現金満タン、ハイオクで。

サブカルチャーがだいすき。ツイッターの延長なので詳しくはツイッターを見てくれ。

初恋の男が生き返ってしまった (「コードギアス復活のルルーシュ」におけるガチ恋の感想)

初恋の男が復活してしまった
コードギアス 復活のルルーシュ」という映画の話だ。


私にとってルルーシュは初恋だった
小学生のときだったと思う。
当時やっていたブラックジャックのアニメ版にはまっていた私は、ブラックジャック21が終わることが悲しくて「終わらないでほしい(;;)(;;)」とのたうちまわっていた記憶がある(自覚はなかったがすでに痛いオタクの片鱗はみせていた)。
そのとき合間のCMで見た。白くて紫の目をした黒髪の男の子。「かっこいい!」と思ったことを覚えている。アニメタイトルもキャラクターの名前も知らなかったが、とにかく「なんて綺麗なんだろう」「すごくかっこいい」と思って、雷に打たれるような衝撃はなかったが、胸の中に墨汁のしみのようにその男の子の姿が執拗に残っていた。
その後機会があり再放送で見たコードギアス1期。まぶたの裏にこびりついた彼の姿はもちろん、その性格にも全て惹かれ、そしてまたコードギアスというコンテンツ自体を一生抱えることになるくらい大好きになった


劇場版の「復活のルルーシュ」の感想。
(以下ネタバレを多少含むかも。あくまでいち個人の感想です)
率直に言えば「どうして復活してしまったのか」だった。
私は彼の死が好きだった。死も含めてルルーシュだった。彼が彼の「撃って」きた罪に対して「撃たれる」覚悟のあった、その生き方が心底好きだった。
最初に「復活のルルーシュ」の話を聞いたとき「なぜ彼を起こしてしまうのか」と思った。さながら、ルルーシュ(の抜け殻)が生きていることを知ったとき、CCに激昂したカレンと同じような気持ちだった。

彼は脚本の中では確実に死ぬべきだった。それがゼロレクイエムの本質だ。もちろんここで死を要求されるのは「ルルーシュ」ではなく「悪逆皇帝ルルーシュ」という記号にすぎないし、大衆の前で「死ぬ」ことが叶ったのならば、ルルーシュといういち個人がひっそりと生き延びていてもゼロレクイエムに支障はない。
ただ彼は死なねばならなかった。「撃っていいのは撃たれる覚悟のあるやつだけだ」という口癖にあるように、彼は今までの罪の対価を、覚悟を必要とした。
「死ぬよりも生き続ける方が苦しい」という人もいるだろう。鬱病を経験した私にもそのことはわかる。だがたとえ死ねない体になろうと、化け物になりはてようと、殺してきた罪の対価や殺すことへの覚悟にはなりえない。
死はそこで完全なる遮断である。永遠の無である。生きることは死ぬことの対価には決してならない。
だから殺してきたルルーシュは死なねばならなかった。コードの継承やらなんやらの理由をつけられても、「やっぱり生きたい。死ねない体で生きることが償いだ。」なんて言い出させたら、それはルルーシュという人格へのレイプだと思った(重ね重ねですがいち個人の感想です)。

ロボットアニメは先細りする業界だという。もはやヒット作は望めない、全て出尽くした、と語られている。その中で、まだロボットアニメが栄えた時代の残したもの、ヒットタイトルであるコードギアスを使って商業を展開したいという大人の気持ちを「亡国のアキト」の話を聞いたときに強く感じた。
もちろん実際にどうであったかは分からない。
ただやはり死んだルルーシュを起こして「復活」を作るというのは、総集編を含め、どうしても『大人』の気配を背後に感じてしまった。

ただ一つ強調したいのは、私はいずれの作品もとても楽しみにしていたということだ。コードギアスという世界が大好きだからだ

ただ潔く死んでいったルルーシュを、寝た子を起こしてまで、復活させるほどの大義はあるのだろうかと思った。
私は死んだルルーシュが好きなのだ。心の底から生きていてほしかったと思いながらも、死んでしまった彼のことが大好きなのだ。


話の内容自体は悪くなかったと思う。懐かしい顔ぶれが「あのあとの世界」を生きているというだけで胸が高鳴った。
「復活のルルーシュ」はアニメ本編のその後ではなく、総集編のその後だった。
私は幸いなことに妙に碇ゲンドウが優しくてみんなの名前が変わってたりする新劇場版エヴァを「そういうもの」としてほとんど違和感なく楽しめるし、あんなに酷評された実写版進撃の巨人も「世界観が同じだけの別物として見たら結構面白いじゃん」とリピートして観に行った性格の人間なので、今回の本作に関しても「まあアニメとは別か」と観ることができた。

ルルーシュの意思ではなく復活してしまった、という設定なのでまあ許容できた。私はルルーシュを生き返らせたりしないCCが好きだったのでそこはうーんとなったが。
正直なところご都合主義感は否めなかったし、ラストに至っては「このルルーシュなんか年1くらいで黒の騎士団にもナナリーやスザクの元にも顔出しそうだな」って思ったのでもやもやしたけど。なんかルルーシュにやたら優しい世界だなって思ったけど。ルルーシュとスザクの2人で背負って分け合った罪と罰がなくなった感じがして色々思ったけど。

でもなんかもうどうでもいい
私の好きなルルーシュはあのとき確かにスザクが演じたゼロという記号に殺されたし、絶対に生き返ることはない。私の中ではそれでいい。スザクも罰としてゼロという仮面とともに生きていくし、ルルーシュは永遠にその名を最悪の皇帝として人々に記憶される。

「復活のルルーシュ」は完全なアナザーストーリーだ。
むしろシャーリーの生きている別の世界の続編としてこれを作ってくれたので、アニメ本編と分けることができて安心している。
本音を言えば、観に行くまでとても恐ろしかった。「これはルルーシュじゃない」と思ってしまわないかが怖かったのだ。大好きなコンテンツを嫌いになりたくなかった。
でもあれも間違いなくルルーシュだった

映画が始まった瞬間に涙があふれてきた。ルルーシュだけでない、このコードギアスという作品全てが好きだったから、感極まってしまった。
そしてまた「長かったな」と思った。長かった。
私はずっときみのいない世界を生きてきたんだよな、と思った。ルルーシュが死んだあとの世界をずっと生きてきた。


小学生当時の私は、ルルーシュが死んでから一年近く頻繁にルルーシュの夢を見た。ルルーシュが死んでしまって、助けられなくて苦しむ夢だ。夢の中で私はルルーシュを助けたい、生かしたい、と思っていた。たかがアニメキャラに、と思う人も多くいるだろうし、私も彼がアニメキャラであることは十分理解していた。ただその垣根関係なく、小学生の私はルルーシュに恋をしていた。
(書いてて気づいたけど最終回観たときは中学に上がってたかもしれない、よく覚えてない)

一度インフルエンザにかかって40度の高熱にうなされたとき、医者からタミフルを処方された(らしい)。子どもがそれの影響でベランダから落ちたりして死んでしまった事件が多くあったため、子どもに処方するときは親の監視が必要だった(らしい)。ともかくそれを飲んでうなされていた私を監視していた母曰く、私は高熱のさなかずっと「そこにはいないはずのルルーシュ」に話しかけていたというのだ。こわい。泣き出したりもしていたらしい。こわい。
精神を病んでいたとき幻覚幻聴の症状にさいなまれたりもしていたが、そのときいろんな虫や化け物やなんかよくわからないものが見えたり聞えたりするなか、落ち着いているときはルルーシュの声が聞えた。それは幻聴であると自覚していたが、錯乱したなかで数少ない落ち着く幻聴だったことを覚えている。
鬱病が悪化していたときは自殺願望が著しく、何度か未遂をしていたのだが、生きることの恐怖から逃れて死んでしまおうという意識のなかで「でもルルーシュは生きられなかったんだよな」と考えたりしていた。痛いことや苦しいことがあってもルルーシュの苦しさを考えては頑張っていた。もう彼はいないしコードギアスは終わったけれど、彼の残した明日を生きたいと本気で思っていたりもした。
こんなメンヘラリアコのよりどころにされてもルルーシュも困るだろうとは思うが、ルルーシュのことが本当に大好きだった。

私は現在2.5次元や俳優に熱を上げているが、歌い手やバンドや芸人、ジャニーズや地下ドルなど様々な三次元の男を通って(?)きた。時折友人に「じゃあ今の推しとルルーシュ、どっちかが生きてどっちかが死ぬって言われたらどうするの?」といじわるな質問をされることがあるが、私は現実を生きているのでそこは天秤にかけようもない。生身の人間である推しだ。
でももしそういった垣根なく全てフラットな世界なら間違いなく迷わずルルーシュを選ぶ。


延々CCといちゃいちゃしている姿を見てガチ恋の人格も腐女子の人格も死んだが、CCのことも大好きなので何も言えない。というかCCになんだかんだ甘くて共犯なルルーシュのことが好きなのだ。CCなくして私の好きなルルーシュは完成しない。
もちろんそれはナナリ-、スザク、ロロ、シャーリー、ユフィ……すべてのキャラに通じて言えることだ。

ルルーシュのことが好きだ。
私の物になってくれなくても、CCとイチャイチャしていても。

 

ずっとアニメ本編のあとの「もしかしたら生きてるかも」という可能性の示唆が苦しかった。
私は死んだルルーシュが好きだが、生きていてほしかった。でも死んでいてほしい。
アナザー世界線という感覚ではあったが、こうしてルルーシュの生きている姿を見たことで、胸のつっかえがとれた気がした。解放された気持ちだ。ルルーシュの生死にずっと囚われているのは苦しかったのだとようやく気付いた。
彼が大人の都合で生き返らされた感は否めなかったが、むしろそのことで彼が二次元の偶像なのだと実感した。初恋の人が死んでしまったということがずっと辛かった。ようやくルルーシュのことを一つの偶像としてしまっておくことができる気がする。
ようやく初恋を終わらせることができるのかなと思った。

「復活のルルーシュ」で思ったことは、みんなうっすら不幸だということだ。みんなうっすら不幸だけどうっすら幸福になりたいから生きている。報われなかった者たちも多くいるが、その人たちも死のその先で救いがあるかもしれない。だから「明日」という時間軸があるのだと思った。そしてその「明日」の存在を世界に教えたのは紛れもないルルーシュだ。


一生私はルルーシュのことがすきだ。
そして「復活のルルーシュ」がヒットしますように。
そして私とコードギアスを出会わせてくれたロボットアニメというコンテンツが再び不死鳥のように復活してワクワクを経験させてくれますように。

 

露出狂のひとと話した

先日露出狂の人と話をする機会があった。

当たり前だが露出狂は犯罪であり、しかも特にクソ気持ち悪い部類の犯罪である。刑法では公然わいせつ罪に問われるが、現行犯でないとなかなか逮捕は難しいらしい。ちなみに薬の投薬による治療もあるらしい。
病気なのでマジでなおしてくれ。

私も一度だけ露出狂に遭ったことがあるが、もう大人だったのでとっさに持っていたスマホで顔と下半身がうつるように写真を撮って「ちっちゃいねん自分!」と言ったら逃げていった。キレられて逃げるくらいならすんなよ。いま思い出したが尼崎を歩いていたら真っ昼間の住宅街で堂々とシコっている人もいた。それはナチュラルすぎて何も言えずみんな素通りしていた。
そんな露出狂だが、大人であればいざしらず(大人であっても不快だし怖いが)、ましてや小中学生であれば心に深い傷を残す最低の性犯罪だ。

ということを念頭において話を進めるが、先日露出狂の人と話した。

見た目はごく普通の小太りの40代のサラリーマン、風俗やキャバできれいに遊びそうな人だった。特に臭いにおいもせず、スーツのセンスも悪くなかった。
特にヤマもオチもないが衝撃的なことを話していたので聞いてほしい。という一心で書いている。

露出狂さん(以下、露)「ぼくは露出狂なんだよね
わたし「えっ?あの露出狂ですか?」
露「そうだよ」
わたし「えっ?犯罪だけど話していいんですか?」
露「犯罪だけど、犯罪じゃないじゃん?

露出狂さんはそう言った。

わたし「犯罪じゃないってどういうことですか?」
露「だって見せられた側も喜んでるでしょ

エッッッッ???????????

わたし「えっ?そうなんですか?」

少なくとも私は見せられたとき不快でむかついたし、私の友人は驚いたとかこわかったとか言っている。だって1人で夜道を歩いてたら急に知らないおじさんがちんこを出してニヤニヤしてるんだよ?レイプされるかもしれないし、急に刺されるかもしれないじゃん。だってちんこ出してる人間がまともなわけないから。まともなわけないじゃん???

すると露出狂さんは露出のシチュエーションを語り始めた。

露「ブックオフで本読んでる子がいたから、チャックおろしてぼろんって。『見てて』って言ったら女の子も本とちんちんを交互に見てたよ」(①)

露「新幹線で修学旅行生がいて。男子からは見えないところで女子たちに見せたらキャーキャー楽しそうに笑ってくれてたよ」(②)

露「ゲーセンのプリクラコーナーで中学生たちが撮ってたから、向かいの機種のなかに入って、その子たちが目の前に来たタイミングでぼろんって。一人の女の子は『私はじめてみたー!』って言ってた。俺のちんこ見れて嬉しかったみたい。良いことしたな~」

これ全部ほんとに言いました。えっ?やばくないですか?認知歪みまくってません?ビューティープラスかってくらい美補正かかってませんか????
正直ドン引きしてたんですけどマジで反論させてくれ!!!

①その女の子は驚いて戸惑ってるんだよ!!いやブックオフで立ち読みしてたら急に隣におっさん来てちんこだして『見てて』とか言われてみ?びびるやろ、ただでさえブックオフは変な人多いのに(ブックオフごめん)でも店員さん呼ぼうとしたり立ち去ろうとしたりしたら何されるかわかんないじゃん。だってちんこだす人間がまともなわけないじゃん。てかパニックになるわ。だってブックオフで立ち読みしてたらおっさんにちんこ見せられるとか想定してないんだから。
男の人は想像しにくいかもしれないけど本屋やブックオフは痴漢が多い。すれ違いざまにお尻触られたり隣にぴったりくっつかれたり。私も中学生のときブックオフを出たら20歳すぎの陰キャバンドマンみたいなやつが「あれ?どっかで会ったことない?」と声をかけてきて、その数日後にブックオフで立ち読みしていたら「この間の子だね、偶然!ちょっと話いい?」とまた声をかけてきてメアドを聞かれたことがある。運命を演出しようとすな。もちろん中学生相手になんやかんやしようとしたら犯罪だしシンプルにキモい。
そんなことがブックオフではある。この露出狂もブックオフを選んだというのは自然な気がすると妙に納得してしまった。ブックオフは他の古本屋に比べると長時間滞在が許されているということ、またそれゆえ「買うつもりはないけど暇つぶしに」「店に入るお金はないから」という冷やかしが集まる。偏見かもしれないけど低所得者層が集まりやすい気がする。マジでブックオフは性犯罪の温床だからおちおち立ち読みもできねぇ。

②「やべぇやつがいた!」ってネタにされてるんだよ tiktokで撮影されて晒されてないだけまし

③お前みたいなやつがいるからプリクラが「男性のみでの入店禁止」にされるんだよ、記念にプリクラを撮りたいけど入れない男子高校生たちに謝ってほしい

痴漢の認知は歪んでるという話を聞く。「スカート短いから触られたいんだ」とか「女性専用車両に乗ってないから痴漢されても仕方ない」とか。もちろんバカげた話なんだけど、ずっと遠くに感じていた『加害者側の心理』を生まれて初めて身近に感じてゾッとした。
こわいとかむかつくとかを超えて不思議だった。

露出狂さんはこうも言った。

露「レイプとか痴漢はしないんだ。触られたり、ましてや犯されたりしたら怖いしショックでしょ?でも露出は害がない。体に触れないし、痛いことはしない。ぼくは露出が趣味で楽しいし、見た方も笑って済む話。誰も傷ついていない」

確かにそうなんだけど。体は傷つかないけど。
ものすごく不思議だった。レイプや痴漢が悪だと分かっているのになぜ露出は良いと思っているのか。どうしたらこういう認識になるのか。
そもそも捕まる恐怖はないのか、と尋ねると

露「被害者はいないから捕まらない」

と言った。う~~~~~んすごい。

露「露出は笑ってくれるでしょ」

露出狂さんと話していたら、彼が楽しいという気持ちで露出している以外に、良い意味でのサプライズとして露出していることに気付いた。相手を喜ばせようとしているのだ。ちょっとブラックなユーモアとして実践しているのだ。悪気はそこに一切なかった。
その心理が不思議でならなかった。彼を責め立てる気持ちは次第に失せて、彼の語る「露出を見た人の反応」に聞き入ってしまった。
(再三言うが犯罪だし到底許容できない)

いわく、みんな笑うらしい。笑って「やばい人見た~」と友人に話すのだ。
もしかしたら彼のなかでの彼自身の自己認識は「ピエロ」なのかもしれない。少なくとも彼は自分の道化めいたおかしな行動が人を笑わせ、学校や職場でのネタになり、「今日もいるんじゃない?」と珍獣を見るように再びやってくるのが楽しくて仕方ないらしい。

その話を聞きながら、中学生のとき、通学路にいつも知的障がいがあると思われる中年の男性が股間を握って立っているのを、おもしろおかしくみんな滑稽なものとして見て、通学路の名物にしていたのを思い出した。私は陰キャだったのでその輪に入れずその男性のことをなんとも思っていなかったが、露出狂さんがなりたいのはこういう存在らしかった。(といっても前者は障がいを持っている方であり、彼と同じものとして数えてはいけない)

病院とかいったらそういうの治せるらしいよ、逮捕されたら元も子もないじゃん、と私は助言(?)したのだが、

露「たぶん露出はやめられないと思う」

と彼は言った。

わたし「いつから露出してたの?」
露「いつだったか覚えてないけど、成人して少ししてから。」

気になった私は彼の恋愛について尋ねた。

わたし「初めてセックスしたのっていつ?」
露「高校生のときに彼女とした」
わたし「案外普通ですね……」

すると彼は畳みかけるように頬を赤くしてこう言った。
露「本当は姉貴とセックスしたかった
わたし「え?」
露「姉貴は胸がでかくて、中学生のときよくぼくのちんちんを触ってくれた。でも親にバレて何もできなくなった」

え???????????

もしかしてここまでのやつ全部妄想か???
現実にそんな姉いなくない????全部妄想???
露出狂ではない????

結局全部妄想だとしたらそれはそれでいいんだけど??
混乱するわたしに、

露「姉貴とセックスしたら人生違ってたかも」

と言い残して露出狂さんは去っていった。

『クワイエット・プレイス』感想/荒廃した世界の「その後」を描いたサバイバル映画

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https://eiga.com/movie/88476/

 

音に反応して人間を襲う「何か」によって人類が滅亡の危機に瀕した世界で、「決して音を立ててはいけない」というルールを守り、生き延びている家族がいた。彼らは会話に手話を使い、歩くときは裸足で、道には砂を敷き詰め、静寂とともに暮らしていた。しかし、そんな一家を想像を絶する恐怖が襲う。(映画.comより引用抜粋)


ホラー映画ではない、という印象が強かった。
IT/イット “それ”が見えたら、終わり』を超えて好評だったという本作。『IT』は大ヒット映画のため指針にされることが多いけれど、たしかにホラー演出には長けていたけど思春期の心理不安を描いた青春映画的側面もあったためホラー映画としての興行的指針においていいのか少し微妙なところ。(『IT』自体はホラーであるのは確かだし面白い!)
なので本作も「ホラー」として打ち出したためにがっかりした印象になる。

プレデターやエイリアン、ゾンビも広義的にはホラー映画のくくりとなる。ホラーは決して幽霊が登場するということに定義されるのではなく、その演出やシチュエーションに依るところが多い。初代『バイオハザード』はホラーだったと思う。

そう考えたときに、本作はシチュエーションとして確かに「ホラー映画」として制作されたのだろうが、「ホラー」としての出来は今一歩、「悪くはない」という点に落ち着く。
「悪くはない」けど、「悪くはない」でしかない。なので佳作。

プレデターと同じように、モンスターサバイバル映画としてどきどきハラハラ見た方がずっと面白い。
ドント・ブリーズ』的な、自分の呼吸音すら恐ろしく感じられるようなホラー感を期待すると、「うーん」となっちゃうかも。私はファーストデイ(1100円になります)に行って良かったなと思っちゃいました。

以下ネタバレを含みます

 

 

ネタバレを含むあらすじ


末の息子を「何か」に襲われ失った一家。彼らは荒廃した世界で、田舎の一軒家に住み着いた。農業をして食事を賄い生きている。父・リーは未だ希望を捨てず、「何か」を研究しどこかからの救助を求めながら、家族を守っていた。
そんななか、母・エヴリンは出産を控えていた。生まれてきた我が子には酸素吸入器を用い、音を遮断する箱の中で育てるつもりだった。
末の弟を死なせた負い目を感じ、父に嫌われていると思っている長女リーガンはある日家を飛び出してしまう。同じ日、弟マーカスはリーにつれられサバイバル技術を教えられる。
そんな日に妻は産気づいてしまい、誰もいない家の中で出産に臨むが、音を聞きつけた「何か」が家の中に侵入してくる。助けに戻ったリーによってエヴリンと生まれた赤ん坊は無事だったが、リーガンとマーカスが「何か」の徘徊する外で動けなくなってしまう。
我が子を助けに行ったリーだったが、2人は「何か」に襲われそうになっていた。リーはリーガンに「愛してる」と伝え、大きな声を出すことで「何か」の注意をひき2人を助ける。そしてリーは死んでしまう。
リーを失った家に再び「何か」が侵入してくるが、耳の聞こえないリーガンは自分の補聴器の発する高音が「何か」の弱点だと気づき、マイクで増幅させた大音量で「何か」をひるませ、ショットガンで殺すことに成功する。銃声によって引き寄せられた無数の「何か」が家に向かってくるのが見えたが、リーガンとエヴリンは強く頷き、補聴器とショットガンを握る。

 


『その後』を描く細やかさが良い

世界観はポストアポカリプス的な。
と言いながらポストアポカリプスよりもっとふさわしい言い方があったはずなのに出てこない。もやもやする。

文明が滅んだあとの世界。ワールドワイドなゾンビ映画もそうですが、たいていこういった映画には人のいなくなった都市と荒廃が描かれる。たいていのゾンビ映画では、『その後』は描かれない。
本作では、世界が滅んだあとでも土地に根付いて植物を育てて魚を捕って食べて遊んで寝て生きている日常を描いている。
たいていの映画では描ききることのできない、「それでもどうにか生きていくしかない」という日々を描いていて、そのなかでもすごろくゲームをしたり、「何か」に襲われないよう床に布を敷き詰めたりすごろくの駒が柔らかい素材になっていたりする、「現実に適応して生きている一般人」の姿がすごく良かった。

妻の妊娠出産も、荒廃した世界でも人間は生きて血を繋いでいく必要がある、子どもを為していこうとする、というやっぱり他の映画ではあまり描かれない「その後」の重要な点かなとおもう。

どんな状況であっても人間はきっと定住して生きていこうとするし、家を建てようとするし、快適に過ごせる環境作りをしてしまうのだと思う。子供をつくってしまうのだと思う。

ホラー映画というよりはアポカリプス的世界観の映画として、滅亡した世界で日常を生きていく映画として売り出した方が、マニアックなフェチズムがくすぐられて良いと思うけど。前半のこういった描写にこだわりを感じて、むしろ描きたかったのこっちでは?と思ったくらい。(酷評されてる実写版『進撃の巨人』も町並みなどの世界観の描写がメッチャクチャ良かった。映画館で2回観た。)

私はこういった、荒廃した世界の『その後』が描かれている作品が好きなので、むしろこっち路線で売ってほしかった。

 


正直つっこみどころはいっぱいある映画

でもサバイバルホラー映画として売っている本作。ホラーとしての評価は避けられない。
正直微妙。ホラー的なシーンがびっくり系しかない。しかも登場人物が扉をたたいたりしたシーンで、音で無理矢理びびらすな。無理矢理ホラーっぽくすな。

のっけから子供が死んでびっくりした。昨今は色々うるさいので子供は死なせづらいものだけど、たまにガンガン子どもを殺すパンクな監督もいる。たぶんそのタイプの監督。知らんけど。ジョン・クラシンスキーの映画たぶん観たことあるけどわからん。
グリーン・インフェルノ』の監督が、部族による食人パニック映画が人種差別だと叩かれがちななかで「これは本当に人を食った映画だよハハハ!」って煽ってたの思い出した。どうでもいいけど。

丁寧な造りかと言われたら首をひねってしまう。バイオハザードなんかは丁寧もクソもない作りだけどアクションと「もうなんかそういうコンテンツだから」とゴリ押せてしまう強さがあるが、本作はホラー要素を取り入れようと頑張っているため、余計にその荒さが目立ってしまう。正直「静寂」要素が微妙。いる?これ

あと「いや死ぬんか~~い!」って3回突っ込んだ。

①冒頭の末息子
子供なのに容赦なく死ぬ(びびる)

②森の中のおじいさん
いや急に新キャラ出すな、唐突すぎてなんでじいさんが自ら大声出してモンスターに殺されたのか理解が追い付かなかった。ラストに父親(リー)が大声をだして死ぬ伏線にしたかったんだろうけど唐突すぎるわ。伏線はもっとうっすらいれろ。
たぶんじいさんは妻(ばあさん)が死んだショックで自殺に至ったんだろうけど、そのシーンは世界観へのショッキングさを付与できるんだからもっと丁寧に作るべきだった。前半のリーのシーンで、森の中のじいさんばあさんとリーが魚や農作物の交換をして交流している描写を1分挟むだけで違った。そうしたら、世界が滅んだあとでも人間が人間として営みを続けようとする前半シーンとマッチしたし、世界観の残忍さを表すのに一役かったのに。マジで唐突すぎた。びっくりした。

③リー
おまえムキムキだし頭もよくて電気工作できるんだから、おまえ死んだらあかんやろ。幼い子供2人と生まれたばかりの赤ん坊と出産直後の妻を置いて死ぬな。一家野垂れ死ぬぞ。
あれ手にもってた斧を遠くに投げて音立てるんじゃだめなのか?それじゃ音小さいのかな。でも外に子供助けにいくのになんで丸腰なんだよ。閃光弾とか花火とか持っていかないの?なんでやすやすと死んだ?と思ってしまって……。

「何か」がはっきりと姿を現してしまったところも残念。見た目がただのエイリアンで、ちょっとがっかりでした。ふつうのエイリアンじゃんという……もっととんでもないバケモンを期待していた……

つーかそもそも、音がヤバいってわかってるのに子をつくるな!!
ここが一番引っかかって仕方がない。

「酸素吸入使って密閉した箱の中にいれておけば安心だよね」
そんなわけなくない?
母乳あげるときマスク外すじゃん、泣くじゃん、やばくない?
日に当てずに育てるの?やばくない?
現実的に考えて無理じゃない?

世界観の描写としてこの妊娠出産はあったのかもしれないけど、どうしても「無理でしょ」と突っ込んでしまう。

描きたいビジョンは伝わってきたけど、実際に形にするまでにまだ至っていない印象。
もう少し練ってから着手すべきだったんじゃないかと思う。発想と世界観は非常に面白いものだっただけに、不完全燃焼という印象がぬぐえない。

 

避けられない『ドント・ブリーズ』との比較

これ観ながら「ドントブリーズ観たいな……」ってなるのしかたなくない!?
そもそも「音をたてたら即死」ってコンセプトが被ってるし、ポスターの構図が被ってるし、タイトルもなんか似てる気がしてきたし、こうなったら「妊娠出産」というモチーフが出てくるのも被ってる気がしてきた。
シチュエーションが違うのでもちろんパクリでもなんでもない。ただ公開年がさほど離れてない以上、比較され批評されるのは避けられない。

不完全燃焼という印象がぬぐえない本作。やはりまだ無理をして形にしたという雰囲気が伝わってきて、『ドント・ブリーズ』であれば無理なく違和感なく形にできていたものができていなかった。
「音に敏感なら大きい音を立てればいい」というラストシーンも、『ドント・ブリーズ』では観客までもが登場人物のように雰囲気にのまれて呼吸を押さえていただけに「よく考えたらそうじゃん!その手があった!」とエポックメイキングなことにすら思えたのに、本作では「そうだね」としか思えない。

そこのどんでん返しがうまくいかなかった理由はやっぱり雰囲気づくりの甘さにあるし、「静寂」というホラー要素とモンスターサバイバルという「動」の要素の対比がうまくいかず、観客を世界観に巻き込みきれなかったところに敗因があると思う。

恐らく隕石でやってきた地球外生命体と思しきこの「何か」、見た目がエイリアンであるわりに、「盲目で音に敏感」だから人を殺す……なんで?という感想。殺す理由は何か。捕食目的なら納得いくけど、そうにも見えない。手あたり次第殺しまくる戦闘狂モンスターなのか。プレデターじゃん。成人儀礼とかの理由があるプレデターのがよっぽどわかりやすい。
「殺される理由」ももう一つ後押しする材料がほしかった。やっぱり『ドント・ブリーズ』に比べるとあらゆる面で無理が生じてしまった印象。

いっそホラー映画というレッテルを外して広告を打てば、比較されることもなかっただろうし、ここまでもやもやとした作りにもならなかったはず。

 

世界滅亡の「その後」を描いたサバイバル映画としては佳作だったけど、発想が良いだけにもっとアイデアを固めてから制作してほしかった映画。ちょっと残念でした。
モンスター映画としてはまあまあ面白い!

 

quietplace.jp

 

『ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談』感想/幽霊の存在に踏み込んだ意欲的ホラー映画

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https://eiga.com/movie/88473/

 

イギリス各地でニセ超能力者やニセ霊能者たちの数々のウソを暴いてきたオカルト否定派の心理学者フィリップ・グッドマン教授は、憧れのベテラン学者・キャメロン博士から3つの超常現象の調査依頼を受ける。キャメロン博士が「自分ではどうしても見破れない」というトリックを暴くため、初老の警備員、家族関係に問題を抱える青年、妻が出産を控えた地方の名士と、3人の超常現象体験者に話を聞く旅に出たグッドマンを待っていたのは、オカルト否定派でも受け入れざるを得ない怪奇現象と想像を絶する数々の恐怖だった。監督のナイマンがグッドマン教授役、フリーマンが地方の名士役をそれぞれ演じる。(映画.comより引用抜粋)

 

イギリス大ヒット舞台を映画化したという本作、前評判がとても良かったため期待しながら行ったところ、なかなか期待以上のホラー映画でした。
3人の話を聞くという構成上、三本立てのショートムービーを見ているような感覚。それぞれ系統の違うホラーであったため、飽きることなく恐怖に戦くことができる。
また、「ホラー映画」の枠を逸脱した、「そもそもホラーとは何であるか」という超メタ的な問いに足を踏みいれ、観客に問題提起をした意欲的な作品でありました。この後半戦が苦手な人はかなりいると思うので、あまり評価にはつながっていないのかも。後半の怒濤の哲学的精神世界のシーンが、リチャード・デイビッド・バック『かもめのジョナサン』なんかの展開が苦手な人には受け付けにくいかもしれない。(私はかもめのジョナサンを想起しました)

あと映画だと、後半の怒濤の追い上げが『CUBE』っぽいなとも思った。そういうのが好きな人は好きかも。


(以下ネタバレを含みます)

 

 

ネタバレを含むあらすじ

1人目は、かつて精神病棟であった建物で夜間警備をつとめる警備員の体験した話。2人目は夜に車を運転していると「悪魔」を轢いてしまい恐怖の一夜を過ごす青年の話。3人目が出産を控え入院した妻のいない家で過ごしているとポルターガイスト現象にさいなまれ、そして妻が恐ろしい子どもを産んでしまった名士の話。
それら3つの恐怖体験を取材したグッドマンは自らもその世界にのまれ恐怖的体験をするが、それを振り払うようにキャメロンに「全部科学で説明がつく」と結論づけてしまう。すると死にかけた年寄りのキャメロンは自らの顔を剥ぎ、そこに現れたのは3人目の名士であった。名士はおびえるグッドマンに、それまで家であった背景をはぎ取り、その奥があることを示す。少年期に級友を見殺しにしてしまった過去を持つグッドマンのトラウマを暴き、次々と変化する精神世界で名士は醜悪な赤ん坊を抱きグッドマンに語りかけ続ける。死んだ級友がグッドマンに襲いかかり彼を病院着に着せ替え、気づけばグッドマンは病院のベッドの上で深く眠っていた。
実は彼は自殺未遂をして昏睡状態になり入院していたのだ。現実世界では、1人目の警備員は病院の清掃員。2人目の青年は看護師。3人目の名士は医者であった。彼は目を覚ますことなく、病室のガラスに勢いよく鳥が当たって死んでいった。


①短編ホラー映画として秀逸な前半

ホラー映画としてのパートはなかなか秀逸であったと思う。
それぞれ一本ずつの時間は10分程度なのでショートムービーとしてちょうどいい。
1本目は夜間警備の話。廃墟。静寂。そこになにかがいる「かもしれない」という感覚。ずっと口を押えながら見ていました。
2本目は悪魔の話。心を少し病んだ青年が悪魔を轢いてしまい、その悪魔をみた瞬間の絵は一瞬でしたがまさに「醜悪」。日本人には悪魔の恐ろしさが伝わりにくいものですが、その一瞬うつったまがまがしさ、他の幽霊とは一線を画す知能のある感じ、真夜中の森、非常に薄気味悪かった。
3本目はいわゆるポルターガイスト現象の話。『パラノーマルアクティビティ』のような感じかな。

全てに共通するのが「いるの?いないの?」という感覚。いるかもしれない。いないかもしれない。その感覚が1時間以上ずっと続くだけで、ホラー映画としても元が取れた!

最初は超常現象を信じていなかったグッドマンが話を聞くごとに徐々に雰囲気にのまれおかしなものを見ていく過程は、始めは3人の語りの中にしか存在しなかった「いるの?いないの?」が物語の枠を超えて、こちらの健全で正常な日常に侵食してくる不気味さを感じる演出が秀逸!
グッドマンの世界が侵食されるごとに、観客の私たちの世界まで侵食されていくような。
「物語を超えてこちらにやってくる」という感覚を観客にも共有させるため、枠物語という構成をなかなかうまく使っていたように思います。
貞子がテレビの中から出てきたみたいに、このこわいものもこちらにやってくるんじゃないかという本能的恐怖をあおることに特化した構成です。
枠物語、うまいなあ。

映画でこそできる恐怖表現。映画化してきっと正解なのだと思う。

やはりホラー映画として評されるべきではないかなと思う。

英国特有の陰鬱さを最も恐ろしい方法で描いている(アイリッシュ・タイムズ)


②幽霊の存在に踏み込んだ後半

そして後半では、冒頭から続いていた「そもそも幽霊がいるのか」という問いを、グッドマンではなく観客に投げかけます。
それまでの背景を全て壊して世界をひっくり返してしまう演出は、舞台で見たかった!舞台で背景を破いて「君たちの見てるものが真実なのか?」と問いかけられたとき、グッドマン同様観客はゾゾッとします。
「見ているものが真実とは限らない」「人は見たいように見たいものを見る」
結局は「幽霊の正体みたり枯れ尾花」ということなのかもしれないし、その枯れ尾花がそこに本当に存在しているかも分からないし、枯れ尾花も幽霊も全部あるようでないかもしれない。

前半もイギリスらしい陰鬱さの漂うホラーでしたが、後半はまさにイギリス。
ファンタジー・オカルト文化の根付いたイギリスで、そしてオカルトが非科学的といえてしまう現代で、さてイギリスの現代人たちにとって幽霊は「いるの?いないの?」という。
科学至上主義の現代で、真っ向から非科学的オカルトの存在する可能性について、世間に広く問いかけたかったのかもしれない。
これはイギリスだから作れた、そして広くウケた作品なんじゃないかなと思う。

ホラー映画はそもそもホラーをメタ的に肯定しているからこそ成り立つ産業で、そのなかで「いやいないかもしれない!」「いないかもしれないけど、いるかもしれない!」「真実だって信じているものが真実なのか!」って訴え出るのは、皮肉っぽいというかなんというか。
ホラーを信じている人間にも、信じていない人間にも、同等に世界の根底を揺さぶろうとする構成で、やっぱり舞台として見たかった!なんか妙に構成は科学的というか、計算されている感じが、また皮肉っぽい。

ホラー映画としても本当に結構こわくって秀逸だし、後半の怒濤の展開は考えさせられる。私はこういう妙に哲学的になったり精神的話になる映画が好きなので、ものすご~~く良作だと思うのですが、そこはきっと賛否両論わかれるのかな。

個人的には、ホラーが存在する可能性のある隙間くらいは、この現代に残しておいてくれたっていいんじゃないかなと思う。

「怪談」のこわさに満ちた映画。幽霊がいるかはともかく、こうした怪談は本当に「ある」!(吉田悠軌)

 

www.transformer.co.jp

 

『MEGザモンスター』感想/観たいものが詰まったサメ狂のための映画

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https://eiga.com/movie/86214/

 

未知の深海で生き延びていた太古の巨大ザメ「メガロドン」に襲われる人々のサバイバルを描いた海洋パニックアクション。「エクスペンダブルズ」「ワイルド・スピード」シリーズなどでおなじみの人気アクション俳優ジェイソン・ステイサムが主演し、「ナショナル・トレジャー」シリーズのジョン・タートルトーブ監督がメガホンをとった。人類未踏とされるマリアナ海溝をさらに超える深海が発見され、沖合に海洋研究所を構えた探査チームが最新の潜水艇で調査に乗り出す。幻想的な未知の生物が生きる深海の世界を発見し、心躍らせる一同だったが、その時、巨大な「何か」が襲いかかってくる。レスキューダイバーのジョナス・テイラーは、深海で身動きがとれなくなった探査チームの救助に向かうが、そこで200万年前に絶滅したとされる、体長23メートル、体重20トンにも及ぶ巨大ザメのメガロドンに遭遇する。

 

メガロドンが出世しました。
広く浅い、深いことなんて何もない、『ジョーズ』『オープン・ウォーター』『ディープ・ブルー』さえ押えれば正統サメ映画は語れるとまでファンに言わせるこのサメ映画という業界で、メガロドンといえば奥の手。とりあえずメガロドン。しかもなぜか主役にはしてもらえない。
(私はB級映画が好きなので、サメ映画は上記三作以外も大好きです。A級ではないものの、B級としてS級な作品もいっぱいあります。でもサメ映画にバカ映画(褒めてる)が多いのも事実です。制作陣も「バカだなー」と思いながら本気で作ってるバカ映画が大好きです。)

代アニの生徒でももっとうまく作れるだろ、みたいなCGで作られる違和感たっぷりのメガロドン(異様にでかいか異様に小さいかのどちらかで適正サイズで表されることはほぼありません)がもはや醍醐味、これを待ってた、みたいな気持ちにすらなりますが、ようやくガチスタッフとガチ俳優のもとでガチメガロドンとして映像化された本作。
メガロドンがようやく日の目を見たような、ようやく主役としてサメ映画に出してもらえたことに、予告映像を見ながら震えました。

そして本作、サメ狂がみたいものが全て詰まった映画になってる。本当に。本当にちゃんとみたいものが限界まで詰め込まれています。深海も研究施設もビーチパニックも沖で舟が襲われるのもド派手アクションもステイサムもぜんぶ詰まってるんですよ。

 

(以下ネタバレを含みます)

 

 

サメ映画のテンプレが全部つまってるサメ狂のための映画

舞台は中国の研究施設。海の中までガラス張りになった近未来的なおしゃれ施設です。
もちろんサメに壊されます。(正確にはガラスが)
もう施設のデザインを見た時に「これはサメにガラスを壊されるための施設だな」と思ってしまうくらいにおあつらえ向きな施設。
少女が振り向いた瞬間に、クソバカでかいサメがこちらを見ているシーンには、もうホラー映画の様相を呈しています。『ジュラシックワールド炎の王国』もそうですが、モンスター映画って結局ホラー映画でないといけないんだよね。めちゃくちゃこわい。
そしてガラスに残された巨大な歯型に感じる「始まった」感

研究施設が舞台ではありますが、他にもポイントは押さえています。
深海で潜水艦に乗っていたら巨大サメに襲われたり、サメゲージに入っていたらサメにどつきまわされたり(最近だと『水深47m』にもあるようによくある設定ですね)、沖に船を出していたらサメに襲われて船が転覆して何人か食われたり、沖で若い男女が泳いでたらサメに襲われたり、さらにちゃんと一般観光客向けのビーチパニックまで用意されています。
とりあえず、よくあるサメ映画の設定あるあるは一通り網羅しています。
その時点でだいぶ満足。

さらにそこから、メガロドンを殺して「ばんざーい!」ってしてたらそれをしのぐさらなるメガロドンが現れて一気に事態が悪くなったり(ちなみに小さいほうのメガロドンの死体を大きいメガロドンが食ったので、私は脳内でプレデターvsアルティメット・プレデターを思い起こしていました)(このさらにデカいのが現れて、それまで苦戦してた敵がやられてしまうシーンは、さらなる「絶望」を人間に感じさせるので、ぜひモンスター映画ではやってもらいたい手法ですよね)(乱発したらクソです)、船に高速で引っ張られて水上スキー状態のステイサムをかみかみしようとメガロドンが追いかけてくるシーンのスリリングさであったり、犬がヤバくなったり、色々と見たいものが詰まっていました。

さらに2人ほど仲間を助けるために自分が死にます。
冒頭の潜水艦のシーンで、ステイサムが救助艇で助けにきたところ、自分まで避難していては船が両方ともやられてしまうと思って、妻への手紙を仲間のポケットに押し込んで自分ひとりだけ潜水艦に残って死んだトシ(眼鏡小太り日本人)は作中イチイケメンでした。

ちなみに犬は死にません
最近は動物愛護団体の関係で犬は殺しにくいので(猫は死体だけなら出るし、鳥などはなぜか平気で死にます)。
頭にリボンをつけた弱弱しくてかわいいヨークシャテリアのピピンちゃんだけは絶対に作中で死んではならない存在です。

人間の命は犬の命より軽いので人間はまあまあ死にます。
メガロドンからしたらおつまみにもならない気がするんだけど。シャチとかホオジロザメ食べてた方がよくない?という気もする。

 

モンスターはどっちだ!ステイサムvsメガロドン


本作のウリといえばなんといってもあのステイサム。
いくらなんでも作中でホオジロザメを「小さいサメよ」とあらわすような世界観の本作で、いくらなんでも巨大鮫・メガロドンとステイサムが戦うなんてね、いくらなんでも爆弾とか銃とかでしか戦わないよね……残念だけど……と思ったら
素手で戦う!!!

ステイサムvsメガロドン、もはやモンスターはどっちだ対決。

もちろん爆弾や銃などを利用した、高予算映画に相応しいド派手アクション(すごいCGが爆発してる)もあり、USJのアトラクションかな?と思うような、小さなグラインダーのようなもので海底の岩場を縦横無尽に追いかけっこするシーンなど、迫力満点。
これは4DXで見るべき映画だと思います。

途中でメガロドンをおびきよせるため沖に船で出て、ヒロインの中国人美女がサメゲージの中に入って水中にもぐります。ここでもちろんメガロドンが襲ってきてケージが壊れる……とおもったら、むしろ壊れずにゲージごと丸のみしようとする!
これは従来のホオジロザメ映画ではできない荒業です。かみ砕かれることなくメガロドンの中に檻ごと飲み込まれていく恐怖。巨大ザメならではのワンシーンでした。
酸素が薄くなり、対サメゲージのため女ひとりの力では壊せないため脱出できず、ゆっくり飲まれていく。
さらにここでその呑まれていくシーンを、サメの内側(女性の視点)から映している。どんどん口の中に入っていって、歯が遠のいて、口が閉まっていこうとする。派手アクション映画のわりに、ここのシーンをゲージがどんどん壊れていく「動」の恐怖ではなく呑み込まれていく「静」の恐怖で描こうとした点には、緩急がついていて非常に良かった。

呑みこまれていく人間をモンスターの内部から描く、つまり生きたまま飲み込まれていく生々しい恐怖とグロテスクさを表す演出は、『アナコンダ』シリーズに顕著です。私は幼少期に『アナコンダ』でこの演出を見たとき、まだいまほどCGが発達しておらずおそらく特撮の技術を使って撮影していたのだと思いますが、体の芯から震えるような、捕食される生の本能を感じました。私がモンスター映画で大好きな演出です。
これをメガロドン映画でやっただけでもう私的には100点です。

そしてこのヒロインの危機を救うのはステイサムですが、なんと、なんの装備もなしに普通に海に飛び込む!
普通の人間であればなんの役にも立たないシーンですが、ステイサムであるというだけで「ああもう大丈夫だ」と安心する観客たち。
よく考えたら23メートルのサメのいる海に2メートルもない素手の人間が飛び込んでいって安堵するって意味がわかりませんが、ステイサムだからいいんです。

そしてステイサムはその後もメガロドン相手に戦いますが、ラストシーンのとどめを刺すところはなんと「素手」。
素手メガロドンと戦って勝つ人類なんてステイサムくらいだよ。

最期に死んだメガロドンがゆっくりと落ちていって、小さなサメたちに群がられ餌食にされるシーンにはちょっと切なくなる。自然は弱肉強食ではなく全肉全食だから仕方ないんだけどね。クジラだって海底にしずんで小魚たちの餌になるし、ライオンだって腐って土の栄養分になるし。
ジュラシックワールド』もそうですが、なんか人間のエゴで「モンスター」にされた動物たちが無残に殺されていくのは悲しい。
せめて深海の下の深海にまだ残っているメガロドンは幸せに暮らしてくれ。世紀の大発見だとは思いますが、こんなこと公表したら世界中の人間たちが新しい深海をいっぱい探索して破壊しつくしてしまうから公表はしないのかな、と思ったり。

まあメガロドンにしても、「なんか新しい道あるやんけ!」ってお散歩に出かけてたらとんでもねえ人間にぶっ殺されたのはびっくりでしょうな……

でも犬は死にません。

 

悪人がいなくてストレスがない


これは大きい。
一応スポンサーの男がちょっと色々めんどくさい男で金儲けとか損得のことを考えてはいるけど、そんな死ぬほど悪いことをしたわけじゃない。自分で先にメガロドン頃嘔吐しただけだし。
彼がクジラの内臓と体液にまみれたままメガロドンに食われるほど悪いことをしたようにも思えない。
『オデッセイ』もそうですが、仲間内で足を引っ張ったり邪魔をしてきたりするやつがいないストレスフリーさはすさまじい。
この「悪人がいなくてストレスがいない」という点は、長所としてもっとアピールすべきと思うんだけど。しないのかな。

 

シンプルに中国人ヒロインがかわいい


普段欧米人の激しい喜怒哀楽を見ている身としては、中国人ヒロインの無表情や静の演技がすごく心地好くて、そしてすごく新鮮で個性的な女性に見える。
ステイサムが「俺が食われたら胸が痛むか」と聞いたときにヒロインが「ちょっと」と指をするシーンがあるのですが、生還したステイサムに向けたこの無表情の「ちょっと」ポーズがめちゃくちゃかわいい。そして新鮮。
欧米人に比べれば感情の抑揚が少ないアジア人ヒロイン、めちゃくちゃかわいくないですか?中国美女が大好きなのでもっと中国人ヒロイン出してほしい。中国語の発音もかわいいよう。

 

そんな『MEGザモンスター』、サメ好きにはたまらないポイントをいくつもおさえた、見たいものが詰まったサメ映画です。多少バカなのがサメ映画のいいところ。
犬は死なないのでよかった。

 

 

warnerbros.co.jp

『ザ・プレデター』感想/プレデターフェチによるハードボイルド青春アクション映画!

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https://eiga.com/movie/88482/

 

元特殊部員で現在は傭兵の父親クインがメキシコで手に入れた謎の装置を、息子のローリーが箱の中から発見。彼が起動させてしまったその装置は、地球にプレデターを呼び寄せるシグナルを発信するものだった……。
プレデター接触したことで、事態を隠蔽しようとする政府の極秘機関に監禁されてしまったクイン。彼はルーニーズと呼ばれるならず者の兵士たちと共に脱走し、危機が迫っている息子と人類を救うために奮闘する!
再び人類の前に姿を現したプレデターは、他の種のDNAを利用し、遺伝子レベルでアップグレード。より強く、賢くなっていた。さらに、通常のプレデターをもはるかに上回る圧倒的なパワーを秘めた、アルティメット・プレデターまでもが突如出現!人類はどのように立ち向かえばいいのか……!?(公式サイトより引用)


みんな大好きプレデター
エイリアンvsプレデターって貞カヤみたいなものだけど、こうしてプレデター単体映画を見ると、なんだかエイリアンが恋しくなるものですね。

ザ・プレデター」、ホラー映画としてのスキルを全て捨ててアクション&男のロマン映画に全振りして良作というかんじ。

プレデターフェチによるハードボイルド青春アクション映画、です。
ホラーを期待する人には、つまらないというよりもそもそも「違う」かなと。ラーメン食いに行ったらカレーが出て来た。でも美味しいカレーだった。みたいな。

でもめちゃくちゃ面白いから、ホラーを捨てて見に行ってくれ!という心境!
できたら友達と行ってくれ!


以下ネタバレを含みます。

 

 

 

 

①惜しみなく人が死ぬ!「人間vs人間」「プレデターvsプレデター」!

これぞお金をかけたアメリカ映画の醍醐味。客はみんなこれを期待してる。
とにかくいっぱい撃ってなんかいっぱい死ぬ!

これを求めてた。そう。これなんだよ。いっぱい死んでほしいんだよ。

そしてこの「死ぬ」というのが、今までのプレデターやエイリアン映画とは違う、人間と人間が殺し合ってプレデタープレデターが殺し合うシーンの多さ。

 

今作は舞台が開けた地上であるということ、主人公が政府側の人間ではなく、なんか色々企んでる政府に歯向かう側であるということ。2つの点から、非常に人間同士の戦闘が多く、感覚としては映画版『バイオハザード』に近いものを感じました。

 

プレデター・エイリアン映画では一方的に虐殺され逃げ惑う人間の姿も醍醐味ですが、今作では尽きることのない武器を持って戦い、人間同士での争いも描かれているというのが、アクション映画の色が強くて見ていて楽しい!
従来のプレデターでは結構虐殺シーンが苦手な人もいるかもしれませんが、今作ではほとんど「虐殺」らしい虐殺はあまりないので、アクション映画として楽しめる人も多いと思います。

 

たぶん『24』とか好きな人にウケそう。


プレデターへのフェチズムに支えられるリアリティ!

プレデターの持つ武器(ハイテク技術)が実際にどういった技術であるのか、実際にどのような文字を使ってどのように会話をしているのか、プレデターを架空の生物ではなく実在する生物としたときに求められるリアリティに挑んでいた印象。

 

SFの小説を書くときに、その小説には直接かかわらない、オリジナルの言語や世界地図、神話などを作り上げる高揚に近い、プレデターへのフェチズムを感じました。

 

プレデターオタクが作ったような安心感がある。すごい、イイ。

プレデターに殺された人間の死体も、「プレデターの武器にかかっちゃった人間はこんなふうに死んでこんなふうに臓物が出るんだな」というリアリティを感じる。
すべてがプレデターへのフェチを感じる。
すごくいい意味でプレデターの二次創作」みたい。(ものすごく褒めてます)

 

『エイリアンvsプレデター』では「プレデリアン」という、全ファンが見たかった「そうだよそれそれ!」というものを見せていただきましたが(全ファンかは知らない)、今作でもラストに軍に復帰しプレデター研究に携わる主人公が対プレデタースーツを手に入れて「新しい俺のスーツだ。サイズが合えばいいがな」という旨の台詞を言うシーンで、「そ~~~~なんだよ!それそれ!」ってなった。

もうこの、ヒーロー映画感!次回作のラストで主人公がスーツを着た時絶対に勝ち確BGMが流れるよ!!これが見たかった!
次回作絶対お願いします~~~~!

 

あとプレデターの宇宙犬めちゃくちゃ可愛かった。最初はめっちゃキモッとなったのに、とってこいとかしてるのを見るとだんだん可愛く見えてくる。
やっぱ映画にはこういうなごみキャラが必要だね……。
あんなにキモかったドレッドヘアーまでもがキュートに見えてくる……。
(これは犬飼いの人間の感想なので、犬好きじゃない人からしたら終始キモイだけかもしれない。わかんない。)


③まさに青春アクション映画!社会からつまはじきにされた男5人が、巨大な政府組織に歯向かい死闘を繰り広げる!

映画を見終わったら、なんだか友達と子どもみたいにバカやりたくなるような、そんな映画。

 

主人公率いるルーニーズ特殊部隊。これは全員元軍人でありながらもPTSDを負い、そのなかでもさらに2軍とされた、「ならず者」集団。もう社会からつまはじきにされた、負け犬たちの集まり。
同じ軍人たちからも「どうしようもないやつらだ」と馬鹿にされ、社会を斜めに見て生きているような彼らが、主人公とともに政府に歯向かって死闘を繰り広げる。

 

最初はよくいる荒くれ者の集まりなんだろうな~と思っていたら、ケイシー(政府のプロジェクトでプレデター研究のアドバイザーとして呼ばれた、異種交配を専門とする進化生物学者の女性。)が眠っていても決して手を出さない。それどころかリラックスできるように気を遣ってくれたりする。
口は悪いし皮肉屋だったりおちゃらけていたりするけど、人間としての筋が通った普通の、いやむしろ感性の鋭い男たち。

 

彼らの存在が凄くイイ。
仲間として協力しあい、たった男6人と女1人では立ち向かえないような巨大権力に立ち向かっていく。
そして仲間のために死んでいくそれぞれの最後にはほろっと来てしまう。
お互いにトドメを刺し合うシーンには、「死ぬことの悲壮感」や「グロテスクさ」以上に、潔い死の美学みたいなハードボイルドさまであった。

 

これは『カメラを止めるな』がヒットした理由によく挙げられるものだけど、「不況の暗いご時世だからこそ、コメディで心温まる優しい展開がウケた」というもの。
同じ理由で、『ザ・プレデター』のこの男6人の絆と共闘は、今の暗い時代にウケるのだと思う。政府(巨大な権力)に、それよりずっと劣る人数と武器で、自分達の腕を頼りに、恐れることなくバカな応酬をしながら全力で立ち向かっていく。
その姿に、私はなんとも言えない切なさを感じて、同時に心がじんわりする感覚があった。
隣にいる友達の手をぎゅってして、子どもみたいに「俺たちにできないことなんかない!」「俺たちは最強だ!」って、妙な自信で世界中に胸を張れていたあの感覚。修二と彰みたいな)
それと同時に、それぞれの過去を背負っている彼らには、世間のいろんなことを知ってしまった大人には色々沁みるものがあったりする。

 

社会からつまはじきにされたヤツらが、仲間とともにメチャクチャ頑張っている映画。
ハードボイルド青春アクション映画として、文句なしの良作です!

 

5人全員生き残ってて、次回作で主人公をセンターに据えた6人で再び特殊部隊としてプレデターに立ち向かって、シリーズ化とかしてほしかった。しんじゃったの結構悲しい。

(わりと後半で「やべっ尺足りねえ!急いで殺そ!」みたいなノリで、死に方自体はかっこいいけど、メタ的に見たらわりとあっさり死んじゃう。)

 

モンスター映画だから……グロそうだがら……と毛嫌いしてるひとにみてほしい。
プーと大人になった僕』と2本立てとかでお届けしたい。


④ヒロインポジションだけどヒロインにならない女!そこにあるのは性別の垣根のない、「仲間」であるということ。

そしてこの映画で印象的だったのが、明らかにヒロインポジションの女が、ヒロインではないということ。(主人公には妻がいるし、今後も夫婦でいそうな感じなのだ)

 

今までの作品だったら、絶対にラストは主人公とケイシーがプレデターの死体の前で熱いチューを交わして終わりだったんだろうけど、それがない。
ケイシーはもちろん女性として描かれるのだけど、それ以上に仲間として描かれるため、男たちのなかに馴染んでいる。

「ええ!?惚れるとこあった!?」みたいな2人があっさりチューして終わるのが洋画のお決まりで、まあ一種そこを求めてるようなところもある。『ハムナプトラ』のラストのらくだにのりながらのキスシーンを見ながら「これこれ~」と何度思ったか分からない。
シン・ゴジラ』だってアメリカで作られてたら、固まったゴジラを背にして長谷川博己石原さとみが熱いチューを交わしていたに違いない。

 

最近の映画って、ものすごく女が強い。
女主人公のスリラー映画なんかでは、「実は襲われてる女がメチャクチャ強かった!」展開じゃない映画ってほとんどなくない?というくらい、最近の女は強い。(『サプライズ』は駄作と言われがちだけど、あんなに後半戦が面白い映画他にはない。ミキサー!)

 

今作の女性も例に漏れず、いち研究者のくせして、なんかしょっぱなから武器を持ってたった一人でプレデターを追っかけるくらいには強い。正直そこに違和感がないと言ったらうそになる。

恐らくこれも時代の流れなんだと思う。女だって強いんだ、キャーキャー言って守られてるだけのヒロインは終わったんだ、という。
ホラーを皮肉ったあの名作映画『キャビン』でも、ヒロインの女の子がゾンビをぶっ殺しているのを見ていた監視員が「最近の女の子はしぶとくて強いな。昔の子はすぐ殺されてくれたのに」というような台詞を言うシーンがあって、そのことも蘇った。

 

恐らくヒロインに「強い」(いわゆる「女性的」ではない)ということが求められる現代で、さらにそこから恋愛要素も抜いた存在がケイシーだった。

そういう意味も含めて、「すごく最近っぽい」というのがケイシーの感想。まあ研究者だし最初はもうちょっと弱くても良かったのでは?と思わないこともないけど、最後の戦闘シーンでプレデターの武器で身を隠して突如後ろから襲い掛かるシーンは「かっけぇ!」の一言に尽きる。

 

ルーニーズ特殊部隊の男たちが、ケイシーにキャットコールじみたものをしないのも良かった。(人間対人間として、ビッチに近い悪口を言ったシーンはあるが、あきらかなキャットコールはない。ケイシーのキャラクターの立ち方もさることながら、女性の権利みたいなものも感じた。最近の映画だから凄く配慮がされてる)

いい加減むりなお決まりの恋愛要素にあきあきしてる!なんて人にはちょうどいいかもしれない。

 


⑤「ザ・プレデター」はホラー映画であるか。

ここまで凄く褒めて来たわけだけど、『ザ・プレデター』は決してホラー映画ではないと思う。(ここでの「ホラー」は広義的なもので、モンスターとかスリラーも含む)

 

ホラー映画の醍醐味は、限られたフィールドで限られた人数で限られた武器でそこから生きて脱出する、みたいなところがある。
プレデターやエイリアンシリーズには基本的にそういう趣向があった。宇宙船であったり、地下であったり、島であったり、そういう限られたフィールドの中から生きて外へ脱出することが目的だった。人数も武器も限られている。

 

今作では、その限られた人数から、1人また1人と減っていく恐怖はまったくない。舞台は特に定まっていない、しいて言えばアメリカ全土だ。武器は無尽蔵だ。

ここに「ホラー」としての恐怖・面白さがあるかと言ったら、それはノーだ。

 

ゲームの『バイオハザード』もそうで、1がホラーとしての恐怖に溢れていて、2からは趣向が変わった。つまらないとかではなく、全く別物の面白さなのだ(『バイオハザード7』は、そういった意味では「帰って来たバイオハザード」だった)

 

ザ・プレデター』が良作であることは間違いないが、そこにホラーとしての趣向を求めてはいけないと思う。最初に述べたように、ラーメンじゃないけどうまいカレーだから。

 

これはやっぱりハードボイルド青春アクション映画であると思う。
あと宇宙犬がかわいい。

 

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