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死にたいというお題箱を寄越すフォロワーへ(2019/9/20の日記)

別に死んでもええんちゃう?   完

と書こうかと思ったが身も蓋もないのでやめておく。

私はツイッターにお題箱を設置しているが、そこに毎日のように「死にたい」という内容の投稿が届く。その「死にたい」は、仕事を辞めてハワイに行きたいという程度であったり、本当に自殺願望を抱く程度であったり、その程度は様々だが、とにかくみんな死にたいらしい。その気持ちはすごく分かる。だって社会は暗いし、未来も暗いし、賃金は低くて年金も貰えなさそうだし、ルッキズムは激しいしマチズモも激しいし、なんか消費税値上げされたし、車は暴走して隣国との仲も悪くて世界は全然平和になりそうにもなくて、世界の終末時計も残り数分だし、とにかく死にたいのだ。その気持ちはものすご~~く分かる。その「死にたい」を誰にも茶化されたくないのもわかる。

なのでそういった投稿に対して少しだけ真面目に、まとめて返事しちゃお~カナというのが目的で今ブログの新規記事を作成し始めた。

私は別に自殺しても構わないと思っている。なので上記の投稿に応えるならば「別にええんちゃうん?」だ。

以前こういう内容のエントリを書いた。

highb.hatenablog.com

人間の価値は魂そのものに付属すればいいねって話だ。そしてそこに付け加えるなら、私たちの魂と肉体は私たちのものであるはずだ。

ところがどっこい、社会においてそうはいかない。資本主義の社会で、そしてこの国で、世界で、私たちの肉体は私たちの属する共同体のリソースだ。私たち自身が資源だ。だから私たちは私たちを担保に働き、賃金を得る。社会で生きていく以上、私たちはどこかの共同体に属さざるをえず、そして共同体に属した時点でそこのリソースとなってしまう。なので「私たちの肉体は私たちのものだ」というのは理想論にすぎなくて、その肉体をたとえ自分の意志であろうと傷つけるのは、共同体の資源を損なうことに繋がる。不幸だ。そんなことを考え始めたら不幸にしかならない。

でも私たちの肉体は私たちのものであると認識したい。そう思いたい。だから私たちは私たちの肉体を傷つける。私たちの自由意志のままにする。リストカットをする人の「生きてるって感じ」って、そういう意味もあるんじゃないかなとぼんやり思う。

自殺するということは、自分の肉体を、死んでしまうほどに傷つけて壊すということだ。だって私たちの肉体も魂も、本来は私たちのもののはずなのだ。好きにしていいはずなのだ。明日のインフルエンザの予防接種嫌だから死んじゃおうとか、明日の給食に人参がでるから死んじゃおうとか、極端な話、それでもいいはずなのだ。

でも、これがまた、死ぬほどに傷つけるというのは難しい。

私が高校生のとき首を吊った話をすると、結局死ねなかった。人間の体はめちゃくちゃ丈夫だ。そのわりに事故であっさり死んじゃうんだけど。

私は「死のうかな」と思った。毎日生きているのが苦しくて、眠れない夜が続くし、宇宙に1人投げ出されたような孤独感が凄かったし、悩みは尽きないし、生きていることが恐ろしくてたまらなかったし、体を切っても殴って痣を作っても、私の衝動の達成には届かなかった。死ぬしかないんだろうか、と思い、きっとそうに違いない、と思い、高いところはこわかったから首を吊ってみることにした。
これが結構苦しい。当たり前なんだけど。結局首を吊ったベルト(ドアノブでチャレンジしました)が外れて、私は死にきれなかった。人間って案外死ねないんだなということを覚えている。そこから私は自分の肉体と魂の持っていき方に思考を奪われるようになった。

私は神様を信じていないが、運命はあればいいなと思うし、偶然というものもすごく信じている。インターネットは広いが、その広い中で偶然私と出会った人が、偶然わたしに「死にたい」と言ってきたのなら、それはあまり他人事には思えないのだ。死にたい苦しさを知っているから、それを読むと辛くなるし、その投稿の目的が「誰でもいいから聞いてほしかっただけ」とか「構ってほしかっただけ」とかでも全然構わない。他人事にあまり思えないから、そこにあるいろんな人の人生の重みを感じて、苦しくなってしまう。でも偶然私にそのことを言ってくれたのなら、ちゃんと聞いてあげたいなと思うし(ものすごく偽善くさいんだけど)、インターネットで好きなことを呟いてるだけのメンヘラがなんかの役に立てるならそれは凄く喜ばしいことだとも思う。
し、結局みんな誰でもいいから聞いてほしくて、誰でもいいから構ってほしいだけなのだ。でしょ?私は私で構ってもらえてうれしいのだ。ウィンウィンじゃん。オッケー。

死にたいのなら死んでもいいと思う。だって自分の肉体も魂も自分のものだ。そしてあの世なんてきっとない。金はもっていけないし、楽しいこともなにもない。苦しみもないのならそれでいいかもしれないけど、死んだらそこにあるのはきっと完全なる無だ。無は、たぶんこわい。
その想像のつかない恐怖以上に、今生きていることがこわい、だからみんな死にたいんだ。
でも死にたいということは、自分の肉体と魂を、いま、自分が明らかに所有しているということだ。死にたいということを以て生きているということが保証されるのかもしれない。

「死にたい」と私に送ってくる人たちは、今確かに生きてるんだよなと思う。生きてるだけで偉いよ~なんて言葉は安っぽくなってしまったが、しかし確かに、生きているだけで、ジョブズにも負けないくらいの偉業なんじゃないかなとも思う

というわけで、死にたいと言って生きているフォロワー、肉体も魂も自分のものであるはずなので、その肉体と魂をどう使ってどう壊すのか、自分なりに納得のいく答えが見つかればいいなと思っています。
ただ、私は自殺は肯定するけど、あなたの死はできたら肯定したくないなと思う。それは私があなたの魂に干渉した、ただの我儘なんですけど。