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映画『貞子』感想/人々はもはや貞子に恐怖することができないのか

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https://eiga.com/movie/90752/

 

sadako-movie.jp

 

公開されました。池田エライザの『貞子』。初日に観てきたので感想を書きたいのですが、率直に言うならば「おもしろくない」が本音でした。どうして面白くなかったのか、そのことを考えると、もう私たちは貞子に恐怖することができない、及び制作側ももはや貞子で恐怖させようとしていない、というのが正直なところではないかと思います。

正直に、正直に言うなら、大人の事情的な意味での「映像化する上での限界」が本作を面白くなくしていて、「貞子に恐怖する構文を私たちが失った」ことと「貞子の過度なキャラクター化」が本作を怖くなくしていると思った。

内容に関しては可能な限りネタバレなしで進めていきます。

 

(※あくまでいち個人の感想なので、貞子こわかった!おもしろかった!という人はその自分の感情を大事にしてほしいです。)

 

まず正直面白くなかった理由としては第一に「こわくない」があると思う。ここには大人の事情的な意味での「映像化の限界」があると思う。

まず殆ど貞子が出てこない。つまりホラー映画らしいシーンはかなり少ない。貞子の出自を巡る話に関わってくるので、貞子登場シーンは大幅に減っており、「いるの?いないの?」的なシーンに関してはぶっちゃけ皆無です。Jホラーといえばこの「いるの?いないの?」の恐怖だ、貞子は日本が誇るホラーだと、よくそう日本人は言うけれど、ぶっちゃけ今の貞子にそんなものあるのかなというのが率直なところ。この映画で貞子は基本的に「よっ!」って感じで出てきて「ほな!」って感じでいなくなります。

『リング』自体については初めて見たのが小学生のときで、ほぼ見返していないので、あまり語れないのが正直なところ。なので決定的に間違ってたら訂正してほしいのだけど、一番はじめの貞子はもっと出番があった気がする。ただひとつ、ホラーの構文として重要なものに「狭いエリアの中で限られた人数でエスケープする」というのがあって、バイオハザード1などがホラーと呼ばれた所以はここにあると思っています。映画の『エイリアン』シリーズなんかもそうで、モンスターパニック系であってもホラー的恐怖があるのは大概この構文を抑えていることが多い。その中で貞子はその構文をさして重要視していないかなと思う。呪怨とかは家ホラー的な要素も大きいので、少しこの構文に近いところはあるけど、貞子は基本的にエリアを限定していない。世界中どこにいても彼女の呪いはついてまわるし、テレビひとつあればどこでも殺しにやってくるし、貞子の恐怖というものは、極端な話、真っ昼間の渋谷のスクランブル交差点のど真ん中でも成立してしまうんじゃないかなと思う。(バイオハザードシリーズやエイリアンシリーズはそうではなくて、スクランブル交差点で起こったらホラーではなくただのアクションになってしまうし、「バイオハザードがシリーズを追うごとにホラーではなくなっていった」「バイオハザード7は帰ってきたバイオハザード」と言われるのはそういう点においてもあるんじゃないかな)

なのでこの、エリアを限定しないし、どこかへエスケープすることが目的でもないし、限られた人数で逃げ惑うわけでもないし、夜でもない、真っ昼間のこの映画においても、貞子の恐怖というものは本来成立するはず。

(またこの「こわくない」に関しては後述する「貞子を怖がる構文を失った」に関わってくるので後で触れます。)

なぜこわくないか。それは『リング』シリーズのネタバレを壮大に含む『タイド』を原作として敷いているため、『リング』及び貞子の謎をとく謎解きシーンが多く含まれてしまうから

『リング』シリーズに関しては、世間で名の知れている最初の作品以降、どんどんロジカルな内容になっていくのが特徴的。その上でこの作品を映像化するなら、正直貞子としてのホラー映画の成立は諦めた方が良かったんじゃないかなと思う。これは『リング』に始まる当該シリーズの謎解きというか、貞子というパーソナリティを明らかにする続編なので、最初の『リング』のようなホラー映画らしい出来にするのはどうしても難しい。そして『リング』シリーズを観ていない(読んでいない)人には分からない話にどうしてもなってしまう。ここに「映像化の限界」があったんじゃないかと。

ただ『タイド』とは一番の骨組み以外変えられているところが殆どで、どうにか初見の人でも分かるような内容になっている。その代わり『タイド』のあらすじはほぼなくなっていて、貞子の出自のみがそこにぽんと投げ入れられたような状態。なのでホラー映画にも成りきれず、『タイド』映像化にも成りきれず、中途半端に宙ぶらりんになってしまっているのが、けっきょくの問題だったのかも。

それでも初見の人にもわかりやすく、さらに有り体に言うならば貞子というヒットタイトルで興行収入を得たいのならば、『タイド』のことはもう一旦隅の方に置いておいてホラー映画であることに全振りすれば良かったんじゃ?という気持ちになる。しょ~~~じき一見ばかばかしそうなタイトルの『貞子vs伽椰子』のほうが面白かったしこわかったんだよなぁ。(コワすぎシリーズも好きです)

sadakovskayako.jp

なんでホラー映画になれなかったのか。なんで怖くなかったのか。

そこには上記に挙げた、「中途半端な映画化になってしまってホラー要素が薄くなったから」がまず大きな理由としてあると思うけれど、メタ的な話をするならば、

①「私たちが貞子に恐怖する構文を失った」

②「貞子の過度なキャラクター化」

に落ち着くなぁという感じ。おそらくこれは1000000000万回誰かがぼやいてた話だと思うけど、自分の鑑賞後の感想を忘れないようにこのブログに色々書いているので、今回も書く。です。

 

まず①私たちが貞子に恐怖する構文を失ったというのは簡単な話で、ブラウン管テレビとビデオテープを失ったことが大きいと思う。

貞子が登場したあの頃、私たちはみんな「何をダビングしたか分からないビデオテープ」を持ってた。ダビングにダビングを重ねすぎて画質は悪く、ラベルも貼っていないので何を録画したかも分からないやつ。ああいうのがみんな1つは手元にあったと思う。私はビデオテープはかろうじて小学生かそれより小さい時に記憶がある程度だけど、それでもそういうテープを持っていたのを覚えている。だからみんな貞子を身近な「ありうる」恐怖として捉えることができた。誰も「私は呪いのビデオなんて持ってないよ」なんて言い切れる人はいなかった(うそ、めっちゃ几帳面な人は違うかも)。 

でもそれがDVDに代ってしまうと、あの恐怖はどこかへ行ってしまった。得体の知れない不気味さというものがなくなった。今はDVDですらなくデータとかストリーミングの時代だから、その差はさらに顕著だと思う。それが私たちの失った「貞子に恐怖する(できる)構文」だと思う。

さらに言うならブラウン管テレビもそうで、あの画質の悪さが引き起こす不気味さはもちろんだけど、あの「厚さ」も重要だったと思う。あの厚さって、絶妙に「本当に人が出てくるかも」という厚さだと思う。よくタイムスリップもので江戸時代から来た侍がテレビを観て「中に人が入ってるに違いない!」というシーン、ああいう作品ではお決まりのよくあるやつだけど、それもブラウン管の時代の漫画に比べると今の漫画ではあまり見かけない気がする。その代わり「この薄さで中に人が!?」みたいな台詞は増えたと思う。タイムスリップものが好きな私のあくまで体感だけれども。

いまの薄型テレビじゃ「本当に貞子出てくるかも」という恐怖は感じられない

貞子の映画における怖さというのは、「あの井戸の映像を見ている人を私たちが見ている」そしてそのあと「井戸の映像だけが全画面で流れる」ことによって、あの映像を見ていた作中の人のように私たちも貞子が出てきて襲われるんじゃないか?という、一種の映像における枠物語の恐怖というものがあった。

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見終わってすぐにメモったので手書きで超恥ずかしいんですけど、上の図のようなこと。映像が二重の入れ子構造になっていて、ひとつめの映像(小さな箱)から貞子が出てきたのなら、ふたつめの映像(大きな箱)からも貞子が出てくるんじゃないか?と心のどこかで一瞬思ってしまうと、それが恐怖になる。そういうことじゃないかなぁと。ぼんやり。

でも薄型テレビだと物理的に出てこない気がして、この恐怖にセーブがかかるんですよね。本作でも薄型テレビから貞子が出てくるシーンあったけど、やっぱりなんか無理な気がしてしまった。CGが発達しすぎて、出てくるシーンがCG感あって、リアルすぎて逆にぜんぜんリアルじゃない。なんかぬるんって出てきた。アナコンダに食われた人間こうやってはき出されてた気がするなぁとか観ながら思った。

とにかくこの貞子に恐怖する構文を私たちは失ってしまったので、時代にあわせた「動画配信サイトでの呪い」というものに本作はシフトしていた。これが新しい恐怖の構文になればいいのだけど、ユーチューブ自体観ない人いるし、ユーチューブでも美容動画とかばっか観てる人にはいまいちこの恐怖は伝わりにくいしで、「万人の共通構文」には決してなり得ないんですよね。だから結局怖くない。しかも動画配信サイトで呪いが伝播するわけではなくて、「撮ったら死ぬ」が本作のコンセプトなんだけど、そこも結局生かせてない。撮ろうが撮らまいが貞子に狙われたら死ぬし、カメラ向けなくても貞子は現れちゃうし。結局これも最初の話同様中途半端で消化不良のままになってる

 

 

それから②貞子の過度なキャラクター化。

これはわざわざ記さなくても貞子が始球式したりしてる現在をみればわかるんですけど、もう貞子って愛されキャラクターなんですよね。得てしてホラー映画のモンスターというものは、ジェイソン然りチャッキー然りブギーマン然りフレディ然り、キャラクター化されてしまうものだと思う。これについては何でか考えがまだ及ばないのだけど、恐怖の反動で克服するためにこうなるのかな?なんでなんだろ。

とにかくキャラクター化されてしまっているので、しかも貞子はおそらく日本のホラーモンスターの中で最もキャラクター化されなじみ深いものになってしまっているので、もう「テンプレ」になりすぎて、そして可愛いものになりすぎて、ホラーとして恐怖することが難しくなってる。

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これは公式サイトのリンクのスクショなのだけど(公式サイトについては記事の最初にURL張ってあるのでそちらを参照)、公式がこれするってもう正直貞子でびびらせる気皆無じゃないですか?

っていうかなんか言いづらい雰囲気あるので言いにくかったんですけど、貞子で始球式とか、公式サイトのこのノリとか、ぶっちゃけ寒くないですか??さむ……い……ですよね?いやそこはひとによりけりなので何とも言えないんですけど、ですけど、でも少なくとも公式がこれやっちゃうのは「バズったらそれでよくて、ホラーとして貞子でびびらせる気ないんだな」と思われても仕方ないというか。

以前日清食品の人が「バズることを前提にCMを打つ」と言ってて、だからあんなにヘンテコで過激なCM多いのかぁと納得したのですが、ホラー映画がそれしちゃいけないんじゃないかなぁと思う。ブランディングは重要だし、貞子のブランディングがどんどんバラエティーの方に確立されていって肝心のホラーアイコンとして確立されないのはまずいんでないかと。おもう。

おもしろけりゃいいバズればいいってもんじゃないと私は思う。それは過激なことをして注目されたいYouTuberと何も根本が変わらないし、テレビ業界や映画業界や配給会社はYouTuberに説教できる立場ではなくない?と思う。そんなんだから、いつまでも「Jホラーは世界に誇る素晴らしいもの」という幻想にとらわれて、面白いホラー映画生み出せずに韓国映画のホラーに後れをとってるんじゃないかと思う。(これもまあ個人によって見解は違うだろうけど)

とにかくせめて公式がこれやっちゃだめでしょと。だめという言い方はニュアンスが違うけど、なんというか、悪手でしかないんじゃないかと。

結局そこの甘さが、先述した「新しい構文」を作り出す際の消化不良に繋がるし、最初の映像化したときの中途半端な感じという話に繋がる。

失ってしまった構文は戻らないし、ここは難しい問題なのでどうこうするのはなかなか至難の業だけど、「バズることを目的にして貞子をホラー的ブランディングでなくバラエティ的ブランディングに走る」ということは止めることもできるし、貞子で恐怖させることももう一度できなくはないと思う。

でももうもしかすると制作側は「貞子で恐怖させること」なんてはなから考えてなくて、完全にキャラクターとして扱っていて、ただ興行収入のためにヒットタイトルに間借りしているだけなのかもしれない。そう考えるとちょっと暗い気持ちになる。日本のホラー映画界は、少なくともメジャーシーンにおいてはもう難しいのかな。ちょっと暗い気持ちにまたなる。

なので今日は貞カヤを見ようと思います。バケモンにはバケモンをぶつけるんだよ。

 

たぶんもうあの頃の初音ミクは戻らない

んじゃないかなと思う。

オワコンの向こう側と言われて久しいVOCALOIDの現状を悲観する記事は1億回書かれているとおもうのであまり言及はしません。が、先日、wowakaさんの訃報をきいてから、色々と当時のVOCALOIDを懐古してしまい。

VOCALOID全盛期に中高生だったオタクのただの懐古ブログです。

 

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砂の惑星」いい曲だよね。米津のボカロがやっぱぼかぁ好きだなあ、とか思ってたんですけど、wowakaさん亡くなってからヒトカラしてたら「砂の惑星」歌いながら泣いちゃって。自分がメンヘラガバガバ涙腺なのもあるとは思うのですが、やっぱり私にとってVOCALOIDって大きかったし憧れだったし、きっといつかこの鮮明な感情は薄れてしまうから、その前に涙腺ガバガバな恥を全世界に晒してでも自分のために記録して記憶しておきたいなと思いました。

 

 

ボーカロイドが流行るとともに流行ったのが歌い手で、もう良くも悪くも一大ブームになりました。今思えば歌い手なんだから一番に求められるのは歌唱力や表現力であるのが自然なのに、このときは違った。

歌い手に求められていたのは「人間らしくないこと」だったと思う。

例えばボーカロイドの声真似が一番に挙げられる。特にショタ声に分類される鏡音レンの声真似をする歌い手は男女問わず多く、そうした「ボカロに声質が似ている」というのはヒットする要因だった。

 

それから「多声類や両声類であること」も歌い手が(今っぽくいうなら)バズるためにとても重要なことだった。歌い手になりたい子たちは、例えば多くのプロ歌手がそうであるように「1つの歌声で歌唱力や表現力を上げること」ではなくて、「あらゆる声を出せること」を追求していた。そしてボイチェンなどは使わず、地でそれが出せることが求められた。

両声類とは (リョウセイルイとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

(上記リンクでは2007年が発祥であるとされ、その発端が「りゃく」や「vip店長」であるとしている)

このとき有名な歌い手には、例えば多声類である両声類である赤飯さんや、地の声質が非常に女性的である男性のピコさんやvip店長さんなどがいた。(もう当時は多くの歌い手がいて書ききれないので、今パッと名前を思い出した数名のみ名前を上げています)

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もちろん1つの声色で歌う歌い手も多くいたけど、より人気を博すのならば、この多声類や両声類であることは非常に求められたし、女性がまるで男性であるような、男性がまるで女性であるような声を出すことは重要視された。これは今思えば性別を超越する必要があったのかなと思う。

 

そしてまた重要視されたのが「ボカロのように機械っぽく歌うこと」。ボカロが歌う曲を人間が歌い直すんだから、むしろ人間らしくなめらかに歌った方が人気がでるんじゃないの?と思うのだが、当時はそうではなかった。機械っぽく歌う人がもてはやされていたのも事実としてある。加工を使わずにあの独特の歌声に近づける人は、コメントで「すごい」と言われた。

 

呼応するように、ボカロ曲で出されたのが「歌ってみろ」というタグがつくような高音で高速な曲だった。これは今でも「ボカロっぽい」と言われる代表的な作風で、米津が言っていたようにこの「ボカロっぽい」をつくったの一人は確実にwowakaさんだった。(ここでいうボカロっぽいは、高音高速以外にもあるが、とりあえずおいておく)

そしてその「歌ってみろ」といわれる曲を歌い手が歌い、「人間を辞めてる」「野生のボーカロイド」と言われ、さらに歌うのが難しい曲をボカロPが出していく。その繰り返しで、なんかどんどんレベルが上がる夏祭りの型抜きみたいだなぁと思ったのを覚えている。(重ねがさねになるが、歌い手全員が該当するわけではない)

 

ただやっぱりボーカロイド文化を歌い手が支えた面は非常に大きかったと思う。今では歌い手頼みになっている状況が否めないが、当時はうまく共生していたと思う。人気の歌い手が歌えばマイナー曲でも人気になる。私がそれを実感したのは2011年投稿の「盲目少女暗闇生存中」で、中毒性のあるメロディと歌詞だが、シンプルで素朴な造りになっているため、「びす」などの有名歌い手がこぞって歌い始めなければここまで評価はされなかったんじゃないかな?と思う。どうしても聞き手は素人なので、シンプルな曲って良いのか悪いのか評価しづらい面がある。

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当時はそれでお互い良い影響を与えていたのが、今は歌い手が歌わなければ人気になれないのかなと感じる。なんかこう、比重が歌い手に傾きすぎたというか。

ボカロPの「ボカロっぽい」、「歌えるもんなら歌ってみろ」みたいな、そういう人外的な曲を歌う歌い手っていう構図、今はそんなに見なくなった気がする。当時は溢れかえっていたのに。  

 

(追記2019.5.20

思ったより色んな人に読まれているので追記します。上記「歌い手がボカロを支えた面がある」というのは、歌い手文化に馴染みがなかった人からしたら甚だ疑問だと思う。だけどまず歌い手、それから踊り手や、絵師によるファンPV作成など、ボカロがある種の多様なメディアミックスのような形で支えられていたのは事実としてあると思う。ボカロの流行には、そういう、「ボカロP」と「ボカロ」以外の、受動的存在から主体的な存在となりメディアミックスのように多様に展開していったファンたちの存在が大きい。その一つとして、まずブームになった歌い手というミックスがあったと思う。ということを言いたかったのだけど、初音ミクの懐古的な趣旨からは外れていってしまうので、言葉を省いて手短に書いた。ら、誤解を招いてしまったようなので追記します。)

 

 

結局根底にあるのは、果てしない「ボカロへのあこがれ」だったと思う。

ボカロのような声質で、人間的ではない性別を超越した声色をしていて、幾人もの声が出せて、機械っぽく歌う。当時の歌い手の人気の傾向を見る限り、限りなく私たちはボカロになりたがっていた。それは恐らく機械へのあこがれだったんじゃないかと思う。

人間が限りなく「機械っぽい」ことが愛された、面白い時代だったと思う

 

今私たちにとって、アンドロイドや人工知能は「当たり前」になりすぎた。もはやファンタジーではない。そこに確かにある現実になってしまった。私たちは自宅で気軽にVR体験ができる。ヘッドセットだって手が届かない値段ではないし、都会ではVRアミューズメントがいたるところにあるし、なんなら百均でヘッドセットを組み立ててスマホをはめれば、私たちは気軽にファンタジー世界へトリップできてしまう。

ボカロが流行ったゼロ年代から2010年ちょっとまで、初音ミクは未来の存在だった彼女は現実の人ではなかった。ファンタジーの人だった。

当時の私たちにとってVRなんて星新一の世界で……とまではいわないが、宇宙旅行くらい「まだ手の届かない未来」だった。アンドロイドに夢を抱くことができた。ターミネーターなんてこわいお話があるが、あれをまだまだ先の遠い未来の話だととらえることができた。

今はもはや一切が現実である。当時の私たちが初音ミクに、ボカロに、ひいては機械(アンドロイド)(人工知能)に対して抱いていた憧れはもう抱くことがきっとできない。あのときは「なりたい」と思えたけど、もう思えない。それらは現実であり、現実における私たちの脅威になりうるし、その脅威はもはや身近に感じていて、私たちにもたらされる恩恵もとても「リアル」で「生々しい」恩恵だ。あのときのように、機械にユートピアを見ることはもうないんだと思う。あのときは機械にロマンを感じていた。たぶん。

今は「機械にはできない人間らしさはなんだ?」が追求される時代で、よく「50年後も生き残る職業」予想なんかが盛んに行われている。師の職業は消えないけど士の職業は消えるとか。

ボカロはちょうど、機械に生々しいリアルさも脅威も感じることがないほど「未来」で、でも適度に憧れを抱けるほど「現実的」な、その狭間の時代にちょうど成り立った歌姫だったんだと思う。現実味と非現実味のちょうどいい時代に彼女は成り立った。

 

初音ミクは未来から来たから初音ミクという名前らしい。

もう彼女が「未来」ではなくなった私たちにとって、それは「現実」だ。もうあのときのように、ドラえもんのように、きらきらと憧れることはきっと難しい。

 

だからきっともう、あの頃の初音ミクはもう戻らないのだ。

変わってしまったのは初音ミクとその音楽じゃなくて多分私たちと時代なのだ。

 

 

だけど一方で、「ボカロっぽい」はまだ生きている

元号が変わり令和になったが、平成の邦楽はインターネット……ニコニコ動画YouTubeに支えられて栄えることとなった。ハチさんの米津としての飛躍もそうだが、ボカロ全盛期に人気だったボカロPたちは、人間の声を使って今も邦楽を支えてる。(ヒトリエの音楽はもっと聴きたかった)

ボカロから視点を変えても、例えば配信という面で、神聖かまってちゃんのようなロックバンドがネットから誕生し、今も邦ロックを支えている。近年のYouTuberブームの中での彼らの音楽デビューもそうだが、そもそもニコニコ動画YouTubeという媒体そのものが平成の音楽を支えた。

今はもう音楽番組で「今週のベスト10」のようなものを、昭和に比べると全然しなくなった。それは大衆に共通する「ヒット曲」が存在しなくなったからだという。今でも「恋」や「lemon」や「USA」のようにブームになる曲は生まれるが、昔と比べるとそういう曲は格段に減った。それは私たちがネットを使って、自分達の好きな曲を聴くからだ。ラジオやテレビしか音楽の情報を得られなかった昔と違って、今はYouTubeでなんでも聴けてしまう。

そのネットが育んだ平成の音楽の中で、ボカロは大きな位置を占めていた。

 

realsound.jp

上記リンクの記事は面白いので読んでみてほしいなと思った。まず今のSSWたちの分岐としてボカロによる影響があるかないかが大きくて、ボカロに出自を持つ須田景凪/バルーンやEveに、さらに影響を受けている下の世代がいるという。

柴:そうなんですよね。長谷川白紙さんや崎山蒼志さんは、今まさに新しく出てきたシンガーソングライターだけど、これまでの音楽シーンで積み重なってできた日本語表現の系譜がちゃんとある。米津玄師さんを筆頭にボカロ文化に携わった沢山の人たちが作り出したものを受け継いでいる感じがありますよね。

 

柴: wowakaさんが亡くなった時に長谷川白紙さんがTwitterで言っていたのですが、初音ミクが音楽シーンに出てきたあと、wowakaさんが誰よりも先に機械のボーカリゼーションを自分の体で表現した、と(参照)。あと同時代で成し遂げているのが米津玄師さん。wowakaさんと米津さんっていうのはある種のライバルだったし親友だった。ボカロは初期はキャラクターソングとして認識されていましたが、自己表現のツールとして捉え直したことで音楽的な発明が生まれた。そういうボカロ以降の音楽性の発展があった。

 

鳴田:私は去年から今年にかけて集まったとは思わなくて。自作自演のシンガーソングライターは、いつの時代にも必ずこれからもいるものだと思っていて。こういう表現をしている人たちは今までもいたし、絶対にこれからも続いていく。ただ、最近はメインストリームで活躍するアーティストたちが、グローバルトレンドの要素を取り入れたりして、日本と世界の境界線を飛び越えるような音楽を作って評価を得ている。一方で、日本人固有の表現ができるアーティストも同時に必要なものだから注目を浴びているのではないでしょうか。彼らの音楽は日本人でしかつくれない表現法だと思うんです。

引用すべて『Real sound』より「崎山蒼志、中村佳穂、長谷川白紙……新星SSWの新たな歌詞表現とは? 有識者3名の座談会【前編】」(上記URL)2019・5・3

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2018年から今年にかけては多様な若いSSWたちが続々と世間に名を知られ始めている。彼らの登場の背景には少なからずボカロによって培われたネットの土壌があって、彼らの音楽には少なからずボカロ音楽の系譜の影響があると。私は音楽的なことには一切詳しくないので、ああそうかぁと思う他なかったのだけど、でもいち聞き手からしてもその傾向はなんとなく感じ取れている気がする。

 

元の話に戻ると、もう私たちはあの頃の初音ミクを取り戻すことはきっと難しいと思う。でも彼女のツール化とともに誕生した「ボカロっぽさ」は今も平成邦楽として根付き、後の世代にも強い影響を及ぼしていると思う。

もし再び初音ミクを復活させたいのなら、私たちが再び彼女を「未来の偶像」としてあがめることになるだろうけど、そのために必要な音楽はきっと今までの「ボカロっぽい」とは全く違うものになるのだと思う。混沌としたあの音楽を、新しく創生するのならば、きっとまた初音ミクは新しい形で蘇る。んじゃないかなぁと思う。たぶん。

 

 

 

耳かきサロンに行って数年ぶりに耳垢をとったけど、耳かきサロンのオーナーがサイコパスのB級スプラッタ映画アリじゃない?

先日耳かきサロンに行ってきました。

 

元を辿れば私はASMRが好きで、よくYouTubeで石けんとかをナイフで切る動画を見てはゾクゾクするのが趣味だった。

ちなみにASMR、そういう「気持ちいいすっきりする音」を求めていくと咀嚼音にたどり着くようで、YouTubeを見てる人なら咀嚼音の動画はおすすめとかによく上がってくると思います。私も数万人に登録されているようなチャンネルで、蜂の巣の咀嚼とか、なんかしゃれたラムネの咀嚼とか、「シャリシャリして気持ちいい音」を聞いていました。何かを食べる音って不快なはずなのに、それが「気持ちいいもの」として消費されて何万もチャンネル登録者数がいるとか、新しいカルチャーという感じで非常に興味深くもあります。クチャラーは嫌われるのに咀嚼音の動画が好んで再生されるってすごいですよね。

ですが一歩間違えるとそういった動画には「クチャァ……んふ……ン……すみませ……(すげぇウィスパー)息がもれちゃう……クチャ……」みたいな、ひとむかしまえのニコニコ動画の自称エロボ吐息動画みたいなインターネット地雷が混ざっているので怖い。

そういうわけでASMRを避けて気持ちいい動画を求めていくと、必然的に角栓抜きにたどり着くわけです(そうかな?)

でも残念なことに私は角栓抜きにエクスタシーを感じない人間なので、さらにおすすめ動画を辿っていき「他人のクソ汚い耳の中の掃除」動画にたどり着きました。でっっかい耳垢がとれたときの快感、あれは全人類共通の快楽だと思うのですが、その疑似体験にこのゴールデンウィーク後半はハマっていました。まあGWっていうか毎日が夏休みなんですけど。

 

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このサロンの耳かき動画を死ぬほど見てました。

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この動画は504万回再生です。

やばくない?米津のMVかよ。

他人の耳の中なんて覗きたくないに決まっているのにこれって、でけぇ耳垢をとることがどれだけ人類共通、人類普遍の快楽かがわかります。

このサロンの動画を見ているとどれも10万回は再生されていたりして、凄い。もう耳垢動画にはまっちゃって「耳垢 ピンセット」とか「耳垢 パイシート状」とかAVのカテゴリ指定並みの検索をして好みの耳垢動画をマジでず~~~~~~~っと見ていました。もうず~~~~~っと。ずっと。この人の耳の中きったねぇなあ、どうやったらそんなに耳垢たまるんだよ、とか言いながら。わざわざ半年耳垢溜めてサロンに?は~奇特な人もいるもんだなぁ、さすがに半年耳掃除してなかったら汚すぎるわ~~取りごたえあるな~~~~とか。言ってて。

 

 

 

私もう何年も耳掃除してないんですよね。

その事実にふと気づいて。自分の耳の中、こわくなっちゃって。

 

確か高校生の前半くらいまではお母さんに耳かきして定期的にとってもらってました。

さすがにもうお母さんに耳かきしてもらうのもなあと思って、自分でするようになったんですけど、自分じゃ加減がわからなくて、痒い限りしていたら耳から流血しちゃって、耳鼻科の先生に「耳かきは基本しなくていい。勝手に出てくる」と言われて。

それを信じて耳かきを一切やめてみたら、昔ほどかゆみが起こること自体なくなって、「耳かきすればするほど痒くなるって噂は本当だったのか~」と思って、ちょうどその頃ツイッターで「耳が痒いときが綿棒にベビーローションを塗ってくるくるしたらかゆみがおさまる」的なツイートがバズっていたのもあって、マジで数年自分の耳にノータッチで生きてきました。痒いこともほぼなくなったし、自分に耳垢という概念があることすら忘れてた。そんな忘れてたものを数年ぶりに呼び起こしてしまった。

動画を見てからめちゃくちゃ耳が痒い気がする。

ていうか勝手に耳垢出てくるんじゃなかったの?勝手に出てきてないじゃん、この動画の人たち。積み重ねて地層みたいになってる人いるじゃん。エ、もしかして耳垢が自然に出てくるのってデマなの?

ていうか私って耳の聞こえが悪いんですよね。聴覚テストに引っかかったことはないのですが、なんかこう、人に何か言われたときにそれを咄嗟に受け取ることができないというか。昔「窓ガラス」を「志村けん」ってマジで聞き間違えました。

聴覚テストは「ちゃんと聞くぞ!」と身構えているのではっきり聞き取れるのですが、日常の中でそれが苦手。すごく極端に言うと「おはよう」が「お」「は」「よ」「う」の字が聞き取れても言葉として受け取れずにバラバラになっちゃう感じ。まあ頭の問題だとは思うのですが、このときはもう耳垢がこびりついてるせいだとしか思えなかった。

 

もう慌てて「耳かき 大阪」でググって出て来たところに行きました。45分6000円。うーんいいお値段。でもあんな動画を観た後だとこわすぎてそれくらい全然払う。あと正直数年たまった耳垢を採掘する快感にお金を払いたい。

どうせなら一日自分メンテの日にしようと思ってヘッドスパと整体も予約してもう準備万端。

が、ちょうどその前日メンタルがヘルスになっていて、「あしたヘッドスパと耳かきと整体?わざわざ着替えて化粧して電車乗って?そんな高度なことできるわけない死にたいそんな体力も気力もない死にたい」になっていて無理かと思われたところ、翌日けろっと回復し無事出かけることに成功(髪を巻く元気までは回復しませんでした)。

乗り換えが面倒だったから別の駅から1駅歩くことにしたのですが、当日朝「あ!いける!今日いける!」という気持ちのあまり去年の夏の現場で履きまくって「縦にも横にもデカい」「その歳で夢展望の靴を履くな」と悪口を言われる原因になった10cmヒール(厚底)をノリで履いてしまい、脚が死にました。しかも大阪29度。半袖着たけどリスカ痕隠すためにカーディガン羽織ってるから普通に暑い。ふらふらになりながらお店に着いたら予約時間の30分前。早く着きすぎた。(私は軽めの強迫性障害持ちなので結構心配性です)

結局見知らぬ住宅街をぷらぷらして時間をつぶしていたのですが、知らない住宅街とか知らない町のセンチメンタリズムすごくないですか?知らないのに懐かしいし、知らないのに誰かがそこで生活していて不思議な感じがする。センチメンタルになってちょっと泣いちゃったのですが、ようやく10分前になったのでお店に再度訪問したところ、ドアが開かない。鍵がかかってる。ここでミュージカル刀剣乱舞~結びの響始まりの音~大阪公演でヘアメしようとしたら「店の人間が寝坊した」とかいうゴミみたいな理由で予約時間2分前くらいに一方的にキャンセル通知、すでに店についてた私は真っ暗で鍵のかかった店舗を見ながら茫然、そして謝罪一切なし、というマジでゴミみたいなおたくエピソードを思い出してしまい背中を冷たいものが流れましたが、電話をしてみたら「すぐ開けます」とのこと。(件のゴミみたいな店は後にツイッターでうっかり手が滑ってしまい晒してしまいました)

スタッフの女性に案内され背もたれの倒れたソファに横たわり、耳の中にカメラを差し込みながら耳かきしてもらいました。

ところでどうしてドアに鍵がかかっていたのかと尋ねると「最近奇声を上げる変な人が出没するから、店に押し入られたらこわいので鍵をかけてる」とのこと。大阪らしいなあと和みました。大阪にはマジでそういう人がいっぱいいるので。マジで東京の比じゃないくらい、日常の中に変なやべぇ人がよくいる。大阪。

 

スタッフさん「こういうの初めてですか?」

私「初めてです!」

スタッフさん「じゃあカメラ入れていくけど緊張しなくて大丈夫ですよ。自分の耳の中最初はびっくりするかもしれないけど……」

私「YouTubeで動画見てたから覚悟してるので大丈夫です~~…………耳毛多ッッッッ!?!?!?!?

耳垢は覚悟してたのですが、耳毛の量に驚きました。そりゃジジイも耳からあんだけ毛出すわ。20歳そこそこでこの量なんだもの。伸び続けたらそりゃああなるよ。マジでジャングルのような耳毛に驚いたのですが、「耳毛の量は個人差ありますから」とスタッフさんからのフォローが入る。

耳垢をとる前に耳毛を切っていくのですが、よく考えたら他人に耳の中に鋭利な刃物を入れられてる状況ってものすごくこわい。冷静になると。もし私がこのスタッフさんの機嫌を損ねてしまったら、今すぐこの鋏で鼓膜を突き破られたっておかしくない。

まつげパーマをしてるときもいつも思うのですが、目も委ねてるときはものすごく無防備で、事故で目をつぶされないとは限らないし、意図的にやらないとも限らない。昔のいじめっことかが客として来たとき、目をつぶしたり鼓膜を破ったり、そういうことをしないと言い切れる理性は私にはない。どこで恨みを買ってるかは分からないし、もしかしたらこのスタッフさんも……とか考えだして正直モニターどころじゃない。

耳垢ごっそりの快楽に6000円払いに来たはずなのに、今まで見て来たB級スプラッター映画のシチュエーションだけが走馬灯のように頭を巡る。まつエクサロンのはまだ観たことないけど、美容室とかで首ちょんぱになる映画はある。わりとある。グリーンインフェルノの監督の笑顔が脳裏にこびりついて離れない。

(一応きちんと書いておくと、こういった耳かきサロンは医師法に抵触しないよう、鼓膜前1/3は触らないことになっています。実際鼓膜付近に耳垢のある人は耳鼻科を勧められるようです)

もし私がB級映画の監督だったとしたら、耳かきサロンのオーナーが実はサイコパスで、鼓膜を破って……って地味だから使わないかな。やるとしたら鼓膜を破ったあとメチャクチャ細長い棒を突っ込んで脳みそを生きたまま引きずりだすとか、そういう方法なら映像としてはアリかもしれない。ミイラをつくるとき鼻から脳みそ引きずり出したらしいし、そういう客をミイラにしてコレクションするオーナーが……とかくだらない現実逃避してみたけど、実際に殺人ホテルをつくってたヤバい殺人鬼もその被害者も実在するわけなので、無いとは言い切れないんだよなぁ。ましてや個人的に私に恨みがあって鼓膜を破壊する可能性はもっとあるし、さらに事故で鼓膜を破っちゃう可能性はもっと……とかかんがえてたらまじでこわくなって半泣きになった。

肝心の耳垢はというと、濃いアメ色の、カサカサ系じゃないやつが一つあるくらいで、正直拍子抜けした。地層じゃなかった。パイシート状も少しあったけど、一般的な耳って感じで、私がYouTubeでしこしこ見ていた猛者たちの耳とは全然違う。あれがよかった。私の耳、つまらない。持ち主に似て凡庸でつまらない耳垢。私の耳らしいなぁと思うと切ない。

関係ないけど耳垢がカサカサしてる人は弥生系、湿り気のある人は縄文系らしい。私は顔からして縄文系間違いないので、この説は意外とありうるんじゃないかと思っている。

 

私「なんかYouTubeで見て期待してたより耳垢ないですね」

スタッフさん「あれはすごい人だけが動画になりますからね~」

そりゃそうだ。

私「何もしなくても耳垢は勝手に出てくるって聞いたのでずっと耳掃除してなかったんですけど、実際そうなんですか?」

スタッフさん「人によりますね。出てくる人は出てくるし、出てこない人は出てこない。〇〇(私)さんは耳掃除してなくてこれなら、勝手に出てくるタイプなんだと思います」

私「そっかぁ」

スタッフさん「残念ですか?」

私「ちょっと……」

ていうかこんな微量の耳垢しか出ない耳ってスタッフさん的にもつまらないんじゃないか?と思ってびくびくする。つまらない耳ですみません、という気持ちになってくる。だって絶対ごっそり出てくる耳って大変だけどスッキリするに違いない。「やってやった!」みたいな気持ちになるはずだ。でも逆に「どうせ給料変わらないんだから、耳垢やべぇやつは割増料金にしろよ」とか思うのかな。どっちなんだろう。察することのできない店員さんの気持ちを考えてびくびくし続けてしまう。ていうか喋ると耳が揺れて困るかなと思って黙ってしまう。でも無口だと嫌味な客だと思われないか不安になる。

 

スタッフさん「耳の奥、鼓膜付近きれいですね~鼓膜もきれいです。色が濁ってないし。手前のところもつるつるしてて綺麗」

 

人生で鼓膜を褒められたのは初めてだけど、人に普段見せないところだから褒められると恥部を褒められたようで恥ずかしい。営業トークのお世辞かもしれないけど。だって人の鼓膜の良しあしは私には分からない。

婦人科で内診されたとき医者に膣のなか「意外と汚くないね」と言われた時の気持ちに似てる。なんか、そういうところの感想を言うの、やめてほしい。鼓膜も恥ずかしい。

 

耳かきのあとは耳及び首から首の付け根にかけてのオイルマッサージもあり、これで6000円なら妥当な額じゃないかなと思う。むしろお値打ちかも?

ちなみにマッサージに関しては全てがゴリゴリすぎて引かれた。

 

まあでもマジな話をすると、耳垢がそんなにおおくなくてもモニターで見ながら取ってもらうと本当にスッキリするし、マッサージも含めて耳のリフレッシュになると思います。自分で耳掃除は耳垢を押し込んじゃったり耳の中を傷つけちゃうリスクがあるので、他人にやってもらうのが一番だけど、耳鼻科に行くのはハードルが高いという人は耳かきサロン本当におすすめだと思います。

なんかサロンの人は女性ばかりだったし、安心できて落ち着きます。

 

ところで何か月くらいを目途に来ればいいんだろう?と尋ねてみたところ、「おおむね2か月くらい」とのこと。じゃあ次は7月に来ようかな、と出してもらったお茶をすすりながら考えていると「次はガッツリ耳垢溜めてきてくださいね!」。

やっぱり微量の耳垢しかない凡庸な耳はつまらないのかな。びくびく。

スタッフさんのガッツポーズと笑顔に耳垢をためねばならないプレッシャー。耳垢がなかったら鼓膜を破ってミイラにされるんじゃないかという裏をその笑顔に感じてしまう。生きたままミイラは嫌だな。そんなわけないけど。

 

 

 

その後予定通り整体に行ったのですが、問診票の飲んでる薬の欄に一応書いた精神薬をみた担当のオッサンに、一切の悪気がなさそうな営業トークの声色で「精神科通ってるんですか?(*^_^*)」「いつから通ってるんですか?(*^_^*)」「躁鬱かな?(*^_^*)」「どこの病院なの?(*^_^*)」「(長袖で隠してたリスカ痕見て)やっちゃったね~(*^_^*)」とか言われたし、例えば私が住所を「大阪府大阪市港区海岸通1-1-10」と書いていたとして(海遊館の住所です)港区どころか海岸通とかいうめちゃくちゃローカルな自宅周辺のことについてやたら聞いてきたり、プライベートのことずけずけ聞いてくるし、なんか最悪だったのでそこはマジで二度と行かねぇ。

 

1泊するオタクの持ち物なんじゃろな

 

上記のようなお題箱が来たため、引き続き特におもしろみのない中身を見せていきます。面白くはないのに身バレのリスクだけが高まっていきますね。

 

 

キャリーケース


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1泊用にわざわざゴールデンウィークに梅田まで出向いて買いました。

しかし旅行用品店のキャリーケースの高価さと意外とそういう場所に1泊用がないという理由から、結局地元で買いました。梅田まで行ったのなんだったんだろ?

躁鬱の鬱期に頑張って行ったのですが、お母さんの新しいお財布を買えたので良かったです。唯一のゴールデンウィークの思い出です。百貨店で急に泣き出すヤバイ人になったのはしんどかったです。なんで勝手に泣いちゃうんですかね?わたしの涙腺がばがばすぎないかな。

ちなみにスパイラルガールのやつです。税込1万くらいです。買ったときから黒い汚れがあるのですが見なかったことにしています。

 

 

◆着替え◆
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夕方に撮ったので若干禍々しい色合いですね。写真下手なので。

インナーや下着やストッキング類をいれてる小さめの袋です。一応ビニール袋とかも数枚持ってます(これロフトのですね)。

鞄を買ったときについてきた袋を流用しています。たぶん埃よけのための袋だと思うのですが、鞄は埃をかぶっています。

1泊だとインナー着てるし服は替えなくていいやって思うんですけど変ですかね?不潔だと思われたらどうしよう。でも荷物多くなるのイヤじゃん。煙草とかの匂いがついたらリセッシュするし。いまどきのビジホはリセッシュついてるから大丈夫。いざとなったら自力で洗おう。

 

 

◆物干し竿的なやつ◆
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名前わからん。キツキツにいれられてなんか可哀想ですね。わたしインナーや下着などを汚れたまま持ち帰るのが嫌で、なるべく自力である程度洗ってから持ち帰りたいんですよね。なのでそれを干すためのやつです。浴室で乾燥かけたら翌朝にはカラッカラです。もうカラッカラ。干物くらい。

たぶん100均や無印に折り畳み式のがあると思うのですが、めんどくて探してないです。

 

 

◆充電器類◆
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またでた。スナイデルのポーチです。

スマホの充電器およびウォークマンの充電器が入ってます。キンブレを使うときはなんかあの色を作って操作してキンブレに送れる白いやつも入ってます。

 

 

◆日用品系◆
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またでた。スナイデルのポーチです。そのなかに入っているのが以下のものです。

①化粧水や乳液、クレンジング類(デパコスの試供品)(1泊ならこれでよくない?)

②洗剤(洗いたい)

③巾着袋。どこかへ旅行したときの旅館で、女性向けアメニティがそれぞれ柄の異なる巾着に入っていて、かわいかったので使ってます。中には、わたしは皮膚科通いなので病院関連のスキンケアや持病のお薬、洗顔料など。

④スプレータイプの日焼け止め。髪に使います。

⑤液体タイプの日焼け止め。体に使います。持ち運び用の日焼け止めは鞄にいれてます。

⑥ヘアバンド。黒い塊ではありません。

 

 

◆推しのカレンダー◆

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配る気満々です。

去年のカレンダーは去年の暮れの真剣乱舞祭で配りきりました。カレンダーの意味は成してない。

 

 

 

セカンド鞄


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オタクの鞄の中身はなんじゃろな - 現金満タン、ハイオクで。

基本的には鞄の中身は上記紹介した通りですが、遠征になると必要なものが増えるのでセカンド鞄を使ってます。トート系なら次の日からはキャリーに畳んでなおして、ふつうの鞄だけで過ごせるし、なんかまあ色々便利です。鮫が好きです。 鮫映画の浅い奥深さが好きです。

このトート、想像よりでかいよ。

 

 

◆化粧品一式◆

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夜行を使う場合、翌日バスタのトイレなりVIPラウンジなりでお化粧するのですが、キャリーからいちいち取り出すのは面倒なので鞄のなかに。パンっパンです。

夜行の場合はこれとともに小さい洗顔料とオールインワンジェルも入れています。

 

 

◆本◆
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真面目アピみたいで大変恐縮なのですが、基本的に現場に友達なんかいないので、現場なりそれまで時間潰してるカフェなりでの暇潰しとして本を持ってます。

スマホもまあいじるのですが、充電がこわいのと、根本的に周囲のオタクを信用していないため、あまり現場でスマホ(とくにツイッター画面)は開きたくないです。

このときはたまたま古井由吉でした。内向の世代とかいうらしいですね。よくわからないです。『円陣を組む女』を読んで「よくわかんねーけどわかったら面白いんだろうな」と思い、この本を買いました。ちょっとかっこつけの意味合いもあります。

ちなみにわたしは自意識過剰なので恥ずかしくて外で村上春樹を読むことができません。

 

 

◆キンブレ◆
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オタク、ないと死んじゃう。

このときは推しがいなかったので2本ですが、普段はキンブレシート入りの6本くらいです。

場合によってはここにうちわが追加されます。

 

 

◆お茶◆

生存に大事

 

上のもの以外にも、ふつうの鞄にいれたいけど入らないものとかをガシガシ突っ込んでます。上の記事で持ってないときもあるって書いてるやつとかは大抵トートにいれてます。

 

という全く何の役にも立たなさそうな内容でした。

次は連泊するときにエントリを書くので、そのときにはあのなんか洗濯物干すやつの名前が分かっていてそれの折り畳み式を買ってるくらいの成長ができていたらいいなと思います。

 

 

【ガチ恋の妄言】ルルーシュはわたしの神様(仮)なのか

令和になってもルルーシュが好きだ。どうしよう。

そもそも私にとってルルーシュってなんだろう。ということを考えていた。

ごはんを食べているときも、お風呂に入っているときも、友達としゃべっているときも、ミュージカル刀剣乱舞を観ているときも、ずっとルルーシュのことを考えている。
幸いにも刀ミュ新作期間と復活のルルーシュ上映期間が被らなかったため、事なきを得たが、うっかり被っていたら日本青年館ルルーシュのことしか考えられなくなって内容が全く頭に入ってこなかったと思う。

話はそれるが私は現在メンタルのヘルスがちょっと悪化していて、元々出勤に都合がいいからと月の1/3くらい梅田のワンルームマンションで過ごしていたのだが、いまはオール実家だ。どこへ行くにも母の送迎つきで、ODがばれて薬の管理も母がしてる(情けない)。そもそも処方箋の抗不安薬抗精神薬なんかバケツ一杯飲んだって死ねないなんて常識じゃん、と「ODイコール死」だと思っている母に言うのも面倒でそのまま管理を委ねた。どうせメンクリに行くような人間は酒で薬ODするに決まってるんだから医者は多めに薬出せばいいのに、とか思う。食事は部屋の前まで持ってきてもらう。完全なニートだ。(毎月給与は入ってきてるのでその点は大丈夫)

日がな1日ぼーっとしてると、「こんなんじゃルルーシュに嫌われちゃうかな」と思う。

元々私のメンヘラが悪化したのをどうにかしようとしてくれたさきちゃん(私のツイッターを見ていると頻繁に登場しますが実在人物です)は、私がお金のために身を粉にしてぎりぎりスケジュールで生きてるのを心配してくれた。

自分でも「マジで長生きなんか微塵も考えてない生き急ぎ方してるな」とは思った。

職種内容に差はあるが、私の具体的なスケジュールを想像したかったら「ホス狂 鬼出勤」とかで調べてほしい。ホス狂じゃないけど。

 

www.nhk-ondemand.jp

(ふつうに面白いから観てください)

 

そんなわけで新しいメンクリにかかる前のギリギリのときの私は何を考えていたっけ、とLINEをさかのぼってみた。

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ルルーシュに助けられたがっていた。私にとってルルーシュって何だろうと思った。

ただ「好きなキャラ」とか「推し」とか「ガチ恋」とかではおさまらない気がする。

 

highb.hatenablog.com

 私とルルーシュの詳しいなれそめ(?)及び私のガチ恋加減はこっちを観てくれたらと思うが、メンヘラのときも彼に助けを求めている。(上記記事参照)

私にとってルルーシュはたぶん神様だったのだ

それはひな鳥の刷り込みに近くて、小学生のあの日に彼を観て好きになって、学校でちょっと嫌なことがあってもルルーシュのことを考えたら耐えられて、それがどんどん大きくなってしまってメンヘラのときも最初にすがるものになってしまった。

今も考えながら、ルルーシュが助けにきてくれたらいいのになと思う。とんだ他力本願だ。でも彼が来てくれて頭を撫でてくれたら私の全ての悩みも解決するし、なんなら世界の紛争とか飢餓問題とかなんかそういうのも解決するような気がしてる。彼ならできないことはないし、あの手のひらさえあればなんでも解決するに違いないと、どこか思っている。もうハタチもすぎたのにね。彼の年齢も超えてしまった。

なんで頭を撫でてほしいんだろう。そう思えば、はじめてルルーシュを観た頃、母からの愛を無性に渇望してたなと思い出す。私は今時フロイトを信じるのはカルト並にやべぇと思っているし、「母性」は女性に押しつけられた都市伝説だと思っている。だから母から与えられるものをうまく自分のなかですなおに消化できずに大人になってしまい、結果的に、ひな鳥のように、あのとき惚れたルルーシュに私を救ってくれる無限の愛をくれる役割を期待しているのだ。

ルルーシュに感じているこの万能感、それは幼い子どもが親(現状特に女親)に対して抱く万能感と同じではないかと思った。子どもは親に万能感を覚える。お母さんに知らないことはない、お母さんにできないことはない、お母さんが大丈夫って言ったらなんか大丈夫な気がする。その感覚をルルーシュに抱いている。

きめぇなと思う。

男性オタクをみていると、冗談半分で幼い女の子キャラに「ママ」と言う一種のカルチャーが存在するが(輸入的な形で現在女性オタクにも見られる。その場合の対象はBLにおける受けキャラであったり、ガチムチだけど胸筋が豊富で優しいキャラだったりと、「女性的」役割を仮に担わされているケースが多い)、ときおりなんてグロテスクな文化だと思う。

物言わぬキャラに「母性」を与えてしまうのは果たして現実に影響はないのか、そもそも「母性」を、ノストラダムスも20年前に死んでしまったこの「未来」で盲信していいのかなと思う。幸いなのは現実のひとにその役割を担わせないことだけど。

そして私もそのオタクのひとりである。単純な話だった。
私は彼に「ママ」を求めていると感じたことはないが、突き詰めたらそういうことなのだと思う。苦境の淵で、どん底で、彼に頭を撫でてほしいと願う。抱きしめて「大丈夫だよ」って言ってくれたらなんだってできる。24時間戦えるし、メンヘラになることもたぶんない。

多感な時期をメンヘラとして過ごし、同時にルルーシュのことを考えて生きてきたから、私にとって思春期の象徴もルルーシュだ。つまり恋の対象だ。曲がりなりにも中高生のときに彼氏はいたがまああまりいい思い出はない(彼氏が蒸発した話はまた追々)。
なので私にとって恋はルルーシュだし、ルルーシュは恋だ。

なんかもう書いてて自分がきつくなってきた。
つまりルルーシュ「母」の象徴と「恋人」の象徴を求めてることになる。あ~~~~~きつい。女に聖母と娼婦を見るのと何がちがう?なんかもう死にたい。

 

highb.hatenablog.com

 

こんなエントリを書いておきながら、という感じがする。

 

私はルルーシュに「ママ~!」的なツイートをしたことがなかったし、ガチ恋とはいえ生々しい性欲を絡ませたようなツイートをしたこともなかったので気づかなかった。

生々しいといえばルルーシュとセックスしたいのかと言われたら「わかんない!」としか答えられない。例えば男性向けエロみたいながちゅがちゅしたようなセックスはしたいとは思わないし、想像できないし、なんか違う気がする。リアルに想像したら、ルルーシュ体力ないからたぶんあんなパフォーマンスセックスできないし。(便宜的に男性向けって言葉使ってます)
少女漫画みたいなやつなら、想像できるし、したいかもしれない。でもそれって性欲の絡んだセックスというよりは、壁ドンされたいとかバックハグされたいとかと同一線上にあって、少女漫画のセックスはセックスじゃない、ような気がする。

言い換えるなら精神感応?

出典をはっきりとはさせられないのだが、以前男性から女性に性転換した方が男女の性欲の違いを「男の性欲は〈相手を食べたい!食らいつくしたい!〉って感じで、女の性欲は〈相手の風景になりたい(イメージ画像『ハチミツとクローバー』)〉って感じ」と語っていたのを思い出す。個人差はあるだろうから少なくともその方のいち経験則としか語れないが、でもなんかわかる気がする。
少女漫画のセックスってこれだと思う。そして私はルルーシュにこういったことを求めているのなら、やっぱり私にとってルルーシュは「性」でなく「恋」の象徴なんだと思う。(だからちょっと聖母と娼婦とは微妙に違うかな?)

わかる、ルルーシュに見られたいもん。なんかめっちゃきれいな景色のとこでルルーシュに見られたい。それでルルーシュの方から私の手に触れてほしい。やっぱり少女漫画のセックスってセックスではなく精神感応な気がする。

こんなメンヘラのよりどころにされたあげくに人格も無視されて可哀想なルルーシュ、ごめん、でも好き。

世間はゴールデンウィークではしゃいでる中、私は一日ぼーっとしたり泣いたり暴れたり酒を飲んだりしていたのだが、死んでもいまコードギアスのDVDは観られないなと思った。
私とルルーシュ、彼我を比べて、自分のいまの現状を考えて、余計に落ちてしまう気がする。
私がメンヘラのとき助けてほしがっているのは「私の中のルルーシュ」であって、「本物のルルーシュ」ではない。「本物のルルーシュ」の方を見たら落ちてしまう。

結局私が彼に求めているのは真実性ではなく虚構性だ。母の影であり恋の思い出だ。
でもきっとこれは私だけではなく、2次元3次元限らず誰かに傾倒しているおたくはきっとみんなそうだ。本物じゃなくて自分のなかのそれを崇めている。
まあキャラクターだし被害者がいないからいいじゃん、と言ってしまえばそうなのだが。

復活のルルーシュを見た際にこう書いた。

彼が大人の都合で生き返らされた感は否めなかったが、むしろそのことで彼が二次元の偶像なのだと実感した。初恋の人が死んでしまったということがずっと辛かった。ようやくルルーシュのことを一つの偶像としてしまっておくことができる気がする。
ようやく初恋を終わらせることができるのかなと思った。

 

これには訂正を加えないといけないなと思う。

私は『復活のルルーシュ』を見て、ルルーシュが意思を持たない二次元の産物であると自覚したと書いたが、そうではなく、上記の流れになぞらうならば、私は心の奥底では彼が偶像であり意思と人格を持たないキャラクターであると認識していた。
そしてその空洞性をもってして自分の人生の救い主に彼を設定したのだ。

となれば私はずるくて卑怯だなと思うし、まあでもオタクってみんなやってるだろうしなとも思う。

ゴールデンウィークはそんなことに気づいて、ちょっと自己嫌悪に陥って過ごしている。


でも自分の人生を楽しめているときは、私はコードギアスのDVDを観て本物のルルーシュを楽しめるし、本物のルルーシュのことを大好きだって言える。
ルルーシュに恥じないためにも、彼の人格を尊重するためにも、自分の人生を上向きにしないといけないし、「明るく楽しく生きたい」と思えるのはやっぱりそうした「私の思い通りにはならない本物のルルーシュ」がいるからだ。
そう考えると、虚構のルルーシュを自分の人生の神様に設定したのはあながち間違いでもなかったかもしれない、と思ったり思わなかったり。

まあ要するにずっとルルーシュに気が狂ってるオタクだという話です。

令和もその次の元号もその次の次の元号も好き。

 

オタクの鞄の中身はなんじゃろな

上記のようなお題箱が来たので、利用させていただきました。書くこともやることもなかったし、最近時間が無為に過ぎていくことに何かしらで対抗したくて仕方がなかったので。

きょうは日がな1日飲酒、リスカ、ODというド堕落した1日を過ごしていました。
ちなみにみなさんはリスカしちゃだめですよ。
道徳的にではありません。10代のときの再生能力のきもちのままで、リスカをすると、なんといくら経っても治りません。皮膚の劣化です。再生能力の死。いま後悔してます。
そもそもぶっちゃけハタチすぎてリスカする自分があまりに「痛い」「恥」すぎるのでみなさんにもオススメしません。
リスカは10代のためのもので、ハタチを過ぎたみなさんは酒飲んでゲロ吐いて九十九里にでも叫んでてください。
大人は大人らしい自傷をしてください。
元カレ元カレのFacebook見て彼(彼女)の面影のある幼稚園児を見ていてください。

ところで話は戻り。

鞄はまちまちで、現場に行くとき用の鞄というのは持っていないです。下記のものを全部いれるならA4の鞄になるので、ガシガシ使えるような、サマンサやCOACH、ケイトスペードあたりを使うことが多いです。特に今はサマンサのなんかやたらでかい奴を使ってます。あとスリーコインズの布袋とか使います。

必需品のみを入れるときは小さい鞄なので、FENDI、ルイヴィトン、GUCCIとかが多い気がします。なんか小さい方がオシャレかなあと思って、小さい鞄はいいやつ買います。オタクは鞄が小さい女にあこがれるので。あとスリーコインズの布袋とか使います。

↓絶対入ってる↓

◆財布◆
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ポールスミスの財布です。かわいくないですか?一目惚れして買いました。(自慢です)
余談なんですけど、私はぼーっとしてるとピンクのものばかり選ぶので、あえて意識してオレンジを選びました。ポールスミスの店員さん(初対面)に「わたしってピンクばっか選ぶからオレンジのほうがいいですよね!?ね!?」と言って後を押してもらいました。
ちなみに映画が好きなのでいろんな映画館の会員証が入ってます。

◆ポーチ◆
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生理用品入ってます。痔なのでおしりセレブ(持ち運び用)も入ってます。

オタク、痔になった。
痔を経るとね、誰かに叩かれたり怒られたりしても「尻に自分で異物をいれる情けなさを知らんやつになんもいわれたくない」というなぜか強気な態度になります。

ポーチですが、ずっとジルのポーチ使ってたのについ昨日北新地のジャンカラの7階トイレの棚に忘れたので、スナイデルに変えました。ぜひジャンカラ北新地店に行ったら探してください。

◆ポーチ◆
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化粧品入ってます。スリーコインズのやつです。いつ買ったかはわかりません。

中身はスックの化粧直し専用パウダーとエレガンスのチークとハイライトです。

あと薬用リップと口紅です。


ICカード

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パスケースはサマンサベガのやつです。(豆知識ですが庶民はセンターロゴが好き)
ところでICOCAに慣れた耳なので、スイカがなんのダジャレかしばらく考えました。あと東京の駅はカードのチャージ残高がないと改札入れてもらえないのでこわいです。大阪の駅は入るときは通してくれるので。大阪人、東京の駅の改札に衝突しがち。

◆ハンドクリーム◆

アルビオンの日焼け止めハンドクリーム。いちいち手を洗ったあとハンドクリームと日焼け止めのふたつを塗り直す必要が無くマジで重宝してる。

◆モバイルバッテリー◆

オタクはなかったら死ぬ。
現場に友達いないからめちゃくちゃ充電死ぬんですよね。

◆チケットいれるやつ◆
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メゾンドフルールの入れるやつです。壊れてきたので新しいのにしたいです。なにかいいやつありますかね?知ってたら本当におしえてください。
ちなみにわたしは手帳がでかいのでチケット入れをわざわざ使わなくてもいいのですが、なんかそれっぽいかなと思って使ってます。わたしはミニチュアシュナウザー派です。

ウォークマン
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なんかめっちゃ壊れるんだけど。何?新しいウォークマンは画面がゲームボーイみたいな解像度なのでこわくて泣いちゃいました。ほんとになんで?

◆鏡◆

たぶんスリーコインズで買った。使えりゃいい。


◆薬◆

シンプルにメンヘラなのでシンプルに安定剤


◆ペン◆
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未だに紙アンケートのとこなんやねん!とは思いつつ、あまりに虚無舞台のときはお絵かきに使えます。桃源郷ラビリンスとかね。わたしは2回目の開始30分でやっぱり帰りました。


◆日焼け止め◆
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30くらいのつかう


◆ハンカチ、ティッシュ
よく飲み物をこぼす

↓入ってないときもあるんだなぁ↓

◆日傘◆

晴雨兼用。ロフトで買った。入れる袋をなくしたので、雨の日はびしょびしょのまま鞄に入れるはめになる。
母の日にあげた折り畳みがさと同じタイミングで買いました。ちなみに母がその傘を使ってるとこを見たことありません。

◆まとめーじゅ◆

生え際のぴょこっと出てくる毛、マジで何?

◆時計◆
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早く帰りたい舞台のときの必需品。そのへんの雑貨屋でかった1000円くらいのやつ。なんとなく銀色だから暗くても見えるかなと思って買いました。舞台中以外一切使いません。そして見やすくもありません。

渚カヲル
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好きってことさ。
(なぜか鞄にいた)

◆手帳◆

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アナログ派なので、これを失ったら死ぬ。外側は何年も使ってて、中身だけ変えてます。
偶然ですがマイラブフレンドと被ってて恥ずか死しました。

家計簿的なものやメモ帳なども入ってるので本当になくなったら死にます。

(たとえわたしのことがいくら嫌いでも人道的にこれを盗むのはまずいです。それなら財布スッてくれ)

手帳の中にあるものは、


・パーソナルカラーのカラーチャート

ブルベ夏だった(THE日本人)
買い物するときに使うビビり


・骨格診断の診断表

ソフトクラシックだった(THE美人百花)
買い物するときに使うビビり


・弁護士の名刺

誤認逮捕されても大丈夫!


・推しの名刺

行く前日に高熱を出してマジで号泣して断念した舞台の名刺(ウソトリドリ)。
親切なフォロワーの人が、舞台で配ったというこの名刺をくれたので、バスツアーのときついでにサイン入れてもらいました。
ちなみに直接いただいたわけではなく、ミュージカル刀剣乱舞~結びの響始まりの音~の東京公演で東京に滞在していたとき、休演日にフォロワーの人と原宿で遊んでいたら「自分の友達もあなたをフォローしていて、預かった」という流れでいただきました。いつか直接お礼を言いたいです。
ちなみに原宿は自分の半分くらいしか生きてない子でいっぱいでこわかったので表参道に逃げました。


・エクソのポストカード的なもの

上記の原宿で遊んだフォロワーの人にもらった


・絆創膏と鎮痛剤と胃腸薬

ミュージカル刀剣乱舞~結びの響始まりの音~の大阪公演で生理痛のあまり1部の最中に梅芸を抜け出して薬局に行って薬を買って戻る、ということをして以来、万一のときのために薬が手放せなくなりました。
そのことを鈴木拡樹っぽくツイートしてみたら愚痴垢に叩かれたので当時は「内容が内容だからおもしろくツイートしてごまかしたかったのに……」と思いましたが、いま見返したら誤解を招いても仕方ない&シンプルにキモかったです。


・おばあちゃんから預かった妹へのお小遣い

妹に渡しそびれている(ごめん)

リステリン

死ぬほど痛い。


以上がオタクの鞄でした。
こんなにも非生産内容はないとおもいますが、痔とリスカはだめという知見をえていただければとおもいます。

女の子がコンテンツの正当な消費者として認められること

 

「ガールズバンド」って言い方が好きじゃない。
2ちゃん(今って5ちゃん?)を見ていたら、「tricotはガールズバンドとして売り出すにはパンチが強すぎる」って書いてあった。彼女たちのセンスや技量を褒めたんだろうけど、全然気持ちよくない褒め方だなと思った。

youtu.be

(私はこの曲を寝る前に聴くのが好きです。)

 

「ガールズバンド」という言葉には、「女の子のバンドって音楽としてはそんなにいいわけじゃないけど若くて可愛いよね」みたいなニュアンスがある気がする。ガールズバンド、イコール、「ミュージシャンとして大成しないけど、可愛ければ可愛いほどいいよね」という風潮が、世間にないと言い切れるんだろうか。

あと「ミスiDはメンヘラ」も嫌い
私もメンヘラなので自虐として使うときはあるけど、他者が若い女の子を指すときの「メンヘラ」にはその子の価値を薄っぺらくする呪いがあると思う。(本当は自虐で使うのもよくないんだろうなぁと思いつつ)

小林 積み上がった知見やデータを一瞬で破壊しくれるような女の子が、毎年ちゃんと現れるんですよ。「ミスiDはメンヘラばっかり」って言う人もまだいるんですけど、ミスiDどころかあなたは人間を理解してるのかなって。
大森 それ解像度ですよ。ミスiD見てると解像度が上がる。解像度が低い人は全部同じメンヘラに見えるからそんなことが言えちゃう。こんなに色とりどりなのにね。
この前、あるトップ・ユーチューバーの男の会話を聞いていたら、「男で”こういう自分を認めて”ってのはいいけど、女が見せる自己顕示欲は引く」みたいなことを言ってて、結構げんなりしたんだけど、男は「こういう自分を愛して」って言えるのに女の子の評価ってまだそうなってないのかって、その人を見て思ったんですよね。そいつは「オレも大森靖子にフォローされたからメンヘラの仲間入りかなぁ」とかも言ってて。まだまだ世界は地獄だなって思った。こんな時代まだ続いてるのかって。フェミっぽいこと言うわけじゃないけど、女の子はもっと解像度高いし、もっと「自分だから」でいいじゃん。男女じゃなくて自分だからで戦えるように、かわいいも底上げしていきたい。


「FRIDAY digital」より「吉田豪×大森靖子×小林司 激動のミスiDを振り返る(後編) ミスiDを続ける理由。そしてミスiDはどこへ向かうのか?」2019・1・3
https://friday.kodansha.co.jp/article/26827

女の子はもっと解像度高い、は本当だと思う。そもそも人間はもっと解像度が高い。
なのに女の子の解像度はいつまで経っても戦後の白黒写真かよってくらい低くて、ステレオタイプの上塗りとレッテル貼りがまだまだ続いているなと思う。江戸川乱歩の世界観かよ。さっさとファムファタル幻想なんか捨てて現実の女見ろよって思う。女に聖母と娼婦の同居とかもう聞き飽きた。松本清張かよ。平成ももう終わるぞ。

ところで上記の対談は大森靖子さんの発言なのだけど、彼女の詞にこういうものがある。

どうして女の子がロックをしてはいけないの?(「マジックミラー」)

この歌詞を聴いて、男の子と女の子では見え方が違うんじゃないかとふと思ったときがある。大森さんが何を思って書いたかは私には分からないので、あくまでいち聞き手としての話になるのだけど。
私は少なくとも、女の子(特に若いコ)がロックをすることは外的な圧力によって許されない、もっと言い方を変えるならば、女の子のロックはロックとして認識されないと感じてきた
これは「ガールズバンド」に関する違和感と同じで、「若くて可愛い女の子」を脱さなければ音楽を音楽として認められないんじゃないか。

 

ナンバガいいよね」「エレカシかっこよくて好きかも」そう男性に言ったことがある。
そうすると必ずと言っていいほど「彼氏の影響?」「ボーカルが好きなの?」と言われる。
言い方に差異はあれど、私みたいな若いふつ~~~の女がロックとかヘビメタとか好きって言おうものなら、「①彼氏か父親の影響」「②ボーカル及びメンバーの顔ファンって反応を返される。

男の子が「エレカシ好き!」って言ったときと女の子が「エレカシ好き!」って言ったときの反応は、絶対に違う。

私が神聖かまってちゃんのファンだって言ったら「メンヘラだね(笑)」「の子そんなかっこいいかな~」と言われたことを覚えてる。ナンバガ好きだって言ったら「(まさか向井秀徳じゃないよなーって顔して)だれのファンなの?」、米津のライブ行ってみたいなって言ったら「女の子ってああいう雰囲気イケメン好きだよね」、そう言われたことを忘れていない。
単純に音楽が好き、と思ってもらえない。音楽性が好きだと理解されても、ボーカルなりなんなりに、俳優やアイドルに対して抱くような「キャーキャー」を持っていると、なぜか思い込まれている。
親の影響でTUBE好きだと話したとき「めっちゃ年上じゃない?」って言った人も覚えてる。別にそういう「好き」は1mmもないのになーと思ったけど、もう訂正するのもめんどくさい。言われすぎたから。(ちなみに人生初ライブはたぶんTUBEで、屋外ライブのとき屋台?からメンバーが焼きそば投げてたの覚えてる)

そしてそういう反応をする「普通の男性」に悪気は一切ない。女の子だからどうたら、とか、良くも悪くも何も考えていないのだと思う。
こういった発言をしたり考えをしたりする人も、例えば「女に政治はわからない!」という発言には「いや女性差別でしょ」「偏見でしょ」という反応をするのではないか。
だけど政治や学業、仕事などのお堅い場面では意識されつつあるこのことが、サブカルチャーになるととたんに見えなくなることが確かにあるのだと感じる。

サイコパスの監督が会場の女性たちを見て「こんなはずじゃなかった、男にウケる骨太な物語を作ったはずだった」という旨の発言をしたという話を聞いたとき、「監督に悪気はマジでなかったんだろうな」とぼんやり思った。(私は当該作品について詳しくなく、その発言も又聞きにすぎないので、これ以上の言及は避ける。)

10年前くらいから2ちゃんねるを見ていた自分としては、「男オタクが女オタクを迫害した事実などなかった」とは口が裂けても言えない。掲示板では女だとばれたら袋だたきにされたり、おっぱいをアップしろと言われたり、女性器の名称で呼ばれたり。
女子中学生がなぜか女キャラに対して「おっぱい」「エロい」「hshs」とか言い出す現象って、私も経験したんだけど、あれは女でなく男オタクに近づこうとする心理があったんじゃないかと当時を振り返れば思う。
男キャラをかっこいいとか可愛いって言っただけで腐女子って言われたし、ジャンプ等の少年漫画に腐女子がついたらジャンルは終わりって言われた。ゾーニングしてるBLとゾーニングしてない同人エロだったら後者の方がずっとまずいと思うし、でも隠れる腐女子よりも堂々と載せる女キャラのポルノ化は「ジャンルを終わらせる」とは言われない。(今でもツイッターで検索をかけると、同人作家の、女キャラのかなりきわどい絵や、中には修正をかろうじて入れただけのR18絵が引っかかる。)(正直腐女子という言い方も好きではない。婦女子をもじって始まった自虐かもしれないが、今は蔑称と化していないだろうか)

松坂桃李が出演していた映画『孤狼の血』を観たくてYouTubeの予告を調べたら、コメント欄で「女にはわからんだろうけど、男のための濃いハードボイルド!」みたいなことが書かれていて、うるせ~~~~~!!って思った。お前より絶対私の方がいいレポ書けるからな、絶対楽しめるからな、ってスマホに向かって言いたかった。ちなみに『孤狼の血』はめちゃくちゃ面白かった。続編楽しみです。

 

若い女性がなぜK-POPにはまるのか、なぜジャニーズに、なぜメン地下に、なぜ若手俳優に、なぜ2.5次元に。
そこにはもちろん個々人の価値観や感性もあるだろうけど、少なくとも広義的アイドル市場を色々好きになってきた私にとっては「コンテンツの正当な消費者になれるから」があるんじゃないかと思う。

今までの話は結局「コンテンツの正当な消費者であると認められない」ことなのだと思う。

表題になるが、2.5次元舞台というものは女性をメインターゲットにしている。
私はその商売の仕方や俳優の消費に色々思うところもあるが、少なくともこのコンテンツにおいては「女の子が正当な消費者」になれる。何も言われず、ごく普通にお金を使える楽しさというものが、確かにある。

女は顔ファンでしょ、女は男キャラがいちゃついてたらいいんでしょ、女はロックなんて男のもの分からないでしょ、女は骨太な話よりイケメンでしょ、女は……
聞き飽きた。シンプルに聞き飽きた。
男も女も人間なんだから、骨太な物語を好むときもあれば、日常アニメのように頭を空っぽにして観たいときもある。異性のキャラに惚れることもあれば、そうじゃなく物語を楽しむこともある。ロックが好きなのは性別の問題ではなく感性の問題。

西野カナを散々馬鹿にしてきたくせにゴア系が好きだと言う話を聞いたら「わかってんじゃん」みたいな顔をするヤツ、お前だぞ。(ゴア系だったかはちゃんと覚えてないごめん)
話はそれるが、西野カナは「売れる音楽」をつくり続けているし、自分のファン層の年齢の変化とともに曲の内容を変えているので、とてもうまい人だなと思う。

 

(追記:思っていたよりいろんな人に読まれたので誤解を避けるために追記しておくが、男性であれ女性であれ少なからず「顔ファン」が生まれるのは避けようがないし、ある程度仕方ない現象だとおもう。「キャーキャー」に罪はない。ただここでは話がずれてきてしまうので深くは追及しない。)

 

2.5次元舞台の話に戻るならば、この広義的アイドル市場ともいえるコンテンツにおいては、女は正当な消費者として肯定される。余計なことを言われる必要はない。私たちがお金を払って、対価があって、「これは男が楽しむもので、女はおまけだよ」みたいな扱いを受けることはない。少年漫画の世界では受けて来たこの扱いだが、その少年漫画が舞台化された途端に女性がコンテンツの消費者として肯定されるというのは捻じれを感じる。
ただ現状の2.5次元舞台に感じるのは、過度の若手俳優頼りだ。舞台演出のレベルを上げようとはせず、人気の俳優を使ってしまえという意図は透けて見える。そしてその若手俳優は、絶対とは言わないが、「本当に何十年も役者としてやっていかせようと事務所は考えているのだろうか?」という売り方をされているのもひとつの側面としてある。
2.5はバブルにすぎない。だからレベルをあげなくてもいいんだろうか?
2.5の現状に感じるのは、「女の子が消費者として肯定されている」というプラスの面と、「消費者が舐められている」というマイナスの面だ。(※このとき、桃源郷ラビリンスを観た後に書いているので、私情が入っています)
こんな出来でいいと本当に思ってるの?若手俳優が出てたらそれでいいと本当に思ってるの?どこまで俳優をドル売りするの?原作もファンも俳優も大事にしていないのでは?そう何度も感じた。もちろん力作の2.5もあるが、全体的に見てレベルは低いと言わざるを得ない。
イケメンが出てたらそれでいいわけじゃないんだけどな。推しがいるから観るけど、レベルはそりゃ高い方がいいよ。2.5界隈に蔓延する「人質」というワードには、消費者としてのジレンマを感じる。でも好きな俳優のためになるからクソみたいな舞台でも行く。その結果レベルは上がらないまま続いていく。2.5をつくる大人は恐らく消費者を舐めているのだと思う。
でもそもそも「消費者として認めてくれる」コンテンツはそう多くない。果たして若い女の子が消費者として肯定される市場が、アイドルのみでいいのかと心の底から疑念に思う。
(2.5を好きになった大きな理由はもっと様々にあると思いますが、以上の内容もひとつの要素として存在しうるのではないかと思う)(なんにも言われず好きにお金を使える楽しさ、というのは確かにあると思う)

 

「男の物」「女には分からない」という考えは、結果的に「可愛いものが好きな男の子」「ピンクが好きな男の子」「日傘をさすサラリーマン」「ジャニーズが好きな男性」「少女漫画を楽しむ男性」みたいな、「女性のもの(と思い込んでる)を好きな男」を苦しめる結果になるわけだし、男性の生きる幅も狭まるから不自由なだけなのになと思う。

コンテンツの正当な消費者になりたいと願うのはそんなにおかしいことなんだろうか。
当たり前に「普通」を享受している男性には見えない世界かもしれないけど、たしかに存在する世界であるとおもう。生き方も生きざまもロックしたいね。