから殺してきたルルーシュは死なねばならなかった。コードの継承やらなんやらの理由をつけられても、「やっぱり生きたい。死ねない体で生きることが償いだ。」なんて言い出させたら、それはルルーシュという人格へのレイプだと思った(重ね重ねですがいち個人の感想です)。

ロボットアニメは先細りする業界だという。もはやヒット作は望めない、全て出尽くした、と語られている。その中で、まだロボットアニメが栄えた時代の残したもの、ヒットタイトルであるコードギアスを使って商業を展開したいという大人の気持ちを「亡国のアキト」の話を聞いたときに強く感じた。
もちろん実際にどうであったかは分からない。
ただやはり死んだルルーシュを起こして「復活」を作るというのは、総集編を含め、どうしても『大人』の気配を背後に感じてしまった。

ただ一つ強調したいのは、私はいずれの作品もとても楽しみにしていたということだ。コードギアスという世界が大好きだからだ

ただ潔く死んでいったルルーシュを、寝た子を起こしてまで、復活させるほどの大義はあるのだろうかと思った。
私は死んだルルーシュが好きなのだ。心の底から生きていてほしかったと思いながらも、死んでしまった彼のことが大好きなのだ。


話の内容自体は悪くなかったと思う。懐かしい顔ぶれが「あのあとの世界」を生きているというだけで胸が高鳴った。
「復活のルルーシュ」はアニメ本編のその後ではなく、総集編のその後だった。
私は幸いなことに妙に碇ゲンドウが優しくてみんなの名前が変わってたりする新劇場版エヴァを「そういうもの」としてほとんど違和感なく楽しめるし、あんなに酷評された実写版進撃の巨人も「世界観が同じだけの別物として見たら結構面白いじゃん」とリピートして観に行った性格の人間なので、今回の本作に関しても「まあアニメとは別か」と観ることができた。

ルルーシュの意思ではなく復活してしまった、という設定なのでまあ許容できた。私はルルーシュを生き返らせたりしないCCが好きだったのでそこはうーんとなったが。
正直なところご都合主義感は否めなかったし、ラストに至っては「このルルーシュなんか年1くらいで黒の騎士団にもナナリーやスザクの元にも顔出しそうだな」って思ったのでもやもやしたけど。なんかルルーシュにやたら優しい世界だなって思ったけど。ルルーシュとスザクの2人で背負って分け合った罪と罰がなくなった感じがして色々思ったけど。

でもなんかもうどうでもいい
私の好きなルルーシュはあのとき確かにスザクが演じたゼロという記号に殺されたし、絶対に生き返ることはない。私の中ではそれでいい。スザクも罰としてゼロという仮面とともに生きていくし、ルルーシュは永遠にその名を最悪の皇帝として人々に記憶される。

「復活のルルーシュ」は完全なアナザーストーリーだ。
むしろシャーリーの生きている別の世界の続編としてこれを作ってくれたので、アニメ本編と分けることができて安心している。
本音を言えば、観に行くまでとても恐ろしかった。「これはルルーシュじゃない」と思ってしまわないかが怖かったのだ。大好きなコンテンツを嫌いになりたくなかった。
でもあれも間違いなくルルーシュだった

映画が始まった瞬間に涙があふれてきた。ルルーシュだけでない、このコードギアスという作品全てが好きだったから、感極まってしまった。
そしてまた「長かったな」と思った。長かった。
私はずっときみのいない世界を生きてきたんだよな、と思った。ルルーシュが死んだあとの世界をずっと生きてきた。


小学生当時の私は、ルルーシュが死んでから一年近く頻繁にルルーシュの夢を見た。ルルーシュが死んでしまって、助けられなくて苦しむ夢だ。夢の中で私はルルーシュを助けたい、生かしたい、と思っていた。たかがアニメキャラに、と思う人も多くいるだろうし、私も彼がアニメキャラであることは十分理解していた。ただその垣根関係なく、小学生の私はルルーシュに恋をしていた。
(書いてて気づいたけど最終回観たときは中学に上がってたかもしれない、よく覚えてない)

一度インフルエンザにかかって40度の高熱にうなされたとき、医者からタミフルを処方された(らしい)。子どもがそれの影響でベランダから落ちたりして死んでしまった事件が多くあったため、子どもに処方するときは親の監視が必要だった(らしい)。ともかくそれを飲んでうなされていた私を監視していた母曰く、私は高熱のさなかずっと「そこにはいないはずのルルーシュ」に話しかけていたというのだ。こわい。泣き出したりもしていたらしい。こわい。
精神を病んでいたとき幻覚幻聴の症状にさいなまれたりもしていたが、そのときいろんな虫や化け物やなんかよくわからないものが見えたり聞えたりするなか、落ち着いているときはルルーシュの声が聞えた。それは幻聴であると自覚していたが、錯乱したなかで数少ない落ち着く幻聴だったことを覚えている。
鬱病が悪化していたときは自殺願望が著しく、何度か未遂をしていたのだが、生きることの恐怖から逃れて死んでしまおうという意識のなかで「でもルルーシュは生きられなかったんだよな」と考えたりしていた。痛いことや苦しいことがあってもルルーシュの苦しさを考えては頑張っていた。もう彼はいないしコードギアスは終わったけれど、彼の残した明日を生きたいと本気で思っていたりもした。
こんなメンヘラリアコのよりどころにされてもルルーシュも困るだろうとは思うが、ルルーシュのことが本当に大好きだった。

私は現在2.5次元や俳優に熱を上げているが、歌い手やバンドや芸人、ジャニーズや地下ドルなど様々な三次元の男を通って(?)きた。時折友人に「じゃあ今の推しとルルーシュ、どっちかが生きてどっちかが死ぬって言われたらどうするの?」といじわるな質問をされることがあるが、私は現実を生きているのでそこは天秤にかけようもない。生身の人間である推しだ。
でももしそういった垣根なく全てフラットな世界なら間違いなく迷わずルルーシュを選ぶ。


延々CCといちゃいちゃしている姿を見てガチ恋の人格も腐女子の人格も死んだが、CCのことも大好きなので何も言えない。というかCCになんだかんだ甘くて共犯なルルーシュのことが好きなのだ。CCなくして私の好きなルルーシュは完成しない。
もちろんそれはナナリ-、スザク、ロロ、シャーリー、ユフィ……すべてのキャラに通じて言えることだ。

ルルーシュのことが好きだ。
私の物になってくれなくても、CCとイチャイチャしていても。

 

ずっとアニメ本編のあとの「もしかしたら生きてるかも」という可能性の示唆が苦しかった。
私は死んだルルーシュが好きだが、生きていてほしかった。でも死んでいてほしい。
アナザー世界線という感覚ではあったが、こうしてルルーシュの生きている姿を見たことで、胸のつっかえがとれた気がした。解放された気持ちだ。ルルーシュの生死にずっと囚われているのは苦しかったのだとようやく気付いた。
彼が大人の都合で生き返らされた感は否めなかったが、むしろそのことで彼が二次元の偶像なのだと実感した。初恋の人が死んでしまったということがずっと辛かった。ようやくルルーシュのことを一つの偶像としてしまっておくことができる気がする。
ようやく初恋を終わらせることができるのかなと思った。

「復活のルルーシュ」で思ったことは、みんなうっすら不幸だということだ。みんなうっすら不幸だけどうっすら幸福になりたいから生きている。報われなかった者たちも多くいるが、その人たちも死のその先で救いがあるかもしれない。だから「明日」という時間軸があるのだと思った。そしてその「明日」の存在を世界に教えたのは紛れもないルルーシュだ。


一生私はルルーシュのことがすきだ。
そして「復活のルルーシュ」がヒットしますように。
そして私とコードギアスを出会わせてくれたロボットアニメというコンテンツが再び不死鳥のように復活してワクワクを経験させてくれますように。

 

露出狂のひとと話した

先日露出狂の人と話をする機会があった。

当たり前だが露出狂は犯罪であり、しかも特にクソ気持ち悪い部類の犯罪である。刑法では公然わいせつ罪に問われるが、現行犯でないとなかなか逮捕は難しいらしい。ちなみに薬の投薬による治療もあるらしい。
病気なのでマジでなおしてくれ。

私も一度だけ露出狂に遭ったことがあるが、もう大人だったのでとっさに持っていたスマホで顔と下半身がうつるように写真を撮って「ちっちゃいねん自分!」と言ったら逃げていった。キレられて逃げるくらいならすんなよ。いま思い出したが尼崎を歩いていたら真っ昼間の住宅街で堂々とシコっている人もいた。それはナチュラルすぎて何も言えずみんな素通りしていた。
そんな露出狂だが、大人であればいざしらず(大人であっても不快だし怖いが)、ましてや小中学生であれば心に深い傷を残す最低の性犯罪だ。

ということを念頭において話を進めるが、先日露出狂の人と話した。

見た目はごく普通の小太りの40代のサラリーマン、風俗やキャバできれいに遊びそうな人だった。特に臭いにおいもせず、スーツのセンスも悪くなかった。
特にヤマもオチもないが衝撃的なことを話していたので聞いてほしい。という一心で書いている。

露出狂さん(以下、露)「ぼくは露出狂なんだよね
わたし「えっ?あの露出狂ですか?」
露「そうだよ」
わたし「えっ?犯罪だけど話していいんですか?」
露「犯罪だけど、犯罪じゃないじゃん?

露出狂さんはそう言った。

わたし「犯罪じゃないってどういうことですか?」
露「だって見せられた側も喜んでるでしょ

エッッッッ???????????

わたし「えっ?そうなんですか?」

少なくとも私は見せられたとき不快でむかついたし、私の友人は驚いたとかこわかったとか言っている。だって1人で夜道を歩いてたら急に知らないおじさんがちんこを出してニヤニヤしてるんだよ?レイプされるかもしれないし、急に刺されるかもしれないじゃん。だってちんこ出してる人間がまともなわけないから。まともなわけないじゃん???

すると露出狂さんは露出のシチュエーションを語り始めた。

露「ブックオフで本読んでる子がいたから、チャックおろしてぼろんって。『見てて』って言ったら女の子も本とちんちんを交互に見てたよ」(①)

露「新幹線で修学旅行生がいて。男子からは見えないところで女子たちに見せたらキャーキャー楽しそうに笑ってくれてたよ」(②)

露「ゲーセンのプリクラコーナーで中学生たちが撮ってたから、向かいの機種のなかに入って、その子たちが目の前に来たタイミングでぼろんって。一人の女の子は『私はじめてみたー!』って言ってた。俺のちんこ見れて嬉しかったみたい。良いことしたな~」

これ全部ほんとに言いました。えっ?やばくないですか?認知歪みまくってません?ビューティープラスかってくらい美補正かかってませんか????
正直ドン引きしてたんですけどマジで反論させてくれ!!!

①その女の子は驚いて戸惑ってるんだよ!!いやブックオフで立ち読みしてたら急に隣におっさん来てちんこだして『見てて』とか言われてみ?びびるやろ、ただでさえブックオフは変な人多いのに(ブックオフごめん)でも店員さん呼ぼうとしたり立ち去ろうとしたりしたら何されるかわかんないじゃん。だってちんこだす人間がまともなわけないじゃん。てかパニックになるわ。だってブックオフで立ち読みしてたらおっさんにちんこ見せられるとか想定してないんだから。
男の人は想像しにくいかもしれないけど本屋やブックオフは痴漢が多い。すれ違いざまにお尻触られたり隣にぴったりくっつかれたり。私も中学生のときブックオフを出たら20歳すぎの陰キャバンドマンみたいなやつが「あれ?どっかで会ったことない?」と声をかけてきて、その数日後にブックオフで立ち読みしていたら「この間の子だね、偶然!ちょっと話いい?」とまた声をかけてきてメアドを聞かれたことがある。運命を演出しようとすな。もちろん中学生相手になんやかんやしようとしたら犯罪だしシンプルにキモい。
そんなことがブックオフではある。この露出狂もブックオフを選んだというのは自然な気がすると妙に納得してしまった。ブックオフは他の古本屋に比べると長時間滞在が許されているということ、またそれゆえ「買うつもりはないけど暇つぶしに」「店に入るお金はないから」という冷やかしが集まる。偏見かもしれないけど低所得者層が集まりやすい気がする。マジでブックオフは性犯罪の温床だからおちおち立ち読みもできねぇ。

②「やべぇやつがいた!」ってネタにされてるんだよ tiktokで撮影されて晒されてないだけまし

③お前みたいなやつがいるからプリクラが「男性のみでの入店禁止」にされるんだよ、記念にプリクラを撮りたいけど入れない男子高校生たちに謝ってほしい

痴漢の認知は歪んでるという話を聞く。「スカート短いから触られたいんだ」とか「女性専用車両に乗ってないから痴漢されても仕方ない」とか。もちろんバカげた話なんだけど、ずっと遠くに感じていた『加害者側の心理』を生まれて初めて身近に感じてゾッとした。
こわいとかむかつくとかを超えて不思議だった。

露出狂さんはこうも言った。

露「レイプとか痴漢はしないんだ。触られたり、ましてや犯されたりしたら怖いしショックでしょ?でも露出は害がない。体に触れないし、痛いことはしない。ぼくは露出が趣味で楽しいし、見た方も笑って済む話。誰も傷ついていない」

確かにそうなんだけど。体は傷つかないけど。
ものすごく不思議だった。レイプや痴漢が悪だと分かっているのになぜ露出は良いと思っているのか。どうしたらこういう認識になるのか。
そもそも捕まる恐怖はないのか、と尋ねると

露「被害者はいないから捕まらない」

と言った。う~~~~~んすごい。

露「露出は笑ってくれるでしょ」

露出狂さんと話していたら、彼が楽しいという気持ちで露出している以外に、良い意味でのサプライズとして露出していることに気付いた。相手を喜ばせようとしているのだ。ちょっとブラックなユーモアとして実践しているのだ。悪気はそこに一切なかった。
その心理が不思議でならなかった。彼を責め立てる気持ちは次第に失せて、彼の語る「露出を見た人の反応」に聞き入ってしまった。
(再三言うが犯罪だし到底許容できない)

いわく、みんな笑うらしい。笑って「やばい人見た~」と友人に話すのだ。
もしかしたら彼のなかでの彼自身の自己認識は「ピエロ」なのかもしれない。少なくとも彼は自分の道化めいたおかしな行動が人を笑わせ、学校や職場でのネタになり、「今日もいるんじゃない?」と珍獣を見るように再びやってくるのが楽しくて仕方ないらしい。

その話を聞きながら、中学生のとき、通学路にいつも知的障がいがあると思われる中年の男性が股間を握って立っているのを、おもしろおかしくみんな滑稽なものとして見て、通学路の名物にしていたのを思い出した。私は陰キャだったのでその輪に入れずその男性のことをなんとも思っていなかったが、露出狂さんがなりたいのはこういう存在らしかった。(といっても前者は障がいを持っている方であり、彼と同じものとして数えてはいけない)

病院とかいったらそういうの治せるらしいよ、逮捕されたら元も子もないじゃん、と私は助言(?)したのだが、

露「たぶん露出はやめられないと思う」

と彼は言った。

わたし「いつから露出してたの?」
露「いつだったか覚えてないけど、成人して少ししてから。」

気になった私は彼の恋愛について尋ねた。

わたし「初めてセックスしたのっていつ?」
露「高校生のときに彼女とした」
わたし「案外普通ですね……」

すると彼は畳みかけるように頬を赤くしてこう言った。
露「本当は姉貴とセックスしたかった
わたし「え?」
露「姉貴は胸がでかくて、中学生のときよくぼくのちんちんを触ってくれた。でも親にバレて何もできなくなった」

え???????????

もしかしてここまでのやつ全部妄想か???
現実にそんな姉いなくない????全部妄想???
露出狂ではない????

結局全部妄想だとしたらそれはそれでいいんだけど??
混乱するわたしに、

露「姉貴とセックスしたら人生違ってたかも」

と言い残して露出狂さんは去っていった。

『クワイエット・プレイス』感想/荒廃した世界の「その後」を描いたサバイバル映画

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https://eiga.com/movie/88476/

 

音に反応して人間を襲う「何か」によって人類が滅亡の危機に瀕した世界で、「決して音を立ててはいけない」というルールを守り、生き延びている家族がいた。彼らは会話に手話を使い、歩くときは裸足で、道には砂を敷き詰め、静寂とともに暮らしていた。しかし、そんな一家を想像を絶する恐怖が襲う。(映画.comより引用抜粋)


ホラー映画ではない、という印象が強かった。
IT/イット “それ”が見えたら、終わり』を超えて好評だったという本作。『IT』は大ヒット映画のため指針にされることが多いけれど、たしかにホラー演出には長けていたけど思春期の心理不安を描いた青春映画的側面もあったためホラー映画としての興行的指針においていいのか少し微妙なところ。(『IT』自体はホラーであるのは確かだし面白い!)
なので本作も「ホラー」として打ち出したためにがっかりした印象になる。

プレデターやエイリアン、ゾンビも広義的にはホラー映画のくくりとなる。ホラーは決して幽霊が登場するということに定義されるのではなく、その演出やシチュエーションに依るところが多い。初代『バイオハザード』はホラーだったと思う。

そう考えたときに、本作はシチュエーションとして確かに「ホラー映画」として制作されたのだろうが、「ホラー」としての出来は今一歩、「悪くはない」という点に落ち着く。
「悪くはない」けど、「悪くはない」でしかない。なので佳作。

プレデターと同じように、モンスターサバイバル映画としてどきどきハラハラ見た方がずっと面白い。
ドント・ブリーズ』的な、自分の呼吸音すら恐ろしく感じられるようなホラー感を期待すると、「うーん」となっちゃうかも。私はファーストデイ(1100円になります)に行って良かったなと思っちゃいました。

以下ネタバレを含みます

 

 

ネタバレを含むあらすじ


末の息子を「何か」に襲われ失った一家。彼らは荒廃した世界で、田舎の一軒家に住み着いた。農業をして食事を賄い生きている。父・リーは未だ希望を捨てず、「何か」を研究しどこかからの救助を求めながら、家族を守っていた。
そんななか、母・エヴリンは出産を控えていた。生まれてきた我が子には酸素吸入器を用い、音を遮断する箱の中で育てるつもりだった。
末の弟を死なせた負い目を感じ、父に嫌われていると思っている長女リーガンはある日家を飛び出してしまう。同じ日、弟マーカスはリーにつれられサバイバル技術を教えられる。
そんな日に妻は産気づいてしまい、誰もいない家の中で出産に臨むが、音を聞きつけた「何か」が家の中に侵入してくる。助けに戻ったリーによってエヴリンと生まれた赤ん坊は無事だったが、リーガンとマーカスが「何か」の徘徊する外で動けなくなってしまう。
我が子を助けに行ったリーだったが、2人は「何か」に襲われそうになっていた。リーはリーガンに「愛してる」と伝え、大きな声を出すことで「何か」の注意をひき2人を助ける。そしてリーは死んでしまう。
リーを失った家に再び「何か」が侵入してくるが、耳の聞こえないリーガンは自分の補聴器の発する高音が「何か」の弱点だと気づき、マイクで増幅させた大音量で「何か」をひるませ、ショットガンで殺すことに成功する。銃声によって引き寄せられた無数の「何か」が家に向かってくるのが見えたが、リーガンとエヴリンは強く頷き、補聴器とショットガンを握る。

 


『その後』を描く細やかさが良い

世界観はポストアポカリプス的な。
と言いながらポストアポカリプスよりもっとふさわしい言い方があったはずなのに出てこない。もやもやする。

文明が滅んだあとの世界。ワールドワイドなゾンビ映画もそうですが、たいていこういった映画には人のいなくなった都市と荒廃が描かれる。たいていのゾンビ映画では、『その後』は描かれない。
本作では、世界が滅んだあとでも土地に根付いて植物を育てて魚を捕って食べて遊んで寝て生きている日常を描いている。
たいていの映画では描ききることのできない、「それでもどうにか生きていくしかない」という日々を描いていて、そのなかでもすごろくゲームをしたり、「何か」に襲われないよう床に布を敷き詰めたりすごろくの駒が柔らかい素材になっていたりする、「現実に適応して生きている一般人」の姿がすごく良かった。

妻の妊娠出産も、荒廃した世界でも人間は生きて血を繋いでいく必要がある、子どもを為していこうとする、というやっぱり他の映画ではあまり描かれない「その後」の重要な点かなとおもう。

どんな状況であっても人間はきっと定住して生きていこうとするし、家を建てようとするし、快適に過ごせる環境作りをしてしまうのだと思う。子供をつくってしまうのだと思う。

ホラー映画というよりはアポカリプス的世界観の映画として、滅亡した世界で日常を生きていく映画として売り出した方が、マニアックなフェチズムがくすぐられて良いと思うけど。前半のこういった描写にこだわりを感じて、むしろ描きたかったのこっちでは?と思ったくらい。(酷評されてる実写版『進撃の巨人』も町並みなどの世界観の描写がメッチャクチャ良かった。映画館で2回観た。)

私はこういった、荒廃した世界の『その後』が描かれている作品が好きなので、むしろこっち路線で売ってほしかった。

 


正直つっこみどころはいっぱいある映画

でもサバイバルホラー映画として売っている本作。ホラーとしての評価は避けられない。
正直微妙。ホラー的なシーンがびっくり系しかない。しかも登場人物が扉をたたいたりしたシーンで、音で無理矢理びびらすな。無理矢理ホラーっぽくすな。

のっけから子供が死んでびっくりした。昨今は色々うるさいので子供は死なせづらいものだけど、たまにガンガン子どもを殺すパンクな監督もいる。たぶんそのタイプの監督。知らんけど。ジョン・クラシンスキーの映画たぶん観たことあるけどわからん。
グリーン・インフェルノ』の監督が、部族による食人パニック映画が人種差別だと叩かれがちななかで「これは本当に人を食った映画だよハハハ!」って煽ってたの思い出した。どうでもいいけど。

丁寧な造りかと言われたら首をひねってしまう。バイオハザードなんかは丁寧もクソもない作りだけどアクションと「もうなんかそういうコンテンツだから」とゴリ押せてしまう強さがあるが、本作はホラー要素を取り入れようと頑張っているため、余計にその荒さが目立ってしまう。正直「静寂」要素が微妙。いる?これ

あと「いや死ぬんか~~い!」って3回突っ込んだ。

①冒頭の末息子
子供なのに容赦なく死ぬ(びびる)

②森の中のおじいさん
いや急に新キャラ出すな、唐突すぎてなんでじいさんが自ら大声出してモンスターに殺されたのか理解が追い付かなかった。ラストに父親(リー)が大声をだして死ぬ伏線にしたかったんだろうけど唐突すぎるわ。伏線はもっとうっすらいれろ。
たぶんじいさんは妻(ばあさん)が死んだショックで自殺に至ったんだろうけど、そのシーンは世界観へのショッキングさを付与できるんだからもっと丁寧に作るべきだった。前半のリーのシーンで、森の中のじいさんばあさんとリーが魚や農作物の交換をして交流している描写を1分挟むだけで違った。そうしたら、世界が滅んだあとでも人間が人間として営みを続けようとする前半シーンとマッチしたし、世界観の残忍さを表すのに一役かったのに。マジで唐突すぎた。びっくりした。

③リー
おまえムキムキだし頭もよくて電気工作できるんだから、おまえ死んだらあかんやろ。幼い子供2人と生まれたばかりの赤ん坊と出産直後の妻を置いて死ぬな。一家野垂れ死ぬぞ。
あれ手にもってた斧を遠くに投げて音立てるんじゃだめなのか?それじゃ音小さいのかな。でも外に子供助けにいくのになんで丸腰なんだよ。閃光弾とか花火とか持っていかないの?なんでやすやすと死んだ?と思ってしまって……。

「何か」がはっきりと姿を現してしまったところも残念。見た目がただのエイリアンで、ちょっとがっかりでした。ふつうのエイリアンじゃんという……もっととんでもないバケモンを期待していた……

つーかそもそも、音がヤバいってわかってるのに子をつくるな!!
ここが一番引っかかって仕方がない。

「酸素吸入使って密閉した箱の中にいれておけば安心だよね」
そんなわけなくない?
母乳あげるときマスク外すじゃん、泣くじゃん、やばくない?
日に当てずに育てるの?やばくない?
現実的に考えて無理じゃない?

世界観の描写としてこの妊娠出産はあったのかもしれないけど、どうしても「無理でしょ」と突っ込んでしまう。

描きたいビジョンは伝わってきたけど、実際に形にするまでにまだ至っていない印象。
もう少し練ってから着手すべきだったんじゃないかと思う。発想と世界観は非常に面白いものだっただけに、不完全燃焼という印象がぬぐえない。

 

避けられない『ドント・ブリーズ』との比較

これ観ながら「ドントブリーズ観たいな……」ってなるのしかたなくない!?
そもそも「音をたてたら即死」ってコンセプトが被ってるし、ポスターの構図が被ってるし、タイトルもなんか似てる気がしてきたし、こうなったら「妊娠出産」というモチーフが出てくるのも被ってる気がしてきた。
シチュエーションが違うのでもちろんパクリでもなんでもない。ただ公開年がさほど離れてない以上、比較され批評されるのは避けられない。

不完全燃焼という印象がぬぐえない本作。やはりまだ無理をして形にしたという雰囲気が伝わってきて、『ドント・ブリーズ』であれば無理なく違和感なく形にできていたものができていなかった。
「音に敏感なら大きい音を立てればいい」というラストシーンも、『ドント・ブリーズ』では観客までもが登場人物のように雰囲気にのまれて呼吸を押さえていただけに「よく考えたらそうじゃん!その手があった!」とエポックメイキングなことにすら思えたのに、本作では「そうだね」としか思えない。

そこのどんでん返しがうまくいかなかった理由はやっぱり雰囲気づくりの甘さにあるし、「静寂」というホラー要素とモンスターサバイバルという「動」の要素の対比がうまくいかず、観客を世界観に巻き込みきれなかったところに敗因があると思う。

恐らく隕石でやってきた地球外生命体と思しきこの「何か」、見た目がエイリアンであるわりに、「盲目で音に敏感」だから人を殺す……なんで?という感想。殺す理由は何か。捕食目的なら納得いくけど、そうにも見えない。手あたり次第殺しまくる戦闘狂モンスターなのか。プレデターじゃん。成人儀礼とかの理由があるプレデターのがよっぽどわかりやすい。
「殺される理由」ももう一つ後押しする材料がほしかった。やっぱり『ドント・ブリーズ』に比べるとあらゆる面で無理が生じてしまった印象。

いっそホラー映画というレッテルを外して広告を打てば、比較されることもなかっただろうし、ここまでもやもやとした作りにもならなかったはず。

 

世界滅亡の「その後」を描いたサバイバル映画としては佳作だったけど、発想が良いだけにもっとアイデアを固めてから制作してほしかった映画。ちょっと残念でした。
モンスター映画としてはまあまあ面白い!

 

quietplace.jp

 

『ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談』感想/幽霊の存在に踏み込んだ意欲的ホラー映画

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https://eiga.com/movie/88473/

 

イギリス各地でニセ超能力者やニセ霊能者たちの数々のウソを暴いてきたオカルト否定派の心理学者フィリップ・グッドマン教授は、憧れのベテラン学者・キャメロン博士から3つの超常現象の調査依頼を受ける。キャメロン博士が「自分ではどうしても見破れない」というトリックを暴くため、初老の警備員、家族関係に問題を抱える青年、妻が出産を控えた地方の名士と、3人の超常現象体験者に話を聞く旅に出たグッドマンを待っていたのは、オカルト否定派でも受け入れざるを得ない怪奇現象と想像を絶する数々の恐怖だった。監督のナイマンがグッドマン教授役、フリーマンが地方の名士役をそれぞれ演じる。(映画.comより引用抜粋)

 

イギリス大ヒット舞台を映画化したという本作、前評判がとても良かったため期待しながら行ったところ、なかなか期待以上のホラー映画でした。
3人の話を聞くという構成上、三本立てのショートムービーを見ているような感覚。それぞれ系統の違うホラーであったため、飽きることなく恐怖に戦くことができる。
また、「ホラー映画」の枠を逸脱した、「そもそもホラーとは何であるか」という超メタ的な問いに足を踏みいれ、観客に問題提起をした意欲的な作品でありました。この後半戦が苦手な人はかなりいると思うので、あまり評価にはつながっていないのかも。後半の怒濤の哲学的精神世界のシーンが、リチャード・デイビッド・バック『かもめのジョナサン』なんかの展開が苦手な人には受け付けにくいかもしれない。(私はかもめのジョナサンを想起しました)

あと映画だと、後半の怒濤の追い上げが『CUBE』っぽいなとも思った。そういうのが好きな人は好きかも。


(以下ネタバレを含みます)

 

 

ネタバレを含むあらすじ

1人目は、かつて精神病棟であった建物で夜間警備をつとめる警備員の体験した話。2人目は夜に車を運転していると「悪魔」を轢いてしまい恐怖の一夜を過ごす青年の話。3人目が出産を控え入院した妻のいない家で過ごしているとポルターガイスト現象にさいなまれ、そして妻が恐ろしい子どもを産んでしまった名士の話。
それら3つの恐怖体験を取材したグッドマンは自らもその世界にのまれ恐怖的体験をするが、それを振り払うようにキャメロンに「全部科学で説明がつく」と結論づけてしまう。すると死にかけた年寄りのキャメロンは自らの顔を剥ぎ、そこに現れたのは3人目の名士であった。名士はおびえるグッドマンに、それまで家であった背景をはぎ取り、その奥があることを示す。少年期に級友を見殺しにしてしまった過去を持つグッドマンのトラウマを暴き、次々と変化する精神世界で名士は醜悪な赤ん坊を抱きグッドマンに語りかけ続ける。死んだ級友がグッドマンに襲いかかり彼を病院着に着せ替え、気づけばグッドマンは病院のベッドの上で深く眠っていた。
実は彼は自殺未遂をして昏睡状態になり入院していたのだ。現実世界では、1人目の警備員は病院の清掃員。2人目の青年は看護師。3人目の名士は医者であった。彼は目を覚ますことなく、病室のガラスに勢いよく鳥が当たって死んでいった。


①短編ホラー映画として秀逸な前半

ホラー映画としてのパートはなかなか秀逸であったと思う。
それぞれ一本ずつの時間は10分程度なのでショートムービーとしてちょうどいい。
1本目は夜間警備の話。廃墟。静寂。そこになにかがいる「かもしれない」という感覚。ずっと口を押えながら見ていました。
2本目は悪魔の話。心を少し病んだ青年が悪魔を轢いてしまい、その悪魔をみた瞬間の絵は一瞬でしたがまさに「醜悪」。日本人には悪魔の恐ろしさが伝わりにくいものですが、その一瞬うつったまがまがしさ、他の幽霊とは一線を画す知能のある感じ、真夜中の森、非常に薄気味悪かった。
3本目はいわゆるポルターガイスト現象の話。『パラノーマルアクティビティ』のような感じかな。

全てに共通するのが「いるの?いないの?」という感覚。いるかもしれない。いないかもしれない。その感覚が1時間以上ずっと続くだけで、ホラー映画としても元が取れた!

最初は超常現象を信じていなかったグッドマンが話を聞くごとに徐々に雰囲気にのまれおかしなものを見ていく過程は、始めは3人の語りの中にしか存在しなかった「いるの?いないの?」が物語の枠を超えて、こちらの健全で正常な日常に侵食してくる不気味さを感じる演出が秀逸!
グッドマンの世界が侵食されるごとに、観客の私たちの世界まで侵食されていくような。
「物語を超えてこちらにやってくる」という感覚を観客にも共有させるため、枠物語という構成をなかなかうまく使っていたように思います。
貞子がテレビの中から出てきたみたいに、このこわいものもこちらにやってくるんじゃないかという本能的恐怖をあおることに特化した構成です。
枠物語、うまいなあ。

映画でこそできる恐怖表現。映画化してきっと正解なのだと思う。

やはりホラー映画として評されるべきではないかなと思う。

英国特有の陰鬱さを最も恐ろしい方法で描いている(アイリッシュ・タイムズ)


②幽霊の存在に踏み込んだ後半

そして後半では、冒頭から続いていた「そもそも幽霊がいるのか」という問いを、グッドマンではなく観客に投げかけます。
それまでの背景を全て壊して世界をひっくり返してしまう演出は、舞台で見たかった!舞台で背景を破いて「君たちの見てるものが真実なのか?」と問いかけられたとき、グッドマン同様観客はゾゾッとします。
「見ているものが真実とは限らない」「人は見たいように見たいものを見る」
結局は「幽霊の正体みたり枯れ尾花」ということなのかもしれないし、その枯れ尾花がそこに本当に存在しているかも分からないし、枯れ尾花も幽霊も全部あるようでないかもしれない。

前半もイギリスらしい陰鬱さの漂うホラーでしたが、後半はまさにイギリス。
ファンタジー・オカルト文化の根付いたイギリスで、そしてオカルトが非科学的といえてしまう現代で、さてイギリスの現代人たちにとって幽霊は「いるの?いないの?」という。
科学至上主義の現代で、真っ向から非科学的オカルトの存在する可能性について、世間に広く問いかけたかったのかもしれない。
これはイギリスだから作れた、そして広くウケた作品なんじゃないかなと思う。

ホラー映画はそもそもホラーをメタ的に肯定しているからこそ成り立つ産業で、そのなかで「いやいないかもしれない!」「いないかもしれないけど、いるかもしれない!」「真実だって信じているものが真実なのか!」って訴え出るのは、皮肉っぽいというかなんというか。
ホラーを信じている人間にも、信じていない人間にも、同等に世界の根底を揺さぶろうとする構成で、やっぱり舞台として見たかった!なんか妙に構成は科学的というか、計算されている感じが、また皮肉っぽい。

ホラー映画としても本当に結構こわくって秀逸だし、後半の怒濤の展開は考えさせられる。私はこういう妙に哲学的になったり精神的話になる映画が好きなので、ものすご~~く良作だと思うのですが、そこはきっと賛否両論わかれるのかな。

個人的には、ホラーが存在する可能性のある隙間くらいは、この現代に残しておいてくれたっていいんじゃないかなと思う。

「怪談」のこわさに満ちた映画。幽霊がいるかはともかく、こうした怪談は本当に「ある」!(吉田悠軌)

 

www.transformer.co.jp

 

『MEGザモンスター』感想/観たいものが詰まったサメ狂のための映画

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https://eiga.com/movie/86214/

 

未知の深海で生き延びていた太古の巨大ザメ「メガロドン」に襲われる人々のサバイバルを描いた海洋パニックアクション。「エクスペンダブルズ」「ワイルド・スピード」シリーズなどでおなじみの人気アクション俳優ジェイソン・ステイサムが主演し、「ナショナル・トレジャー」シリーズのジョン・タートルトーブ監督がメガホンをとった。人類未踏とされるマリアナ海溝をさらに超える深海が発見され、沖合に海洋研究所を構えた探査チームが最新の潜水艇で調査に乗り出す。幻想的な未知の生物が生きる深海の世界を発見し、心躍らせる一同だったが、その時、巨大な「何か」が襲いかかってくる。レスキューダイバーのジョナス・テイラーは、深海で身動きがとれなくなった探査チームの救助に向かうが、そこで200万年前に絶滅したとされる、体長23メートル、体重20トンにも及ぶ巨大ザメのメガロドンに遭遇する。

 

メガロドンが出世しました。
広く浅い、深いことなんて何もない、『ジョーズ』『オープン・ウォーター』『ディープ・ブルー』さえ押えれば正統サメ映画は語れるとまでファンに言わせるこのサメ映画という業界で、メガロドンといえば奥の手。とりあえずメガロドン。しかもなぜか主役にはしてもらえない。
(私はB級映画が好きなので、サメ映画は上記三作以外も大好きです。A級ではないものの、B級としてS級な作品もいっぱいあります。でもサメ映画にバカ映画(褒めてる)が多いのも事実です。制作陣も「バカだなー」と思いながら本気で作ってるバカ映画が大好きです。)

代アニの生徒でももっとうまく作れるだろ、みたいなCGで作られる違和感たっぷりのメガロドン(異様にでかいか異様に小さいかのどちらかで適正サイズで表されることはほぼありません)がもはや醍醐味、これを待ってた、みたいな気持ちにすらなりますが、ようやくガチスタッフとガチ俳優のもとでガチメガロドンとして映像化された本作。
メガロドンがようやく日の目を見たような、ようやく主役としてサメ映画に出してもらえたことに、予告映像を見ながら震えました。

そして本作、サメ狂がみたいものが全て詰まった映画になってる。本当に。本当にちゃんとみたいものが限界まで詰め込まれています。深海も研究施設もビーチパニックも沖で舟が襲われるのもド派手アクションもステイサムもぜんぶ詰まってるんですよ。

 

(以下ネタバレを含みます)

 

 

サメ映画のテンプレが全部つまってるサメ狂のための映画

舞台は中国の研究施設。海の中までガラス張りになった近未来的なおしゃれ施設です。
もちろんサメに壊されます。(正確にはガラスが)
もう施設のデザインを見た時に「これはサメにガラスを壊されるための施設だな」と思ってしまうくらいにおあつらえ向きな施設。
少女が振り向いた瞬間に、クソバカでかいサメがこちらを見ているシーンには、もうホラー映画の様相を呈しています。『ジュラシックワールド炎の王国』もそうですが、モンスター映画って結局ホラー映画でないといけないんだよね。めちゃくちゃこわい。
そしてガラスに残された巨大な歯型に感じる「始まった」感

研究施設が舞台ではありますが、他にもポイントは押さえています。
深海で潜水艦に乗っていたら巨大サメに襲われたり、サメゲージに入っていたらサメにどつきまわされたり(最近だと『水深47m』にもあるようによくある設定ですね)、沖に船を出していたらサメに襲われて船が転覆して何人か食われたり、沖で若い男女が泳いでたらサメに襲われたり、さらにちゃんと一般観光客向けのビーチパニックまで用意されています。
とりあえず、よくあるサメ映画の設定あるあるは一通り網羅しています。
その時点でだいぶ満足。

さらにそこから、メガロドンを殺して「ばんざーい!」ってしてたらそれをしのぐさらなるメガロドンが現れて一気に事態が悪くなったり(ちなみに小さいほうのメガロドンの死体を大きいメガロドンが食ったので、私は脳内でプレデターvsアルティメット・プレデターを思い起こしていました)(このさらにデカいのが現れて、それまで苦戦してた敵がやられてしまうシーンは、さらなる「絶望」を人間に感じさせるので、ぜひモンスター映画ではやってもらいたい手法ですよね)(乱発したらクソです)、船に高速で引っ張られて水上スキー状態のステイサムをかみかみしようとメガロドンが追いかけてくるシーンのスリリングさであったり、犬がヤバくなったり、色々と見たいものが詰まっていました。

さらに2人ほど仲間を助けるために自分が死にます。
冒頭の潜水艦のシーンで、ステイサムが救助艇で助けにきたところ、自分まで避難していては船が両方ともやられてしまうと思って、妻への手紙を仲間のポケットに押し込んで自分ひとりだけ潜水艦に残って死んだトシ(眼鏡小太り日本人)は作中イチイケメンでした。

ちなみに犬は死にません
最近は動物愛護団体の関係で犬は殺しにくいので(猫は死体だけなら出るし、鳥などはなぜか平気で死にます)。
頭にリボンをつけた弱弱しくてかわいいヨークシャテリアのピピンちゃんだけは絶対に作中で死んではならない存在です。

人間の命は犬の命より軽いので人間はまあまあ死にます。
メガロドンからしたらおつまみにもならない気がするんだけど。シャチとかホオジロザメ食べてた方がよくない?という気もする。

 

モンスターはどっちだ!ステイサムvsメガロドン


本作のウリといえばなんといってもあのステイサム。
いくらなんでも作中でホオジロザメを「小さいサメよ」とあらわすような世界観の本作で、いくらなんでも巨大鮫・メガロドンとステイサムが戦うなんてね、いくらなんでも爆弾とか銃とかでしか戦わないよね……残念だけど……と思ったら
素手で戦う!!!

ステイサムvsメガロドン、もはやモンスターはどっちだ対決。

もちろん爆弾や銃などを利用した、高予算映画に相応しいド派手アクション(すごいCGが爆発してる)もあり、USJのアトラクションかな?と思うような、小さなグラインダーのようなもので海底の岩場を縦横無尽に追いかけっこするシーンなど、迫力満点。
これは4DXで見るべき映画だと思います。

途中でメガロドンをおびきよせるため沖に船で出て、ヒロインの中国人美女がサメゲージの中に入って水中にもぐります。ここでもちろんメガロドンが襲ってきてケージが壊れる……とおもったら、むしろ壊れずにゲージごと丸のみしようとする!
これは従来のホオジロザメ映画ではできない荒業です。かみ砕かれることなくメガロドンの中に檻ごと飲み込まれていく恐怖。巨大ザメならではのワンシーンでした。
酸素が薄くなり、対サメゲージのため女ひとりの力では壊せないため脱出できず、ゆっくり飲まれていく。
さらにここでその呑まれていくシーンを、サメの内側(女性の視点)から映している。どんどん口の中に入っていって、歯が遠のいて、口が閉まっていこうとする。派手アクション映画のわりに、ここのシーンをゲージがどんどん壊れていく「動」の恐怖ではなく呑み込まれていく「静」の恐怖で描こうとした点には、緩急がついていて非常に良かった。

呑みこまれていく人間をモンスターの内部から描く、つまり生きたまま飲み込まれていく生々しい恐怖とグロテスクさを表す演出は、『アナコンダ』シリーズに顕著です。私は幼少期に『アナコンダ』でこの演出を見たとき、まだいまほどCGが発達しておらずおそらく特撮の技術を使って撮影していたのだと思いますが、体の芯から震えるような、捕食される生の本能を感じました。私がモンスター映画で大好きな演出です。
これをメガロドン映画でやっただけでもう私的には100点です。

そしてこのヒロインの危機を救うのはステイサムですが、なんと、なんの装備もなしに普通に海に飛び込む!
普通の人間であればなんの役にも立たないシーンですが、ステイサムであるというだけで「ああもう大丈夫だ」と安心する観客たち。
よく考えたら23メートルのサメのいる海に2メートルもない素手の人間が飛び込んでいって安堵するって意味がわかりませんが、ステイサムだからいいんです。

そしてステイサムはその後もメガロドン相手に戦いますが、ラストシーンのとどめを刺すところはなんと「素手」。
素手メガロドンと戦って勝つ人類なんてステイサムくらいだよ。

最期に死んだメガロドンがゆっくりと落ちていって、小さなサメたちに群がられ餌食にされるシーンにはちょっと切なくなる。自然は弱肉強食ではなく全肉全食だから仕方ないんだけどね。クジラだって海底にしずんで小魚たちの餌になるし、ライオンだって腐って土の栄養分になるし。
ジュラシックワールド』もそうですが、なんか人間のエゴで「モンスター」にされた動物たちが無残に殺されていくのは悲しい。
せめて深海の下の深海にまだ残っているメガロドンは幸せに暮らしてくれ。世紀の大発見だとは思いますが、こんなこと公表したら世界中の人間たちが新しい深海をいっぱい探索して破壊しつくしてしまうから公表はしないのかな、と思ったり。

まあメガロドンにしても、「なんか新しい道あるやんけ!」ってお散歩に出かけてたらとんでもねえ人間にぶっ殺されたのはびっくりでしょうな……

でも犬は死にません。

 

悪人がいなくてストレスがない


これは大きい。
一応スポンサーの男がちょっと色々めんどくさい男で金儲けとか損得のことを考えてはいるけど、そんな死ぬほど悪いことをしたわけじゃない。自分で先にメガロドン頃嘔吐しただけだし。
彼がクジラの内臓と体液にまみれたままメガロドンに食われるほど悪いことをしたようにも思えない。
『オデッセイ』もそうですが、仲間内で足を引っ張ったり邪魔をしてきたりするやつがいないストレスフリーさはすさまじい。
この「悪人がいなくてストレスがいない」という点は、長所としてもっとアピールすべきと思うんだけど。しないのかな。

 

シンプルに中国人ヒロインがかわいい


普段欧米人の激しい喜怒哀楽を見ている身としては、中国人ヒロインの無表情や静の演技がすごく心地好くて、そしてすごく新鮮で個性的な女性に見える。
ステイサムが「俺が食われたら胸が痛むか」と聞いたときにヒロインが「ちょっと」と指をするシーンがあるのですが、生還したステイサムに向けたこの無表情の「ちょっと」ポーズがめちゃくちゃかわいい。そして新鮮。
欧米人に比べれば感情の抑揚が少ないアジア人ヒロイン、めちゃくちゃかわいくないですか?中国美女が大好きなのでもっと中国人ヒロイン出してほしい。中国語の発音もかわいいよう。

 

そんな『MEGザモンスター』、サメ好きにはたまらないポイントをいくつもおさえた、見たいものが詰まったサメ映画です。多少バカなのがサメ映画のいいところ。
犬は死なないのでよかった。

 

 

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