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映画『貞子』感想/人々はもはや貞子に恐怖することができないのか

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https://eiga.com/movie/90752/

 

sadako-movie.jp

 

公開されました。池田エライザの『貞子』。初日に観てきたので感想を書きたいのですが、率直に言うならば「おもしろくない」が本音でした。どうして面白くなかったのか、そのことを考えると、もう私たちは貞子に恐怖することができない、及び制作側ももはや貞子で恐怖させようとしていない、というのが正直なところではないかと思います。

正直に、正直に言うなら、大人の事情的な意味での「映像化する上での限界」が本作を面白くなくしていて、「貞子に恐怖する構文を私たちが失った」ことと「貞子の過度なキャラクター化」が本作を怖くなくしていると思った。

内容に関しては可能な限りネタバレなしで進めていきます。

 

(※あくまでいち個人の感想なので、貞子こわかった!おもしろかった!という人はその自分の感情を大事にしてほしいです。)

 

まず正直面白くなかった理由としては第一に「こわくない」があると思う。ここには大人の事情的な意味での「映像化の限界」があると思う。

まず殆ど貞子が出てこない。つまりホラー映画らしいシーンはかなり少ない。貞子の出自を巡る話に関わってくるので、貞子登場シーンは大幅に減っており、「いるの?いないの?」的なシーンに関してはぶっちゃけ皆無です。Jホラーといえばこの「いるの?いないの?」の恐怖だ、貞子は日本が誇るホラーだと、よくそう日本人は言うけれど、ぶっちゃけ今の貞子にそんなものあるのかなというのが率直なところ。この映画で貞子は基本的に「よっ!」って感じで出てきて「ほな!」って感じでいなくなります。

『リング』自体については初めて見たのが小学生のときで、ほぼ見返していないので、あまり語れないのが正直なところ。なので決定的に間違ってたら訂正してほしいのだけど、一番はじめの貞子はもっと出番があった気がする。ただひとつ、ホラーの構文として重要なものに「狭いエリアの中で限られた人数でエスケープする」というのがあって、バイオハザード1などがホラーと呼ばれた所以はここにあると思っています。映画の『エイリアン』シリーズなんかもそうで、モンスターパニック系であってもホラー的恐怖があるのは大概この構文を抑えていることが多い。その中で貞子はその構文をさして重要視していないかなと思う。呪怨とかは家ホラー的な要素も大きいので、少しこの構文に近いところはあるけど、貞子は基本的にエリアを限定していない。世界中どこにいても彼女の呪いはついてまわるし、テレビひとつあればどこでも殺しにやってくるし、貞子の恐怖というものは、極端な話、真っ昼間の渋谷のスクランブル交差点のど真ん中でも成立してしまうんじゃないかなと思う。(バイオハザードシリーズやエイリアンシリーズはそうではなくて、スクランブル交差点で起こったらホラーではなくただのアクションになってしまうし、「バイオハザードがシリーズを追うごとにホラーではなくなっていった」「バイオハザード7は帰ってきたバイオハザード」と言われるのはそういう点においてもあるんじゃないかな)

なのでこの、エリアを限定しないし、どこかへエスケープすることが目的でもないし、限られた人数で逃げ惑うわけでもないし、夜でもない、真っ昼間のこの映画においても、貞子の恐怖というものは本来成立するはず。

(またこの「こわくない」に関しては後述する「貞子を怖がる構文を失った」に関わってくるので後で触れます。)

なぜこわくないか。それは『リング』シリーズのネタバレを壮大に含む『タイド』を原作として敷いているため、『リング』及び貞子の謎をとく謎解きシーンが多く含まれてしまうから

『リング』シリーズに関しては、世間で名の知れている最初の作品以降、どんどんロジカルな内容になっていくのが特徴的。その上でこの作品を映像化するなら、正直貞子としてのホラー映画の成立は諦めた方が良かったんじゃないかなと思う。これは『リング』に始まる当該シリーズの謎解きというか、貞子というパーソナリティを明らかにする続編なので、最初の『リング』のようなホラー映画らしい出来にするのはどうしても難しい。そして『リング』シリーズを観ていない(読んでいない)人には分からない話にどうしてもなってしまう。ここに「映像化の限界」があったんじゃないかと。

ただ『タイド』とは一番の骨組み以外変えられているところが殆どで、どうにか初見の人でも分かるような内容になっている。その代わり『タイド』のあらすじはほぼなくなっていて、貞子の出自のみがそこにぽんと投げ入れられたような状態。なのでホラー映画にも成りきれず、『タイド』映像化にも成りきれず、中途半端に宙ぶらりんになってしまっているのが、けっきょくの問題だったのかも。

それでも初見の人にもわかりやすく、さらに有り体に言うならば貞子というヒットタイトルで興行収入を得たいのならば、『タイド』のことはもう一旦隅の方に置いておいてホラー映画であることに全振りすれば良かったんじゃ?という気持ちになる。しょ~~~じき一見ばかばかしそうなタイトルの『貞子vs伽椰子』のほうが面白かったしこわかったんだよなぁ。(コワすぎシリーズも好きです)

sadakovskayako.jp

なんでホラー映画になれなかったのか。なんで怖くなかったのか。

そこには上記に挙げた、「中途半端な映画化になってしまってホラー要素が薄くなったから」がまず大きな理由としてあると思うけれど、メタ的な話をするならば、

①「私たちが貞子に恐怖する構文を失った」

②「貞子の過度なキャラクター化」

に落ち着くなぁという感じ。おそらくこれは1000000000万回誰かがぼやいてた話だと思うけど、自分の鑑賞後の感想を忘れないようにこのブログに色々書いているので、今回も書く。です。

 

まず①私たちが貞子に恐怖する構文を失ったというのは簡単な話で、ブラウン管テレビとビデオテープを失ったことが大きいと思う。

貞子が登場したあの頃、私たちはみんな「何をダビングしたか分からないビデオテープ」を持ってた。ダビングにダビングを重ねすぎて画質は悪く、ラベルも貼っていないので何を録画したかも分からないやつ。ああいうのがみんな1つは手元にあったと思う。私はビデオテープはかろうじて小学生かそれより小さい時に記憶がある程度だけど、それでもそういうテープを持っていたのを覚えている。だからみんな貞子を身近な「ありうる」恐怖として捉えることができた。誰も「私は呪いのビデオなんて持ってないよ」なんて言い切れる人はいなかった(うそ、めっちゃ几帳面な人は違うかも)。 

でもそれがDVDに代ってしまうと、あの恐怖はどこかへ行ってしまった。得体の知れない不気味さというものがなくなった。今はDVDですらなくデータとかストリーミングの時代だから、その差はさらに顕著だと思う。それが私たちの失った「貞子に恐怖する(できる)構文」だと思う。

さらに言うならブラウン管テレビもそうで、あの画質の悪さが引き起こす不気味さはもちろんだけど、あの「厚さ」も重要だったと思う。あの厚さって、絶妙に「本当に人が出てくるかも」という厚さだと思う。よくタイムスリップもので江戸時代から来た侍がテレビを観て「中に人が入ってるに違いない!」というシーン、ああいう作品ではお決まりのよくあるやつだけど、それもブラウン管の時代の漫画に比べると今の漫画ではあまり見かけない気がする。その代わり「この薄さで中に人が!?」みたいな台詞は増えたと思う。タイムスリップものが好きな私のあくまで体感だけれども。

いまの薄型テレビじゃ「本当に貞子出てくるかも」という恐怖は感じられない

貞子の映画における怖さというのは、「あの井戸の映像を見ている人を私たちが見ている」そしてそのあと「井戸の映像だけが全画面で流れる」ことによって、あの映像を見ていた作中の人のように私たちも貞子が出てきて襲われるんじゃないか?という、一種の映像における枠物語の恐怖というものがあった。

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見終わってすぐにメモったので手書きで超恥ずかしいんですけど、上の図のようなこと。映像が二重の入れ子構造になっていて、ひとつめの映像(小さな箱)から貞子が出てきたのなら、ふたつめの映像(大きな箱)からも貞子が出てくるんじゃないか?と心のどこかで一瞬思ってしまうと、それが恐怖になる。そういうことじゃないかなぁと。ぼんやり。

でも薄型テレビだと物理的に出てこない気がして、この恐怖にセーブがかかるんですよね。本作でも薄型テレビから貞子が出てくるシーンあったけど、やっぱりなんか無理な気がしてしまった。CGが発達しすぎて、出てくるシーンがCG感あって、リアルすぎて逆にぜんぜんリアルじゃない。なんかぬるんって出てきた。アナコンダに食われた人間こうやってはき出されてた気がするなぁとか観ながら思った。

とにかくこの貞子に恐怖する構文を私たちは失ってしまったので、時代にあわせた「動画配信サイトでの呪い」というものに本作はシフトしていた。これが新しい恐怖の構文になればいいのだけど、ユーチューブ自体観ない人いるし、ユーチューブでも美容動画とかばっか観てる人にはいまいちこの恐怖は伝わりにくいしで、「万人の共通構文」には決してなり得ないんですよね。だから結局怖くない。しかも動画配信サイトで呪いが伝播するわけではなくて、「撮ったら死ぬ」が本作のコンセプトなんだけど、そこも結局生かせてない。撮ろうが撮らまいが貞子に狙われたら死ぬし、カメラ向けなくても貞子は現れちゃうし。結局これも最初の話同様中途半端で消化不良のままになってる

 

 

それから②貞子の過度なキャラクター化。

これはわざわざ記さなくても貞子が始球式したりしてる現在をみればわかるんですけど、もう貞子って愛されキャラクターなんですよね。得てしてホラー映画のモンスターというものは、ジェイソン然りチャッキー然りブギーマン然りフレディ然り、キャラクター化されてしまうものだと思う。これについては何でか考えがまだ及ばないのだけど、恐怖の反動で克服するためにこうなるのかな?なんでなんだろ。

とにかくキャラクター化されてしまっているので、しかも貞子はおそらく日本のホラーモンスターの中で最もキャラクター化されなじみ深いものになってしまっているので、もう「テンプレ」になりすぎて、そして可愛いものになりすぎて、ホラーとして恐怖することが難しくなってる。

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これは公式サイトのリンクのスクショなのだけど(公式サイトについては記事の最初にURL張ってあるのでそちらを参照)、公式がこれするってもう正直貞子でびびらせる気皆無じゃないですか?

っていうかなんか言いづらい雰囲気あるので言いにくかったんですけど、貞子で始球式とか、公式サイトのこのノリとか、ぶっちゃけ寒くないですか??さむ……い……ですよね?いやそこはひとによりけりなので何とも言えないんですけど、ですけど、でも少なくとも公式がこれやっちゃうのは「バズったらそれでよくて、ホラーとして貞子でびびらせる気ないんだな」と思われても仕方ないというか。

以前日清食品の人が「バズることを前提にCMを打つ」と言ってて、だからあんなにヘンテコで過激なCM多いのかぁと納得したのですが、ホラー映画がそれしちゃいけないんじゃないかなぁと思う。ブランディングは重要だし、貞子のブランディングがどんどんバラエティーの方に確立されていって肝心のホラーアイコンとして確立されないのはまずいんでないかと。おもう。

おもしろけりゃいいバズればいいってもんじゃないと私は思う。それは過激なことをして注目されたいYouTuberと何も根本が変わらないし、テレビ業界や映画業界や配給会社はYouTuberに説教できる立場ではなくない?と思う。そんなんだから、いつまでも「Jホラーは世界に誇る素晴らしいもの」という幻想にとらわれて、面白いホラー映画生み出せずに韓国映画のホラーに後れをとってるんじゃないかと思う。(これもまあ個人によって見解は違うだろうけど)

とにかくせめて公式がこれやっちゃだめでしょと。だめという言い方はニュアンスが違うけど、なんというか、悪手でしかないんじゃないかと。

結局そこの甘さが、先述した「新しい構文」を作り出す際の消化不良に繋がるし、最初の映像化したときの中途半端な感じという話に繋がる。

失ってしまった構文は戻らないし、ここは難しい問題なのでどうこうするのはなかなか至難の業だけど、「バズることを目的にして貞子をホラー的ブランディングでなくバラエティ的ブランディングに走る」ということは止めることもできるし、貞子で恐怖させることももう一度できなくはないと思う。

でももうもしかすると制作側は「貞子で恐怖させること」なんてはなから考えてなくて、完全にキャラクターとして扱っていて、ただ興行収入のためにヒットタイトルに間借りしているだけなのかもしれない。そう考えるとちょっと暗い気持ちになる。日本のホラー映画界は、少なくともメジャーシーンにおいてはもう難しいのかな。ちょっと暗い気持ちにまたなる。

なので今日は貞カヤを見ようと思います。バケモンにはバケモンをぶつけるんだよ。