現金満タン、ハイオクで。

サブカルチャーがだいすき。ツイッターの延長なので詳しくはツイッターを見てくれ。

【ガチ恋の妄言】ルルーシュはわたしの神様(仮)なのか

令和になってもルルーシュが好きだ。どうしよう。

そもそも私にとってルルーシュってなんだろう。ということを考えていた。

ごはんを食べているときも、お風呂に入っているときも、友達としゃべっているときも、ミュージカル刀剣乱舞を観ているときも、ずっとルルーシュのことを考えている。
幸いにも刀ミュ新作期間と復活のルルーシュ上映期間が被らなかったため、事なきを得たが、うっかり被っていたら日本青年館ルルーシュのことしか考えられなくなって内容が全く頭に入ってこなかったと思う。

話はそれるが私は現在メンタルのヘルスがちょっと悪化していて、元々出勤に都合がいいからと月の1/3くらい梅田のワンルームマンションで過ごしていたのだが、いまはオール実家だ。どこへ行くにも母の送迎つきで、ODがばれて薬の管理も母がしてる(情けない)。そもそも処方箋の抗不安薬抗精神薬なんかバケツ一杯飲んだって死ねないなんて常識じゃん、と「ODイコール死」だと思っている母に言うのも面倒でそのまま管理を委ねた。どうせメンクリに行くような人間は酒で薬ODするに決まってるんだから医者は多めに薬出せばいいのに、とか思う。食事は部屋の前まで持ってきてもらう。完全なニートだ。(毎月給与は入ってきてるのでその点は大丈夫)

日がな1日ぼーっとしてると、「こんなんじゃルルーシュに嫌われちゃうかな」と思う。

元々私のメンヘラが悪化したのをどうにかしようとしてくれたさきちゃん(私のツイッターを見ていると頻繁に登場しますが実在人物です)は、私がお金のために身を粉にしてぎりぎりスケジュールで生きてるのを心配してくれた。

自分でも「マジで長生きなんか微塵も考えてない生き急ぎ方してるな」とは思った。

職種内容に差はあるが、私の具体的なスケジュールを想像したかったら「ホス狂 鬼出勤」とかで調べてほしい。ホス狂じゃないけど。

 

www.nhk-ondemand.jp

(ふつうに面白いから観てください)

 

そんなわけで新しいメンクリにかかる前のギリギリのときの私は何を考えていたっけ、とLINEをさかのぼってみた。

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ルルーシュに助けられたがっていた。私にとってルルーシュって何だろうと思った。

ただ「好きなキャラ」とか「推し」とか「ガチ恋」とかではおさまらない気がする。

 

highb.hatenablog.com

 私とルルーシュの詳しいなれそめ(?)及び私のガチ恋加減はこっちを観てくれたらと思うが、メンヘラのときも彼に助けを求めている。(上記記事参照)

私にとってルルーシュはたぶん神様だったのだ

それはひな鳥の刷り込みに近くて、小学生のあの日に彼を観て好きになって、学校でちょっと嫌なことがあってもルルーシュのことを考えたら耐えられて、それがどんどん大きくなってしまってメンヘラのときも最初にすがるものになってしまった。

今も考えながら、ルルーシュが助けにきてくれたらいいのになと思う。とんだ他力本願だ。でも彼が来てくれて頭を撫でてくれたら私の全ての悩みも解決するし、なんなら世界の紛争とか飢餓問題とかなんかそういうのも解決するような気がしてる。彼ならできないことはないし、あの手のひらさえあればなんでも解決するに違いないと、どこか思っている。もうハタチもすぎたのにね。彼の年齢も超えてしまった。

なんで頭を撫でてほしいんだろう。そう思えば、はじめてルルーシュを観た頃、母からの愛を無性に渇望してたなと思い出す。私は今時フロイトを信じるのはカルト並にやべぇと思っているし、「母性」は女性に押しつけられた都市伝説だと思っている。だから母から与えられるものをうまく自分のなかですなおに消化できずに大人になってしまい、結果的に、ひな鳥のように、あのとき惚れたルルーシュに私を救ってくれる無限の愛をくれる役割を期待しているのだ。

ルルーシュに感じているこの万能感、それは幼い子どもが親(現状特に女親)に対して抱く万能感と同じではないかと思った。子どもは親に万能感を覚える。お母さんに知らないことはない、お母さんにできないことはない、お母さんが大丈夫って言ったらなんか大丈夫な気がする。その感覚をルルーシュに抱いている。

きめぇなと思う。

男性オタクをみていると、冗談半分で幼い女の子キャラに「ママ」と言う一種のカルチャーが存在するが(輸入的な形で現在女性オタクにも見られる。その場合の対象はBLにおける受けキャラであったり、ガチムチだけど胸筋が豊富で優しいキャラだったりと、「女性的」役割を仮に担わされているケースが多い)、ときおりなんてグロテスクな文化だと思う。

物言わぬキャラに「母性」を与えてしまうのは果たして現実に影響はないのか、そもそも「母性」を、ノストラダムスも20年前に死んでしまったこの「未来」で盲信していいのかなと思う。幸いなのは現実のひとにその役割を担わせないことだけど。

そして私もそのオタクのひとりである。単純な話だった。
私は彼に「ママ」を求めていると感じたことはないが、突き詰めたらそういうことなのだと思う。苦境の淵で、どん底で、彼に頭を撫でてほしいと願う。抱きしめて「大丈夫だよ」って言ってくれたらなんだってできる。24時間戦えるし、メンヘラになることもたぶんない。

多感な時期をメンヘラとして過ごし、同時にルルーシュのことを考えて生きてきたから、私にとって思春期の象徴もルルーシュだ。つまり恋の対象だ。曲がりなりにも中高生のときに彼氏はいたがまああまりいい思い出はない(彼氏が蒸発した話はまた追々)。
なので私にとって恋はルルーシュだし、ルルーシュは恋だ。

なんかもう書いてて自分がきつくなってきた。
つまりルルーシュ「母」の象徴と「恋人」の象徴を求めてることになる。あ~~~~~きつい。女に聖母と娼婦を見るのと何がちがう?なんかもう死にたい。

 

highb.hatenablog.com

 

こんなエントリを書いておきながら、という感じがする。

 

私はルルーシュに「ママ~!」的なツイートをしたことがなかったし、ガチ恋とはいえ生々しい性欲を絡ませたようなツイートをしたこともなかったので気づかなかった。

生々しいといえばルルーシュとセックスしたいのかと言われたら「わかんない!」としか答えられない。例えば男性向けエロみたいながちゅがちゅしたようなセックスはしたいとは思わないし、想像できないし、なんか違う気がする。リアルに想像したら、ルルーシュ体力ないからたぶんあんなパフォーマンスセックスできないし。(便宜的に男性向けって言葉使ってます)
少女漫画みたいなやつなら、想像できるし、したいかもしれない。でもそれって性欲の絡んだセックスというよりは、壁ドンされたいとかバックハグされたいとかと同一線上にあって、少女漫画のセックスはセックスじゃない、ような気がする。

言い換えるなら精神感応?

出典をはっきりとはさせられないのだが、以前男性から女性に性転換した方が男女の性欲の違いを「男の性欲は〈相手を食べたい!食らいつくしたい!〉って感じで、女の性欲は〈相手の風景になりたい(イメージ画像『ハチミツとクローバー』)〉って感じ」と語っていたのを思い出す。個人差はあるだろうから少なくともその方のいち経験則としか語れないが、でもなんかわかる気がする。
少女漫画のセックスってこれだと思う。そして私はルルーシュにこういったことを求めているのなら、やっぱり私にとってルルーシュは「性」でなく「恋」の象徴なんだと思う。(だからちょっと聖母と娼婦とは微妙に違うかな?)

わかる、ルルーシュに見られたいもん。なんかめっちゃきれいな景色のとこでルルーシュに見られたい。それでルルーシュの方から私の手に触れてほしい。やっぱり少女漫画のセックスってセックスではなく精神感応な気がする。

こんなメンヘラのよりどころにされたあげくに人格も無視されて可哀想なルルーシュ、ごめん、でも好き。

世間はゴールデンウィークではしゃいでる中、私は一日ぼーっとしたり泣いたり暴れたり酒を飲んだりしていたのだが、死んでもいまコードギアスのDVDは観られないなと思った。
私とルルーシュ、彼我を比べて、自分のいまの現状を考えて、余計に落ちてしまう気がする。
私がメンヘラのとき助けてほしがっているのは「私の中のルルーシュ」であって、「本物のルルーシュ」ではない。「本物のルルーシュ」の方を見たら落ちてしまう。

結局私が彼に求めているのは真実性ではなく虚構性だ。母の影であり恋の思い出だ。
でもきっとこれは私だけではなく、2次元3次元限らず誰かに傾倒しているおたくはきっとみんなそうだ。本物じゃなくて自分のなかのそれを崇めている。
まあキャラクターだし被害者がいないからいいじゃん、と言ってしまえばそうなのだが。

復活のルルーシュを見た際にこう書いた。

彼が大人の都合で生き返らされた感は否めなかったが、むしろそのことで彼が二次元の偶像なのだと実感した。初恋の人が死んでしまったということがずっと辛かった。ようやくルルーシュのことを一つの偶像としてしまっておくことができる気がする。
ようやく初恋を終わらせることができるのかなと思った。

 

これには訂正を加えないといけないなと思う。

私は『復活のルルーシュ』を見て、ルルーシュが意思を持たない二次元の産物であると自覚したと書いたが、そうではなく、上記の流れになぞらうならば、私は心の奥底では彼が偶像であり意思と人格を持たないキャラクターであると認識していた。
そしてその空洞性をもってして自分の人生の救い主に彼を設定したのだ。

となれば私はずるくて卑怯だなと思うし、まあでもオタクってみんなやってるだろうしなとも思う。

ゴールデンウィークはそんなことに気づいて、ちょっと自己嫌悪に陥って過ごしている。


でも自分の人生を楽しめているときは、私はコードギアスのDVDを観て本物のルルーシュを楽しめるし、本物のルルーシュのことを大好きだって言える。
ルルーシュに恥じないためにも、彼の人格を尊重するためにも、自分の人生を上向きにしないといけないし、「明るく楽しく生きたい」と思えるのはやっぱりそうした「私の思い通りにはならない本物のルルーシュ」がいるからだ。
そう考えると、虚構のルルーシュを自分の人生の神様に設定したのはあながち間違いでもなかったかもしれない、と思ったり思わなかったり。

まあ要するにずっとルルーシュに気が狂ってるオタクだという話です。

令和もその次の元号もその次の次の元号も好き。